57「エデル突入作戦 2」
目標はずっと見えてはいるが、実際の距離以上に遠かった。エデルへ進むにはまず周囲を取り囲んでいる竜騎兵軍団を何とか掻い潜らねばならないからだ。奴らが黙って見ていてくれるはずはなく、一定のところまで近づけば激しく襲い掛かってくるだろう。そのとき、上に乗っている魔導兵はどういう攻撃をするのかわからないけど、少なくとも竜の方は炎を飛ばしてくると思う。小型竜とはいえ、『ボルケット』より上に相当するサイズの火球は吐いてくるはずだ。まともに当たればアルーンが危ない。
だが、ミリアがいるならば並みの炎については問題なかった。
「水の守護。かの者を包め。『ティルアーラ』」
アルーンを水のベールが包み込む。おそらく今述べた程度の炎なら数回は防ぎ切るだろう。
「これでとりあえずは」
「ありがとミリア」
飼い主であるアリスがお礼を言うと、アルーンも「クエエ」と嬉しそうに鳴いて感謝の意を述べた。
「さて。そろそろ敵も攻撃に移ってくる位置だぜ」
アーガスの言う通り、一番前を行く大鳥に早速竜騎兵が襲い掛かる。
「あれはジェガンの乗ってるやつだな」
「ジェガン先輩って魔闘技でアーガスと戦った人だよね」
「そうだ」
魔闘技個人戦準決勝でアーガスが戦った相手が、当時三年生で今四年生の男子学生ジェガンだった。先に決勝まで勝ち上がった私はその試合を観戦していたけど、非常に上手い魔法の使い方をする技巧派の魔法使いという印象だった。それなりの実力で、アーガス曰く「一応試合になるだけの力はあった」。実際、私以外でアーガスにまともな魔法を使わせたのは彼だけであり、アーガスのような天才がいない例年ならば優勝出来るだけの力はあった。
やはり小型竜は『ボルケット』超級の火球を吐き出していた。ジェガンたちは巧みに大鳥を操ってそれをかわし、竜の上に位置付ける。そこでジェガンが試合でも使っていた氷塊の上位魔法『ヒルディッツェ』が炸裂。空気の冷たい上空なので氷の生成も早く、敵が応じる前に特大の質量を持った氷塊が竜の頭上に落ちる。まともに食らった竜はひしゃげ、上に乗った魔導兵もろとも地上へ落下していく。
「やるじゃない!」
アリスが自分のことのようにガッツポーズを上げて喜んでいた。
「なるほど。別に殺すことにこだわる必要はなくて、とりあえずああやって落とせば良いというわけですね」
ミリアは冷静に分析しながらも、味方が無事に戦果を上げてくれたことに頬を緩めている。
「どうやらこっちにも来たみたいだよ」
私が注意を促す。前方には竜騎兵が見えていた。それも左側下方と右側上方に一体ずつ同時に向かって来ている。
「左はあたしに任せて。超高圧の雷よ。かの者を痺れさせよ。『デルネビリド』」
「右は私が。光の細刃よ。羽を切り裂け。『アールカロフ』」
狙い済まされた高速の雷が左の竜騎兵に当たる。超高圧のそれは竜の魔法耐性をも打ち破り、見事に感電させて一時的に意識を飛ばしたようだ。羽ばたくことを止めた竜はふらふらと落下していく。
右の方へは、やはり高速の光の刃が竜の左右の羽に向かって二つ同時に飛んで行く。切り裂くことに特化した細刃は、竜の羽において羽ばたく上で要となる根元の一部分だけを正確に裂き、羽のコントロールを奪った。こちらの方ももがくようにして落下していった。
だが、勝利を喜ぶ暇もなく。さらにたくさんの竜騎兵が襲い掛かって来る。一気に四体。前方、左右、そして後ろから追いすがってくる。上に乗った魔導兵もお飾りではなく、前方左右の三人がほぼ同時にこちらに向けて闇魔法『キルブラッシュ』を放ってきた。細長い針状の闇の弾が次々とこちらへ向かってくる。一つ一つは小さいが、何より数が多い。仮に羽に食い込めばこの空では致命傷となる。
アルーンは咄嗟に急上昇して間一髪でそれをかわしてくれた。
「あっぶないわね! お返しよ!」
アリスが『デルネビリド』でその魔法を撃ってきた敵のうち一体を落とす。
直後、こちらの真後ろに付けた竜から火のブレスが吐かれる。予めかけておいた『ティルアーラ』がそれを防いでくれているうちに、ミリアが『アールカロフ』でそいつを落とした。
それから何体もの敵が仕掛けてくる波状攻撃をどうにか掻い潜りつつ、アリスとミリアは各個撃破していくものの、竜の高い魔法耐性を上回る魔法を連発しなければならないことから、二人には徐々に疲れが見え始めていた。
