62「たとえ時が止まっても」
私は速度特化の風刃魔法『ラファルスディット』を、アーガスは光弾魔法の『アールリオン』をそれぞれクラムに向けて放つ。いずれも相当な高速魔法であり、ほんのわずかな時間で奴に届くのだが――
!
――どうやら時間停止を使われたようだ。身体がぴくりとも動かない。だが、確かにミリアの言う通り『アールカンバー』によって止まった時間の中でも奴の動きを認識することが出来た。
0.5秒 クラムが静止した魔法の軌道上から外れる。光魔法であるアーガスの『アールリオン』も私の『ラファルスディット』と一緒に止まっていた。
1.0秒 奴が剣を構えて私に向かって走り出す。
1.5秒 そのまま猛然と迫り
2.0秒 私に斬りかかる体勢に入る――
2.1秒!
時が動き出すと同時に私は即座に身を捻った。剣を振り下ろす奴の横をすり抜けるようにして辛うじて身をかわす。そのまま奴の方を向きつつ王宮の階段の方へ飛び退きながら、奴の背に向けて『ボルケット』を放つ。
「でやっ!」
こちらへ振り返ったクラムが剣を振り払うと、火球は弾かれて横へ飛んでいった。
この位置はまだ奴の射程圏内だ。さらに牽制で小風刃を連射する魔法『ファルレンサー』を撃ちながら急いで奴から十二メートル以上離れる。アーガスも私のいる方へ向かいながら雷槍魔法『デルヴェンド』を合わせた。
しかし、いずれも奴が構える剣を振り回すことで魔法は全て弾かれてしまった。どうやらあの剣には魔法を弾く力があるようだ。
「今の身のこなし――なるほど。貴様らイネアから私の魔法について聞いたのだな。だが、知ったところでどうしようもあるまい」
剣を構え直したクラムがこちらへ迫る。そのとき、アーガスが驚きの声を上げた。
「重力魔法が効かないだと!?」
「なっ!?」
「ふん。私とてこのエデルに来て何もしなかったわけではない。目指すのはさらなる高み。今の私に生半可な重力魔法は効かんぞ」
「……ちっ。そいつは厄介だな」
私は男に変身して気力強化をかけると、アーガスに言った。
「行くぞ!」
「ああ!」
二人で示し合わせたように王宮の入口に向かって走る。見通しの良いこの場所で戦っても隙を作るのは至難の業だ。このままでは勝ち目が薄い。王宮内部に入り込んで死角からワンチャンスを狙う。
それに王宮内部からはトールの気配を感じる。放っておけば彼が討たれる危険がある以上、奴も追ってくるしかない。
!
――また時間停止か。
一切身動きが出来ないまま奴の気が背後からぐんぐんと迫るのを感じる。なまじ認識出来るからこそ死が迫る恐怖と向き合わなければならなかった。来るのがわかっていても何も出来ないというのはこれほど恐ろしいものなのか。
途中、狙いが俺から外れて横にいるアーガスへ向かったのがわかった。
2.1秒!
「アーガス! 後ろだ!」
「ちっ!」
当たれば確実に命を刈り取る横薙ぎを彼は間一髪しゃがんで防ぐ。だがまだ危険な位置だ。接近戦は圧倒的に奴の方に分がある。
俺は女に変身すると目を瞑りアシストの魔法を放つ。アーガスはこちらを向いていないから問題ない。
『フラッシュ』
閃光魔法が炸裂する。これで少しは足止めになってくれるはずだ。
――だがその認識は甘かった。
次に目を開けたとき、なんと奴は私のすぐそこまで迫っていたのだ。
「そんな下らん魔法が私に効くと思うのか」
なに!? 効かなかった!?
奴は突きを繰り出した。今からでは回避が間に合わない。
やられる!
「ちいっ!」
そのとき、クラムが突然大きく飛び退いて距離を取った。直後、目の前を闇の刃が横切る。
「そう簡単にはやらせねえよ」
横からアーガスの声が聞こえた。『キルバッシュ』で援護してくれたのか。助かった。
邪魔をされたことでクラムの意識がアーガスへ向いている。今のうちに魔法を使おう。
霧よ。覆い隠せ。
『ティルフォッグ』
辺りを濃霧が覆う。視界が一気に悪くなった。『アールカンバー』をかけている私たちには周りがよく見えるが、クラムにはおそらく見えていない。
私は男に変身すると、気を込めたスローイングナイフを三本投げつける。時間操作魔法を使わせるために。
!
一瞬意識が途切れたような気がする。おそらく奴が時間を消し飛ばした。そこで間髪入れず追加でナイフを五本一気に投擲する。全て急所狙いだ。それから、アーガスと一緒に王宮に向かってひた走る。
「あまりこの私を舐めるなよ……!」
背後から奴が鋭い殺気を放ちながらそう言うのが聞こえて寒気がした。
王宮殿に入ると、大きな白い柱がいくつも立ち並ぶ広大なエントランスに出た。青い床には血のように真っ赤な絨毯が敷かれ、両脇には上へと続く階段がある。柱も床も宝石のように美しい艶を放っており、どれも見たこともないような素材で出来ているようだった。
どうやら俺たちの他には誰もいなかった。俺たちは頷き合うとエントランスの両サイドに向かう。俺は入口から見て左側、アーガスは右側へ。入口の手前からは俺たちの姿が映らず、かつ時間停止の射程外の位置につけた。
俺は男のままで奴が入口に来るタイミングを見計らい、アーガスに合図をかけるつもりだった。奴がここに入った瞬間が勝負だ。アーガスでも発動に時間がかかるレベルの強力な重力魔法をかける。さすがにこれなら効くはずだ。そこで動きが鈍ったところに『アールリバイン』をぶつける。
奴の気が近づいてきた。あともう少しで到達する。
緊張が身を包む。おそらく一瞬の攻防で勝負は決まるだろう。
すると、奴の反応が急にそれた。入り口の方ではなく、その横の城壁へ向かっている。
なぜそっちへ行く? そう思ったとき――
!
