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“心”を持つルリ-フリルラがぼんやりと時間が過ぎていくだけの生活をしていたある時、突然彼の体に違和感が生じた。
通常、他者がルリ‐フリルラに触れることはできず、触れようとしても感触が無く空を切ってしまう。
しかし、何かに押しつぶされるような重さがずっしりと彼の全身に押し寄せてきて、ルリ-フリルラはその重圧に耐えきれず思わず目を瞑る。
しばらくして体の重みが無くなると、辺りが嫌というほど見てきた魔界ではあり得ない明るさを放っていることにルリ-フリルラは気づいた。
そして、恐る恐る目を開く。
彼の目に映ったのは、数えきれないほどの大きくて背の高い建物の数々。
そこは、彼の知る魔界の景色ではなかった。
「どうだい? 初めての人間界は」
自分の身に今何が起こってどうなってしまったのか分からず、きょろきょろと辺りを見渡していたルリ-フリルラの体の中から、響くように誰かの声が聞こえた。
声は子供のもののようで、突然の変化に戸惑っている彼の様子が面白くて仕方がないという口振りだった。
ルリ-フリルラは怪訝そうに眉をひそめる。
「お前は誰だ、どこにいる?」
「ボクは君の目の前にいるよ、ルリ‐フリルラ」
声は彼にそう答えたものの、目の前をどんなに凝視しても、手を伸ばしてみても、自分に向かい合うような者の姿は確認できなかった。
声も、明らかに外からではなく体の中で響き続けている。
「ふふ、まさか“心”を持つルリ‐フリルラに出会えるなんて。ボクは運がいいなあ! 噂では聞いて知っていたんだけどね。まさかまさか。……あ、何が起こっているのか分からないという顔をしているね。ボクはアリス。さっき魔術でキミを召喚したんだ」
「……じゃあ、お前は黒魔術師なのか?」
「どうだろう、キミが思っている黒魔術師とはちょっと違うかもしれないね」
声はそう答えると、面白そうに少しの間クスクスと笑っていた。
このアリスと名乗った声の言う通りならば、人間界にいたアリスがルリ-フリルラを手元に召喚したということになる。
“心”を持つルリ-フリルラの長かったのか短かったのか分からない魔界生活は幕を閉じ、これからは召喚者の命令に従う生活が始まるのだ。
「せめて顔くらい見せろよ。誰に召喚されたか分からないなんてのは正直気分が悪い」
あからさまに不機嫌な声色で、深い緋色の瞳を細めるルリ-フリルラ。
「うーん、それはできないなあ!」
それに対し、やけに芝居がかったような声の返答。
「キミにはこれからボクのルリ‐フリルラとして人間界にいてもらおうと思うんだけど、人間は魔界はおろか、ルリ‐フリルラという生き物のことを全然知らないんだ。だからキミは、人間にルリ‐フリルラだとバレないように“人間”として生活をする。もしバレるようなことをしたら、その瞬間にボクはキミを殺して、バレた相手の記憶は綺麗に消す。……まあそっちも殺してもいいんだけどね。どうだい、楽しそうだろう?」
「何でそんなこと――」
「これは召喚者としての命令だよ?」
どうやら、従うべき立場にあるルリ-フリルラには有無を言わせないようだ。
「キミはとっても面白い存在だからね、ボクは観察がしたいんだ。“心”を持つルリ‐フリルラが、どんな風に人間界で生きていくのかを! だからキミは、ボクが他の命令を出さない限り、ボクのことなんか忘れて自由に生きてくれればいいんだ。簡単な命令だろう?」
そんなことを言われても、と言いたげにルリ-フリルラは息を1つ吐いた。
魔界と人間界では生活環境に差があり、いくらルリ-フリルラに寝食が必要ないからといって、彼が人間界で上手くやっていける保証なんてどこにもなかった。