58「エデル突入作戦 3」
私は男に変身して気を操り、毒の治療に取り掛かる。竜たちが命を捨ててまでかばってくれたおかげでかなりブレスは軽減されていた。だから間もなく回復することが出来た。
犠牲になった仲間と竜たちを想う。最期の瞬間の知り合いの恐怖に染まった顔が脳裏に焼き付いていた。
――また助けられなかった。
それでも悲しんでいる暇も悔やんでいる暇もないんだ。戦いの中で人が死ねばいつだってそんなときばかりで。そんな場所に俺たちはいるから。立ち止まっていればまた誰かが死ぬだけだから。
俺は泣き叫びたい気持ちをどうにか堪えながら身体を起こした。
「助かりました」
『うむ。我は月の異常を知り、復活したエデルへその原因を感じ取りやって来たのだ。どうやらただならぬことが起きているな』
「はい。月が落ちようとしています」
『むう……やはりか。我らは原則的に世俗のことには不干渉の立場なのだが、世界がかかっているとなれば話は別だ。そこには我の縄張りも含まれておるからな』
炎龍は滞空しながらこちらを睨む黒龍の方へ首を向けた。
『既に死んでおるのを操っているようだな。あやつも本意ではあるまいに。我ら龍の誇りを汚すとは……!』
炎龍は怒りの唸り声を上げる。それから言った。
『生きておるのよりは二段は格が落ちるとはいえ、あれを相手にするのは少々骨が折れる。人の子よ。お主の目的はあやつを倒すことではあるまい』
「もちろんです。エデルへ入り込むことがひとまずの目的です」
黒龍を放置すれば被害は凄まじいものになるだろう。誰かが足止めするなり倒さなければならないが、俺の仕事はあくまでエデルに進入し、止めること。俺たちがこれを為さねば、その時点で未来はない。
『ならば我がその力となろう。まずはお主たちをエデルまで送り届ける。しかる後に我があやつの相手をしよう』
「ありがとう。炎龍」
『うむ――耳を塞いでいろ』
言われた通り両手で耳を押さえると、炎龍がグアアアアアアアアアアアア、と天まで揺るがす轟声を上げた。耳を塞いでいても鼓膜が破れるかと思うくらいの音量と、それだけで殺されるのではとさえ思わせるほどの気迫を伴った威嚇に小型竜たちは本能的に怯んだのか、次々と尻尾を巻いて逃げ始めた。
ただ一体、死体のまま操られている黒龍だけは機械のように反応を示さずその場で泰然と羽ばたいていた。
『これであやつ以外は障害とはならぬ。今のうちに向かうぞ。しっかり掴まっていろ』
炎龍が急発進する。一つ羽ばたくごとに、空をぐんと進んで行く。背後から黒龍が恐ろしい速さで追ってくるが、それでも生きている炎龍の方が身のこなしが滑らかな分少しばかり速いようだ。
埒が明かないと判断したのか、黒龍は再び霧のブレスを吐き出した。
「後ろから霧のブレスが迫ってきます!」
『ふむ。問題はない』
炎龍の後方に巨大な炎のシールドが作られる。それは襲い来る霧のブレスをいとも簡単に蒸発させてしまった。
俺は思わず目を見張った。これを大森林での戦いで使われていたら攻撃なんて一個も通らなかったんじゃないのか。つい尋ねてしまう。
「どうして俺と戦ったときにこれ使わなかったんですか?」
『あのときは我も冷静ではなかったのでな。あの仮面の女は我の力を半分ほどしか引き出せていなかった』
なんだって。三人がかりでやっと止められたのに、あれで半分なのかよ。恐るべきは龍の力ということか。
そのまま黒龍のブレスの射程からは離れ、俺を乗せた炎龍は黒龍から遠ざかりつつエデルのゲートへ向けて全速前進で進んでいく。
その途中でアリスたちと合流する。竜騎兵が散らばったことで、仲間たちは再び集まることが出来たようだ。だが既に約半数の七羽がやられ、残りは八羽となってしまっていた。やられたみんなを想うと心が痛む。
それでもカルラ先輩とケティ先輩、ディリートさんが無事であることにとりあえずほっとしてしまう辺り、身内びいきというものはどうしてもあるものらしい。
炎龍に沿うようにして飛び始めたアルーンの上から、アリスが叫んだ。
「ほんと見てられなかったのよ! 炎龍が助けに来てくれなかったら死んでたかもしれないわ!」
普段は声の小さめなミリアも、泣きそうな声を張り上げる。
「無茶ばかりしないで下さい! もしあなたに死なれたら、私は……っ!」
「本当にごめん!」
俺だって無茶な行動は出来ることならしたくはない。でも、俺はきっとまた必要な状況になれば命を投げ捨てる覚悟で飛び出してしまうだろうという気はした。だからもうしないとは言えなかった。
俺はアルーンの上に跳び移る。アーガスは理解を示してくれたみたいだった。
「まあ気持ちはわかるぜ。よく無事で帰ってきた」
そして彼は大声で全員を鼓舞した。
「エデルは目前だ! このまま突っ込むぞ!」
見れば、数あるゲートのうちの一つがすぐそこまで迫っていた。エデルまで進入できれば、逆にバリアや敵にとって重要な建物が邪魔となって黒龍は好き勝手に暴れることが出来ないはず。
