63「マスター・メギルを倒せ」
私は血が滴るアーガスの右腕を見た。綺麗に切断された断面からは赤黒い血肉と骨が見えている。
「早く治療しないと」
だが、彼は首を横に振った。
「いやいい。どうせ腕はくっつかないし、ちゃんと縛ったから多分死にはしねえよ」
「だけど危ない状態には変わりないよ」
「だな。まあ、オレは少し休ませてもらうぜ。お前は今すぐトールの野郎を追え」
「でも」
「いいからよ。誰かがあいつを倒さなきゃ終わらないんだ」
アーガスの目からは断固した意志が感じられた。こうなればもうてこでも動かないことを私は知っている。
「わかったよ。いつも意地張ってさ。ちゃんと安静にしてなよ」
「おう」
私は男に変身すると、トールの気を探った。反応が地下に移動している。逃げる気か。
せっかくここまで追い詰めたんだ。逃がさないぞ。
「行って来る」
「ああ。しっかりやっつけて来い」
気力強化をかけて走る。どこかに地下への入り口はないか探していると、エレベーターらしきものを見つけた。乗り込んでみるとやはりエレベーターのようだった。地下一階のボタンを押すとゆっくりと降り始めた。
奴の反応はすでに城から遠ざかっていた。それもかなりの速さだ。おそらく何かに乗ったか。
俺は通信機を通じてみんなに語りかけた。
『ユウだ。みんな聞いてくれ。クラムはアーガスと俺でなんとか倒した』
『やったじゃない!』
『やりましたな。ユウ殿』
アリスとディリートさんの嬉しそうな声が聞こえたのを始めとして、いくつもの喜びの声が聞こえた。
地下一階に着いてエレベーターのドアが開くと、ずっと奥にはあの透明なチューブが見えた。なるほど。あれに乗ったのか。
『それで、今トールが逃げてる。例のチューブを通って王宮殿の北の方へ向かってるんだ。近くに誰かいないか?』
『割と近いけど、今手が放せない状況なの!』
『かなりピンチです』
アリスとミリアの声には荒い息が混じっていた。
『それならわたしたちに任せなさい! 今ちょうど近いわ!』
『やっとおしおきの機会が巡ってきたね』
聞こえてきたのはカルラ先輩とケティ先輩の声だった。
『お願いします! 俺も今から向かいます!』
通信を切ってひた走る。入口からチューブの中に入ると、そこはレールのように細長く先へ通じていた。
やっぱりスカイチューブにそっくりだ。というかまるでそのものみたいだ。こんな偶然の一致ってあるのだろうか。
すぐに空飛ぶ車スカイリフトがやってくる。俺はそれに乗り込むと、北へ行くように念じた。すると音も抵抗もなく加速し、滑るように前へ進んでいく。
空を見上げると、どうも外から見ると赤いバリアは内側からは透明になって視界の妨げにはならないらしい。日が落ちかけているのがはっきりと見えた。反対の方角を見れば、青い満月が昇り始めていた。だが、その月の様子がおかしい。いや、正常なのだ。接近することで大きくなっているはずの月が、普段と全く変わらない大きさに見える。まさか何もせず元の位置に戻ったということはないだろう。ということは、もしやエデル内部からは月の変化がわからないようになっているのか。
――それもそうか。トールの目的はあくまで世界を支配することだ。さすがに世界の滅亡までは望んでいるようには見えなかった。己の計画に三百年以上かけるほど執念深い奴が自らの野望のせいで世界が滅びようとしているなんて知ったら、一体どうなるのか予想がつかない。そのとき、万が一にも自らエデルを止めてしまうことはあるかもしれない。間違ってもそうならないようにウィルは万全を期して幻想の月を仕込んでいた。トールに甘い夢を見せたまま世界を滅ぼす気だった。