――時間が止まった。
0.25秒 俺は見た。
0.5秒 クラムが壁をすり抜けて。
0.75秒 アーガスに向かって恐ろしい速さで迫るのを。
1.0秒 射程限界距離を明らかに超えていた。
1.2秒 このままじゃアーガスが――
1.3秒 助けないと!
1.4秒 早く動け!
1.5秒 動けよ!
1.6秒 くっ!
1.7秒 魔法じゃないと
1.8秒 間に合わない!
1.9秒 頼む!
――――
2.0秒 私の魔法――
2.1秒!
届け!
『ファルバレット』
時間停止解除と同時に放った風の魔弾が、既にアーガスの胸部を捉える寸前だったクラムの剣の軌道を少しだけ反らした。
それにより辛うじて致命傷は避ける形となったが、奴の剣はそのままアーガスの右腕を斬り落とした。彼の肘から先がくるくると宙を舞い――
――右腕から鮮血を噴き出したアーガスは、苦痛に顔を歪めその場にうずくまった。
「アーガスッ!」
「少し邪魔が入ったが、これで止めだ」
クラムが再び剣を振り上げる。
アーガスが殺されてしまう!
もう躊躇している時間はなかった。
私は光の矢を発動させた。奴の注意をこちらに引き付けるために。
異常な魔力の高まりを感じ取ったのか、奴の剣が止まる。
「――なんだそれは」
私は右手に弓を構え、左手から矢を出現させて引き絞る。
もう後戻りは出来ない。これを当てなければ負ける。
「見たこともない魔法だ――だが遅い」
!
――お前が時を止めることはわかっていた。
私がおそらく、どういうわけか広がった奴の射程内にいることも。
そして私の異常に強力な魔法を警戒したお前が、止めを刺すべくこちらに向かってくることも。
ついさっき気付いたある事実。
お前の虚を突ける可能性。それにはまさに命を賭ける必要がある。
――お前は私より強い。
普通にやっていれば絶対に勝てない。命を張らなければお前には勝てない。
だったら私は命を賭ける。アーガスを助けて、お前に勝つために。
身動きの取れない私に剣が迫る。
たとえ時が止まっても――
変身だけは出来るみたいだ。
私は俺に変身する。
直後、俺の胸に奴の剣が突き刺さった。
その剣は――
俺の胸先数センチのところで止まっていた。
――お前は止めを刺すとき、心臓を狙う癖がある。
普通なら攻撃は防げない。
だが、ただ一点。それだけなら気を高めて防ぐことが出来る。
お前は俺が心臓を守っていることに気付けなかった。
まともな修行を怠けて気を読めないままでいたことが仇となった。
そして――
時間だ!
俺は私になると、既に発動直前状態にしておいたその魔法を奴の目の前で撃つ。
光の矢よ! 時を貫け!
『アールリバイン』!
放たれた光の矢は――
!
――クラムの腹部を綺麗に貫通し、大きな穴を開けた。
奴は信じられないという顔をしていた。
そうだろう。時を消し飛ばしたのに当たったのだから。
避け切れない攻撃を受けたとき、お前は時を飛ばそうとする。普通に避けようとしていたならば、もしかしたら致命傷は避けられたかもしれないのに。お前はいつもの癖で反射的に時間消去を使ってしまった。
――お前は時間操作能力に頼り過ぎた。
だから負けた。
魔法の反動で力なくぺたんと座り込んだ私に、最後の執念とばかりにクラムが迫る。せめて私を道連れにするつもりのようだ。
でも無駄だ。お前はもう負けている。
「アーガス! 止めを!」
「おう……!」
片腕を失ったアーガスは、残る左手で彼の持つ最強の重力魔法を唱える。
「これで終わりだ! 『グランセルレギド』!」
超重力の黒い球が奴の頭上に現れた。
!
時間を止めたところで無駄な足掻きだった。私の攻撃で体力を失っている奴は、もはやあの魔法から逃れる力は残っていなかった。重力球は奴を引き付けると、ますますGを上げて奴の全身を粉々に砕く。
やがて魔法が消えたとき、奴はもう動くことすらままならない状態になっていた。
そっと近寄ると、奴は力ない声で搾り出すように言った。
「まさか、本当に足元を掬われることになるとはな……」
そして、満足したようにふっと笑う。
「だがまあ、お前のような者に負けたのは悪くない気分だ……」
英雄クラム・セレンバーグは静かに息を引き取った。
安らかに眠る彼の亡骸を見つめると、彼を倒したことを素直に喜ぶ気にはなれなかった。
イネア先生は、彼に剣士としての誇りはないと言っていた。確かにそれはそうかもしれない。だが、時間操作こそ使ったが、あくまでも彼は最後まで武人ではあり続けたと私は思う。彼は持たざる者だった。だからこそ手を伸ばせば届くものならばどんな力でも欲しかったのだろう。その気持ちはよくわかる。私もきっと似たようなものだから。
ただ彼はやり方を間違えた。彼は他の全てを踏みにじってまでも力に走ってしまった。だから道を踏み外した。
私は少しの間だけ静かに手を合わせて、彼の冥福を祈ることにした。
「仇は討ったぜ」
前を見ると、わずかに上を見上げたアーガスは、憑き物が落ちたように晴れやかな表情をしていた。