だが追いすがる黒龍はそうはさせじと、黒龍の代名詞とも言える黒炎の火球を連続で放ってきた。黒炎は、高密度の魔素が凝縮された滅多なことでは決して消えない炎だ。人間レベルの魔法ではいかなるもの、たとえ水上位魔法の『ティルオーム』や水の守護魔法『ティルアーラ』をもってしても全く相殺できないほどの威力を持っている。それがアルーンが小さく見えるほどの大きさをもって何発も撃たれ、実に凄まじい速度で正確にこちらを狙ってくる。
炎には特に強力な耐性がある炎龍が身を挺してその大部分を何事もなく受け止めてくれた。だが全ては庇い切れなかった。さらに二羽が追加で被弾して、一瞬で燃え尽きてしまう。悲鳴を上げる間もなく、文字通り跡形もなく消えてしまった。
「ああ……!」
ミリアが顔を覆う。
『我があやつを抑えているうちに行け!』
炎龍からの言葉を受け取った俺は、みんなにそれを伝える。
「炎龍が今のうちに行けって」
「ちくしょう! 急げ! 炎龍の影に入るように進め!」
アーガスの号令で、六羽となってしまった俺たちは炎龍に守られるようにしてどうにか進む。
だが、そこにさらに追い討ちをかけるような出来事が起こった。
なんと、ゲートの上にもバリアが覆い始めたのだ。侵入者を阻む赤い光の壁が、空中都市への入口を塞いでいく。
「バリアが!」
アリスが頭を抱えたが、全員が同じ気持ちだろう。
――危惧していたことが起こってしまった。
実はゲートからすらも進入出来ないという可能性は考えていなかったわけではなかった。だが、他にどうしようもなかったのだ。一縷の望みをかけてここまで進んできたが、今やその道は絶たれてしまったらしい。
前方には鉄壁のバリア、後方には最強の黒龍。状況は絶望的だった。
「くそ! ここまで来てこんなのって……!」
振り下ろした拳に悔しさが滲む。目的地はもう目の前に見えているのに。多くの犠牲を払ってやっと辿りついたというのに。なのに、ここで立ち往生するしかないっていうのか……! このままじゃみんな黒龍にやられてしまう!
だがそのとき、皮肉にもこの状況に対する突破口を開いたのはその黒龍であった。
再度黒龍が放った黒炎の一部が、バリアに衝突する。
俺は見逃さなかった。
一瞬ではあるが、あのバリアに穴が空いたのを。おそらく炎が強過ぎるために、バリアさえ耐え切れなかったんだ。
「――見えた」
「どうしたの?」
尋ねるアリスに、俺は言った。
「今見たんだ。黒炎が一瞬バリアを打ち消したのを。つまり、非常に強い魔法を当てれば少しの間だけバリアは消える」
理解の早いミリアが、俺の言わんとするところを答えてくれた。
「なるほど。バリアに穴を開けて、その隙に突入しようということですか」
「言うのは簡単だが、やるのはかなり難しいぜ」
「でも、それしか道はない!」
そう言うとすぐに女に変身する。そして拡声の風魔法を使用する。
声よ。風に乗り届け。
『ファルカウン』
今から少しの間、伝えたい言葉は風が音を乗せて運んでくれる。
「みんな聞いて! 今バリアが覆ったけど、それを打ち破る方法がわかった。私は見たの! 黒龍の放った黒炎が一瞬バリアに穴を開けたのを! それを利用すればいい。次に黒炎がバリアに到達する瞬間に合わせて、全員でそこに向かって一斉に魔法を叩き込もう! 火魔法中心で! そうすれば一時的にバリアに穴が空くはずだよ! その隙に突っ込むんだ!」
当然私も魔法を撃つつもりだ。私だって、魔力消費の少ない風魔法なら撃てる。風は火の助けになる。
『我も力を貸そう』
黒龍の攻撃を一手に引き受けてくれている炎龍が頼もしく答えてくれた。今や物言わぬ死体であるのが仇となって、黒龍はこちらの作戦に感付きもしない。
『よし。火球が行ったぞ』
私は黒炎球の速度からタイミングを見計らって合図を取る。
「3、2、1……今だ! ラファルスレイド!」
「ボルアークレイ!」
「「ボルアーク!」」
私が特大の風刃『ラファルスレイド』、アリスが熱線『ボルアークレイ』、ミリアとアーガスがそれぞれ燃え盛る炎『ボルアーク』を放つ。
炎龍の火のブレス、そしてディリートさんのような純剣士を除く約二十人の魔法が、バリアの一箇所に一度に集中する。それは黒炎を中心とした相乗効果によって想像を絶する威力の合体魔法と化し、エデルの誇るバリアに修復が追いつかないほどの特大の穴を開けた。
「今だ! 行こう!」
バリアの穴は徐々に閉じていく。悠長にしている時間はなかった。
六羽の大鳥たちが弾丸のように穴へと向かっていく。それを追おうとする黒龍を、炎龍は立ち塞がるようにして止めてくれた。
カルラ先輩たちが乗った大鳥を先頭に、一羽、また一羽とバリアの内側へと入りこむ。最後尾の私たちが飛び込んだ直後、穴は閉じた。
――目に映ったのは、これまでの激しい戦闘が嘘のような静けさを放つ、無人の大都市の姿だった。見渡す限り立ち並ぶ建物はどれも昨日まで人が住んでいたかのように立派であり、それだけにまるで忽然と人だけが消えてしまったような、そんな不気味な雰囲気を醸していた。
私たちは半数以上もの尊い犠牲を払い、ついに空中都市内部へ進入することに成功した。