トールは気付いていないんだ。自分がウィルの掌の上で踊らされていることに。散々人を利用しておいて、ゴミのように切り捨てておいて、結局は自分も誰かに利用されているだけだった。
憐れな奴だ。本当に救えない。
――早くこんな戦いは終わらせよう。あいつ以外誰にとっても得にならない戦いなんて、もうたくさんだ。
トールは王宮北の祭壇の前で降りた。祭壇には既に術を施してある。あとはあそこに行くだけだ。行けば圧倒的な力が手に入る。そうすれば――
だが、気付けば彼の前には彼の良く知る二人の女性が立ち塞がっていた。一人は元腹心の部下。一人は教え子。
「君たちは……!」
「こんなところで何をしてるんですか。マスター」
「会いたかったですよ。先生」
二人は、語尾を強調してわざとらしく彼をそう呼んだ。
「……奇遇だな。私は大事な用があるのだ。話なら後に――」
彼が最後まで言い終わる前にケティが遮った。
「あんたは私の最も大切な親友から最愛の人を奪った」
「……だったら何だというのかね?」
「絶対に許さない」
ケティはトールを睨みつけると、闇刃魔法『キルバッシュ』を放つ。
トールはそれを加速の時空魔法『クロルエンス』でかわそうとするが、カルラが時間遅延の時空魔法『クロルオルム』でその効果を打ち消す。
「ぐっ!」
彼のわき腹が切り裂かれ、そこからポタポタと血が滴り落ちた。
「ええい! そこをどけっ!」
彼はそれでもあそこに行きさえすればどうとでもなるとの思いから、怪我に構わず歩を前に進めようとする。
カルラは地に手をつけると、土魔法でトールの手足を強力に縛った。
「通すと思うの?」
「くっ!」
カルラは身動きの取れなくなった彼を見据えながら一歩ずつ歩み寄り、手が届くところまで来たところで言った。
「あんたにずっと言いたかったことがあったのよ」
「今まで君を騙してきたことか?」
「それはいいわ。自業自得だから。でもね――」
カルラの目には激しい怒りが宿っていた。
「よくも、あんたを信じて付いてきた部下たちを!」
「へぶっ!」
彼女の拳が彼の左頬にめり込んだ。
「よくも、わたしの大切な友達や仲間を!」
反対側の拳が右頬を捉え、彼の顔を逆方向に弾き飛ばした。
「よくも……よくもエイクをっ!」
万感の思いを込めて放った渾身の右ストレートはトールの顔面に真正面から直撃し、彼の鼻を砕いた。
顔面を真っ赤に腫らし、鼻血を滴らせながらくらくらによろめくトールを彼女は殺さんばかりの目で睨んだ。
「あんたは……! あんたはっ……!」
感情の高ぶりのあまり、彼女の目には涙が浮かんだ。
言葉が詰まって続けられなくなった彼女の後をついで、ケティが言った。
「あんただけは、百回地獄に落としても足りないわ」
彼女は氷魔法『ヒルソーク』を唱える。かつて魔闘技でアリスの右腕を氷付けにしたその魔法が、今度はトールの右腕を同じ状態にした。
「ぐうっ!」
「次は左腕よ。二度と悪さが出来ないほど痛めつけてやるわ。それから公衆の面前できっちり裁いてもらう」
両腕が完全に使えなくなれば終わりだ。あとわずかで止めを刺される状況に至り、トールはこれ以上ない悔しさで顔を歪めた。
ちくしょう。こんなところで。私は負けるというのか。何も出来ぬまま。長年の野望がこんなところで潰えるというのか。そんなことがあってたまるか!
