45「気剣術のイネア VS 英雄クラム・セレンバーグ 2(イネア視点)」
私は舌打ちした。やはり正解だったか。最悪の正解だ。
時間を操作すると言ったが、正確には二つのことが出来るようだ。
一つは時間停止。私の心臓を狙ったときや、ナイフの結界から出たときに使用したものだ。射程は奴の周囲約十一メートル。この領域に何の対策もなしに踏み込めば即死が待っている。
もう一つは時間消去。ナイフがなぜか奴の後ろを通過していったときに使われたものだ。こちらもおそらく同じ時間だけ飛ばすことができ、その間に起こったことは奴に一切影響を与えない。
「貴女が初めてだ。今までこの魔法を見抜けた者はいなかった。何しろ、使用を一切悟られないからな」
「ふん。褒めているつもりか」
「ああ。マスター・メギルが言った通りだ。貴女は油断ならない」
奴は笑い出した。
「くっくっく。私は今満足している。これほどの強敵と出会えたことに。貴女を倒せば、より高みへと到達することが出来る」
私はその言葉を無視して言った。高みだのなんだのには興味がない。
「よくそんな魔法が使えるものだ」
奴は無視されたことはあまり気に留めない様子で答えた。まるで少し自分に陶酔しているような口ぶりだった。
「確かに私は魔法が苦手だが、唯一これだけは奇跡的に適合したのだ。まさに天の意志だった。この力で高みを目指せと。そして私は英雄となった」
なるほど。よくわかった。この男が妙にちぐはぐな理由が。どう考えても龍には敵わないであろうこの男が、最強の黒龍を瞬殺出来たわけが。時間を止めている内に心臓を一突きしたのだ。そんな卑怯な攻撃をされれば、どんなに強靭強大な奴であれどうしようもないに決まっている。
つまり、実力で勝ったわけではないのだ。単に時間操作魔法が凄かったというだけのことに過ぎない。剣の腕ではない。この男は強力な能力の上に胡坐をかいているだけの半端者だ。それで英雄だのなんだと持て囃されているのだとしたら滑稽なことだ。空しくはないのか。
私は侮蔑を込めて奴に指摘した。
「貴様はそんな能力で龍に勝って満足か。英雄と呼ばれて満足か」
痛いところを突かれたのか、奴は顔をしかめ少し声を荒げた。
「黙るがいい。貴女のような持つ者には持たざる者の苦しみはわからんのだ。どんなに剣を振るっても高みに届かぬ者の苦しみが。強くなるためなら、私はどんな力でも求めるさ。マスターを利用し、より高みへと行くつもりだ」
「一つ言っておく。そんなものは本当の高みでも強さでもない」
私は誠実な想いを込めて言う。これは剣士の誇りを失ってしまった奴への心からの忠告だった。
「チートだ。ずるをしているだけだ。貴様もいっぱしの剣士ならわかるだろう? そんな力のどこに誇りがある」
奴は素直に忠告を受け入れるには大人過ぎた。奴は肩を振るわせると、口元を歪めて声を張り上げた。もはや先程までの落ち着き払った堂々たる様はない。英雄という名の仮面が剥がれた瞬間だった。
「そんな偉そうな台詞はこの私に勝ってから言うんだな! どうせ不可能だろうがな!」
奴が剣を構えて猛然と迫ってきた。私は射程内に入らないよう距離を取りつつ作戦を考える。
さすがに引き付けて爆弾という同じ手は二度と通用しないだろう。
奴が不可能という通り、確かに形勢は非常に厳しかった。時間を操作するなどというとんでもない能力に直接対抗する手は浮かばない。奴がこの魔法を使っていないときを狙うしかないな。
何度か使用された状況から判断する限り、奴の魔法は連続しては使えない。一回ごとに少しのインターバルをとる必要があるようだ。ならば、奴に魔法を使わせる状況まで持っていき、時間認識が飛んだところで一瞬にして奴に迫れば――
奴に時間を操作させるには避けられない遠距離攻撃をしかけるしかないが……
爆弾はあと三つ。ナイフも残り二本。これが生命線だった。これが尽きれば私に勝ち目はない。しかも長引けば、それだけ射程内に奴を収めてしまう可能性が上がってしまう。
――次の一手で決めるしかないな。私は覚悟を決めた。
通常の限界を超えた気力強化をする。これは長くは保たず、使用後は反動で身体にガタが来るが、どうせここで決められなければ負けるのだ。出し惜しみはしない。
気を知らない奴には見えないだろうが白いオーラを身に纏った私は、目にも止まらぬ速さで奴を翻弄しつつ、爆弾とナイフを惜しげもなく投げていく。ちょうど先程隙を突いて逃げ場のない攻撃をしたのを、今度は自らのスピードを駆使して実現した形だ。
奴も私と同じだけ素の強さがあればこんな芸当は出来ないのだが、半端者に対しては上手くいったのである。
!?