目的地であるゲートに近づけば近づくほど、敵の密度は増していく。今や味方は追いすがる敵から逃れつつ戦うのに必死で、すっかり孤立状態に陥ってしまっていた。
「滅茶苦茶な数ですね。ちょっと対処仕切れないかもしれません」
額に汗を掻きながらミリアがそう言った。魔力は温存したいけど、このままではみんな危ない。私も動くべきだろうと判断して魔法を撃とうとしたとき、ここまで静かに魔法の準備をしていたらしいアーガスが制してきた。
「へっ。要はまとめて落とせばいいんだろ――いま見える範囲の全てに狙いは付け終わった」
アーガスがすっと手をかざした。
「加重せよ。『グランセルビット』」
瞬間、まさに目に見える範囲全て、実に数十体もの竜騎兵が次々と重力に負けて、押し潰されるようにして落下していった。今まで苦戦していたのがまるで嘘のような瞬殺劇に、私たち三人は喜びを通り越してすっかり感心してしまった。
「すっごい……」
「わーお。やっぱりアーガスって凄いわね」
「さすがです」
するとアーガスはいつものように天才を自負して満更でもない顔をするでもなく、ただやることをやっただけだと言わんばかりのすました真剣な顔つきで言った。
「向こうでクラムの野郎が待ってるのに、こんなところで足止めされてる場合じゃないからな。ただまあ、今のはそれなりに魔力を使ったからオレも今後は温存させてもらうぜ」
「十分よ。だいぶ見通し良くなったわ」
だがこのアーガスの活躍があっても、まだ数は向こうの方がずっと多かった。一対一では普通に勝つことが出来ても、複数、それも五体以上に囲まれると途端に厳しくなる。
そして、とうとう犠牲者が出てしまった。
「ああ! あっち!」
アリスが口を手で覆いながら指差した方向には、衝撃的な光景が映った。
「そんな……!」
先陣を切って多くの敵を引きつけてくれていたジェガンたちの乗った大鳥が、炎に包まれて落下していく。
それを始めとして、二羽、三羽と敵の魔の手にかかり始めた。他にも危なくなっている者たちがいる。
私はそれを黙って見ていられるほど大人じゃなかった。心には怒りとどうにかしなきゃという気持ちが湧き上がり、後先のことなど頭になく身体が動き出す。
「もう放っておけないよ! みんなを助けにいく!」
「おい! 待て!」
アーガスの静止も聞かずに、私は真下の付近にいる竜騎兵目掛けてアルーンの背中からダイブした。
「あのバカ! また何やってんのよ……!」
「ユウ! 無茶はやめて下さい!」
上からアリスとミリアの心配する声が聞こえる。私は心の中でごめんと謝りながら、それでもまた無茶をする。死んでも死なないこの命を張ることは、みんなに比べれば安い。
飛行魔法を覚えていて良かった。燃費が悪いけど、少しだけなら使える。
私は飛行魔法で上手く位置を微調整しながら、小型竜の背を目掛けて飛び込んでいった。着地の寸前に男に変身して、気力強化で落下の衝撃に耐える。命知らずの突然の来襲に反応出来ない魔導兵。近くだとぶよぶよになった死体の顔がよく見えてグロテスクだった。俺は瞬時に気剣を取り出して横なぎでそいつを斬り裂くと、落下するそいつを尻目に再度女に変身する。私の存在に気付いて暴れる竜の頭にしがみつき、かかった洗脳魔法を解除しにかかる。
乱れた魔素の流れを解除すると、竜はすぐに大人しくなった。私は竜に話しかける。
「私の言葉がわかりますか」
『おお。そなたは龍の言葉がわかるのだな。感謝する。そなたのおかげで正気に戻ることが出来た』
「お願いします。私を危ない味方の元へ。戦いで落下したときは受け止めて下さい」
『お安い御用だ』
私は再び男に変身すると、竜の背に立ったまま気剣を構える。魔力はあまり使えない。空では不自由だがこっちで戦うしかない。
突き進んでいくと、目の前には新たな竜騎兵が一体立ち塞がる。
「邪魔だ! どけ!」
生きた人間相手には抵抗があるが、元から死者の奴に対しては容赦なく剣を振るうことが出来る。俺はすれ違いざまに宙を飛び、魔導兵の首を刎ねた。そのまま味方になった竜に受け止められて着地する。敵の下の竜は操られたままだが、こちらに攻撃はして来なかったからとりあえず無視する。どうやら仲間意識からか、同じ竜に乗った者同士は攻撃しないようになっているらしい。
飛びはばかる敵を斬り付けながら、全速前進で味方の元へ向かう。目前に迫る大鳥はいよいよ窮地に陥っていた。間に合ってくれ!