「私にも意地があるのだああああああああっ!」
トールはかつてヴェスターに与えた爆風魔法を発動させた。それも自分を巻き込む形で強引に。
カルラとケティがやむを得ず飛び退いた一瞬の隙を突いて、手足を自らの魔法で傷付けながらもカルラによる拘束を解除することに成功した彼は、再び『クロルエンス』を使用し加速した。
「しまった!」
「まずい!」
そして彼はとうとう祭壇に到達する。そのとき、魔法陣に描かれた術式が彼自身に予め付けていた印と共鳴した。彼に魔人化の術が施される。
「ふははははは! 力が、力が溢れてくるぞ……!」
北の祭壇前に俺が辿り着いたとき、祭壇からは赤い光の柱が上がっていた。すぐ前には、悔しそうな顔をしているカルラ先輩とケティ先輩がいた。
「くっそー! やられた!」
「奴の魔力が急激に高まっていくわ。これはやばいかもね」
俺は先輩たちに言った。
「あいつを倒しに行ってきます。二人は少し離れてて下さい」
「わたしたちも行くわ!」
「いや、一人で大丈夫」
カルラ先輩を静止して、俺は祭壇の階段を一歩ずつ上がっていく。その間に光は収まった。
階段を上がり切ると、そこには体がふた回りも大きくなり、肌も硬く真っ赤なものと化した変わり果てたトールの姿があった。
奴は俺の姿を見ると高笑いを浮かべた。一体何がそんなに楽しいのだろうか。そしてひとしきり笑い落ち着いたところで言った。
「ユウか」
「お前を倒しに来た。観念しろ」
「この私を倒す? くっくっく! 面白い冗談だ!」
奴は拳を地面に叩き付けた。すると、足元の大きな祭壇が粉々に砕け散った。俺は階段下まで飛び退いて飛んでくる石の破片を回避する。
吹き飛ばした祭壇の上に降り立った奴はさも得意気に言った。
「見たまえ! この圧倒的なパワーを! 今やこの私は龍をも遥かに超える力を手に入れたのだ!」
「それがどうした」
正直な感想だった。確かにパワーは凄い。恐ろしいほどの魔力も感じる。だが――やはり今の動きだけでよくわかった。
「……ふん。まずは生意気なお前から血祭りに上げてやろう。この私に散々楯突いたことを後悔するがいい!」
奴の右拳が迫る。当たれば間違いなく俺は細切れのようになって死ぬだろう。それだけの威力を伴った一撃だ。
その一撃に対して俺は――
『センクレイズ』
――一刀両断で奴の右腕ごと胴を斬った。
奴は驚愕の色を浮かべていた。
「まさ、か……!」
変わり果てた奴の巨体が崩れ落ちるようにして倒れた。
――確かにパワーはあるかもしれない。魔力もあるかもしれない。少なくとも今の俺よりはずっと。
だが、それだけだ。
いかに身体が強靭であろうと、意識の弱い部分を集中して攻撃すれば脆い。
そして、力の使い方がなっていない素人のお前に対してそれを行うのは容易い。
頭でっかちなだけのお前が前に出しゃばって来た時点でもう勝負は付いていた。
お前たちとの戦いで、俺が一体どれだけの死線を潜り抜けてきたと思っている。どれだけ紙一重の攻防を切り抜けてきたと思っている。
それに比べればお前なんて大したことはない。隙だらけなんだ。今まで戦ってきた奴らの方がよっぽど強かったよ。
もはや立ち上がる力もなく、切断された右腕を押さえて無様に倒れる奴を見下ろして俺は言った。
「終わりだ。トール・ギエフ」
「ぐ……ぐ……!」
そのとき、示し合わせたようなナイスタイミングでエデルがゆっくりと落下を始めたのを感じた。とうとうオーブによる浮力よりも重力の方が上回ったようだ。
通信が入る。アリスとミリアからだった。
『オーブ破壊成功! 危なかったけどなんとかなったわ!』
『ユウ。今からそちらへ向かいます』
通信が切れる。俺は、突然の落下に驚くトールに止めの言葉を告げた。
「もうすぐエデルは地に落ちる」
「な、に……!?」
「これでお前の野望も本当に終わりだ! 勝ったのは俺たちだ!」
それを聞いた奴は、わなわなと震えた。やがて、悔しさと無念を搾り出すように叫んだ。
「ちくしょおおおおおおおおおーーーーっ!」
一つの戦いに決着がついた。
――ここから先は月が止まるかどうかの戦いになる。果たしてどうなるかはわからない。だけど俺たちは――
「つまらん。拍子抜けだ」
どこからともなくあいつの声が聞こえた。
次の瞬間、エデルの上空を覆うバリアが――跡形もなく消滅した。
夜空に登る青い月。その真の姿が露になる。
それは今にも地表に届きそうなほど大きく、世界を闇に呑み込もうとしていた。
そんな――いくらなんでも早すぎる。
そして――
そいつは現れた。青い月を背に、空の彼方より徐々に降りてくる。眩い月明かりに映える黒い影。まるで世界の終末に現れる神の使いか何かのようであった。だが、そいつは――そいつこそが――
やがて俺から少し離れたところに降り立ったそいつは言った。
「久しぶりだな。ユウ」
俺と同じ黒髪を持ち、俺よりもほんの少しだけ背の低いそいつは、あのときと同じ氷のように冷たい眼で俺を見据えていた。
世界の破壊者。ウィルがやって来た。