やはり時間が消し飛ぶ。私は冷静に奴の位置を確認すると、最高速で後ろに回りこんだ。
この間一秒もない。まだ時間を操作するには少しかかる。
右手の気剣に最大限の気力を込めた。刀身が白から目の覚めるような青白色に変わる。
一撃で確実に仕留め切る。
『センクレイズ』
!?
――気付いたときには、私の目の前には既にこちらへ振り向き、剣を振り下ろす奴がいた。
なんだと!?
慌てて飛び退く私の肩に剣が食い込む。そのままわき腹にかけて綺麗に肉を切り裂いていく。
そんな、馬鹿な……!? なぜ……?
斬られた私は、その場に崩れ落ちるように仰向けで倒れた。
奴にとってもギリギリのタイミングだったのか、斬撃は比較的浅く、内臓にまでは及んでいないようだった。だが致命傷と同じことだった。ほんの少し命が延びたに過ぎない。私はもう立つことが出来なかった。止めを待つばかりだった。
流れ落ちる血を感じながら、私はユウをこの手で助けられなかったことが無念で仕方なかった。ふと師匠の顔が浮かんだ。
すみません。師匠。私は、本当に出来の悪い弟子でした。
クラム・セレンバーグはすっかり元の英雄然とした調子に戻っていた。
「連続での時間操作魔法の使用は日に一度しか出来ない。私にここまでさせるとはな。認めよう。我が生涯最大の敵であったと」
「…………」
「さて。このまま止めを刺しても良いのだが……どうせ貴女はもう動けまい。マスターが用意した余興に絶望しながら死んでもらうとしよう。この私を愚弄した罪は重い。楽には死ねんぞ」
「……余興だと。一体何をするつもりだ」
奴は私を見下すように嗤った。
「間もなくわかるさ。要するに、貴女たちはここに乗り込んだ時点で詰んでいたということだ。では、もうすぐ時間なのでな。私はマスターの元へ向かうとしよう」
奴が倒れている私に背を向けて遠ざかっていく。
絶望が心を支配したそのときだった。
なんとユウの反応が戻り、しかも動き出したのだ。
なぜかはわからない。
だが、私の心に再び希望の灯がともった。
「待て。貴様にもう一つだけ言っておく」
「なんだ」
奴が振り返る。私はこの戦いで感じた率直な思いを言ってやった。この男は時間操作に頼りすぎている。そこに大きな隙がある。
「覚えておくがいい。そんな能力に頼っていては、いずれ足元を掬われることになるぞ」
それを聞いた奴は、呆れたような顔で苦笑いをした。おそらくただの負け惜しみでも言っているのだと思ったのだろう。
「ほう。一体どう掬われるというのだ」
「そのうちわかるさ」
「そうかそうか。それは楽しみだな。はっはっは!」
高笑いを上げながら奴は去っていく。その後ろ姿を見ながら、私は奴に届く可能性を想った。
近距離攻撃主体の私では相性が悪かった。だが、ユウならば。あるいは仲間たちと協力して勝機を見出せるかもしれん。
あいつは弱くて情けないところもあるが、芯は強い子だ。あいつは相手がどんなに格上でも果敢に立ち向かっていく勇気と、心の底では諦めない執念を持っている。それが時々思いもよらない成長と爆発力を生み出してきた。
そんな姿をずっと見てきた私にはわかるのだ。
たとえ今は弱くとも、あいつは師と同じ立派なフェバルだ。この世の条理を覆す心を持っている。この先どんな困難が待ち受けていたとしても、あいつはきっと最後まで足掻くだろう。そして、どんなに傷付いても足掻いてしまうだろう。
そうなのだ。あいつは不器用で一生懸命で、少し見ていられないところがある。
だからこそ力になりたいと思うのだ。たとえ師との約束などなくても、あいつはもうとっくに私の愛する弟子なのだから。
私は気を使って傷を塞ぎ始めた。動けるようになるには相当時間がかかるが、何もしないよりはマシだ。
ユウが動いているのに、師である私が真っ先に諦めてどうする。形はどうあれ、せっかく奴が見逃してくれたのだ。何が起こるのかはわからないが、最期の瞬間まで諦めるな。全員をここから脱出させることに力を尽くせ。