ようやくナイフが届く距離にきた所で、俺はウェストポーチからスローイングナイフを取り出して正確に竜の腹へ投げつける。炎龍には全く効かなかったが、小型竜の場合はそれでも多少は効くと判断しての行動だ。予想通り一瞬動きが止まったところへ飛び掛り、乗っている兵を斬り落とした。すぐに女に変身して竜の洗脳魔法解除をし、男に戻って次の竜騎兵へと斬りかかる。それを幾度か繰り返したところで、ひとまずの危険は去った。
「ありがとう。でもあなた、ユウだよね……!?」
近づくと、私がころころと姿を変えながら戦うのを見てしまった知り合いの一人が戸惑いの声を上げる。確かにこんなの初めて見たら目を疑ってしまうだろう。
「説明は後。今からこの周りの竜は味方だから」
「そうなの?」
「うん。洗脳を解除したからね」
ふと見ると、アルーンとカルラ先輩たちの乗った大鳥が他の危ない大鳥を助けに向かってくれていた。これでとりあえずなんとかなるかもしれない。
捨て身の無茶な行動だったけど、ともかく今ので光明は見えた。トールはやっぱり私たちを始末したと思っている。まさか洗脳魔法を解除出来る器用な奴(私やアーガス)が生きているとは知らないから、それへの対策をしていないみたいだ。だったら逆にこうして徐々に竜を味方に付けていけば、敵の武器はむしろこちらの武器になる。魔力の問題もない。魔法解除なら相手の魔素を弄るだけだから、自分の魔力は使わないからだ。
――だが、そんな悠長な考えはトールの用意した次の一手で打ち砕かれることになる。
激しく動き回ったことで、奴はとうとう気付いてしまったのかもしれない。私たちが生きているということに。
私の正面にあるゲートからそいつは姿を現した。その巨体はあの炎龍を遥かに凌ぐ五十メートル級。漆黒のボディを悠々と誇るそれは、まさにかつてクラム・セレンバーグが倒したという伝説の黒龍グレアドラクロンに他ならなかった。
しかし、様子がおかしかった。巨体の内部には生命のものとは思えない無機質な魔力が渦巻いているのだ。
そこで男に変身して気を探る。やはり炎龍のときに感じられたような莫大な気は一切感じられなかった。
――まさか、こいつは正真正銘クラムが倒したやつじゃないのか。それを魔力で操って――
俺は英雄の真実に気付いた。
龍は誇り高く、本来は人里離れて静かに暮らす種族だ。わざわざ自分の縄張りを離れてサークリスの近くに襲来するということ自体が異常だった。それこそ、余程のことでないとあり得ないことなんだ。トールとクラムは、あの黒龍の体を手に入れるためにわざわざ誘き寄せたんじゃないか。何らかの手段を使って。
黒龍はどうやら俺に狙いを定めていた。その巨体ではあり得ないほどの超高速で飛行し、こちらへみるみるうちに迫ってくる。
「逃げろーーー!」
助けたばかりで今は俺の前方にいた味方に、ここから退避するように叫ぶ。しかし全ては遅かった。
霧のブレス。当たるもの全てを一瞬で溶かしつくす毒の強酸が霧のように噴射される、黒龍だけが持つ最強のブレスの一つ。それが無慈悲にも吐きつけられた。
俺は女に変身し、ただちに風の守護魔法『ファルアーラ』をかける。これが知る限り唯一霧のブレスの効果を軽減できる魔法だった。
だけど自分だけにしか間に合わなかったっ……! みんなは……!
先程会話したばかりの仲間たちが、大鳥ごと蒸発するように溶けてなくなった。目を背けたくなるような、悪夢のような光景だった。守護魔法だけでは心許無いと、私を守るため洗脳から解いた恩義から身を挺してかばう仲間の小型竜たちが、一匹、また一匹とやられていく。
ついに霧は私のところまで及んだ。乗っていた竜まで私をかばって溶け、それでもボロボロになった私は空を力なく落下していく。絶望の浮遊感が全身を包んだ。
竜たちのおかげで身体は溶けずに済んだが、毒がわずかに蝕んで身体の自由が利かない。
――ここで私は死ぬのか。
こんなところで。みんなを守ることも出来ずに。
真紅の龍が、空を猛然と駆けてやって来るのが初めて目に入ったのはそのときだった。龍は私の真下にまで来るとそこで止まった。私は背中の一番柔らかいところに落ちた。
――助かった。
未だ身体に力が入らない私に、炎龍は言った。
『約束通り力を貸しに来たぞ。人の子よ。どうやら間一髪間に合ったようだな』