36「仮面の女の正体(ミリア視点)」
私は仮面の女、いや彼女を追っていきます。この半年で改良された『ファルスピード』なら、彼女が使用する加速の時空魔法にも全く引けを取ることはありません。
やがて、追われていることに気付いた彼女は足を止めて振り返りました。
「あなた……くっくっく。一人で来るとは良い度胸ね。せっかくだからここで始末しておこうかしら」
そう言った彼女の一見邪悪そのものな嗤いや佇まいは、本人は気付いていないでしょうが、見る人が見れば実にわざとらしいものです。なぜなら、それは本来の彼女が持つ性質ではないから。
これまでは半信半疑でした。ですが、今回の事件によって私はとうとう確信してしまいました。それはどうしても信じたくなかった真実。出来ることなら嘘であって欲しかった。
それでもそれが事実であるなら、私は彼女を問い詰めなければなりません。なぜあなたはこうなってしまったのか。そして、出来ることならばもうこんなことはやめて罪を償って欲しいと思うのです。
意を決して彼女に指摘します。
「もういい加減にそんな演技をするのは止めたらどうですか?」
「演技? 何のことかしら」
あくまでとぼける彼女に、私は核心を突きました。
「だってそうですよね――」
カルラ先輩。
そう言った瞬間、彼女の身体がぴくりと動きました。震える手で仮面を頭の上にずらすと、その下からは見慣れた先輩の顔が現れました。
悲しいことに、やはり仮面の女は先輩でした。
先輩は信じられないという表情で問いかけてきました。
「なぜ……なぜよ……どうしてわかったの?」
私は推理を進めていくような体で答え明かしをしていきます。
「最初の違和感は魔闘技のときでした。先輩は試合中、最後の最後に決して使ってはいけない魔法を使ってしまいました」
おそらく『デルレイン』の威力に身の危険を感じ、意図せず咄嗟に使ってしまったのでしょう。普段使い慣れているからこその失敗です。
加速の時空魔法『クロルエンス』。仮面の集団で最も多く使われるロスト・マジックの一つです。
先輩は納得がいかないという顔で食い下がります。
「くっ。でも、あれは世間のどこにも公表されてないはずよ! 絶対に足が付くわけがない!」
「そうですね」
確かに、この魔法は世間一般では全く知られていません。しかも、効果も見た目だけではわかりにくいため、一度しっかり見たことがあり、その後よく調べなければ魔法の正体はわからないでしょう。
「ですが、私は知ってたんです。昔、親戚が仮面の集団に殺されるところを目の前で見てましたから」
「そう……そういうことだったの」
彼女は悔しそうに肩を震わせます。そんな些細な傷から足が付いてしまったことが相当悔やまれるのでしょう。
私は続けます。
「ただ、これだけなら偶然ということはあり得ました。珍しいですが、別に仮面の集団でなくても『クロルエンス』はごく一部に伝わっていますから。調べたら、確か先輩の家にも伝わっていたはずです。だから、最初はそれだと思ったのです」
「そうね……そうよ。だったらなんでわたしだってわかったのよ!」
声を張り上げた先輩に直接答えることはせず、話を進めることにしました。
「次の違和感は、先輩とは直接関係ないかもしれません。星屑祭二日目の朝に起こった殺人事件です」
「なっ!? あれも!?」
予想していたより先輩は驚きました。もしかしたら、あの場にいたのかもしれません。
「私はあの現場を少し遠くから見ていたんです。ロスト・マジック、爆発魔法『コレルキラス』が使われていました。そうですよね?」
先輩は何も言えずに黙ってしまいました。しかし、冷や汗をダラダラかいた顔から肯定と見て良いでしょう。
「この魔法。非人道的であるために十五年前に学会の裏で発表され、軍部でこっそりと実用化が進んでいたものでした。隠蔽工作もあったので少し大変でしたが、調べればどこが復元したものかはすぐにわかりました」
なおも無言の先輩は、すっかりうろたえていました。私は答えを突きつけます。
「トール・ギエフ魔法研究室。通称ギエフ研。ここにきて、疑惑は強くなりました」
「っ~! ヴェスターのやつ! これだから単細胞は……」
先輩から襲撃犯の彼の名が聞けたことで、もはや語るに落ちたという状態でした。そのまま続けます。
「三つ目。これは状況証拠です。先輩は、いつも私たちの行く先々に現れてはお節介をかけて行きました。それほど親しかったのに、仮面の集団と戦うときには常にいなかった。それは、先輩がそちら側の人間だったからではないですか?」
そこまで言うと、先輩は観念したかのように肩を落としました。
「……なぜそこまでわかっていながら、今まで何もしなかったの?」
そんなの理由は一つしかないじゃないですか。だって私は……!
「先輩が仮面の集団だなんて、信じたくなかったからです。先輩の明るい笑顔、何より暖かく私たち後輩と接する姿を見るたびに、そんなわけはないと思いました。私は甘いのかもしれません。それでも、先輩を信じたかった! みんなに話してしまうことで、先輩にあらぬ疑いの目を向けさせてしまうことが嫌だったんです!」
悲痛な気持ちでそう言うと、先輩は驚きで目を見開いて、少しの間何か思うところがあるように俯きました。それから、狂ったように高笑いし始めました。
「あっはっはははははははははは! 甘い! 甘いわ! 大甘よ!」
先輩は激昂してきました。
「あなたも、アリスも、ユウも、みんな甘すぎるわよ! あんたらわたしたちに歯向かってるって自覚ないんでしょ!? そうでしょう!? そんなだから、あなたたちは……!」
本当に言いたいことは伝わってきました。やっぱり先輩にも非情になり切れなかった面があったのです。先輩はまだ辛うじてまともな人間をやめてはいなかった。たとえ罪は許されなくとも、まだ戻れる位置にいます。
「ついに先輩は決断し、私たちを直接殺そうとしてきました。先輩自身のテントが狙われたのには一瞬驚きました。本当に死んでしまったのかと思いましたが、よく考えれば先輩への疑いの目を避けるための偽装工作ですよね。先輩だって、薄々気付いていたのでしょう? もしかしたら万が一自分が疑われているかもしれないと。だからあんな真似をしたんですよね?」
「ええそうよ! もう十分でしょう? 何が言いたいのよ!?」
仮面を被っていたときの冷静沈着な姿が嘘のように、すっかり素で取り乱してしまっている先輩。
私は尋ねました。捕まえる前に、どうしても聞いておきたくて。
「どうして、こんなことに手を染めてしまったのですか?」
先輩は暗い決意を秘めた目で、毅然として答えました。
「わたしには目的があるの。そのためならどんな犠牲だって厭わない」
言われて、私には一つだけ心当たりがありました。先輩が全てを捨てて悪魔に魂を売るほどのもの。それは――
「亡くなった恋人のことですか?」
図星だったようで、先輩は髪をかき乱し叫びました。
「だったら何だって言うのよっ!」
「――どんなに望んだって、死んだ人はもう返ってはきませんよ」
この言葉は、どうやら先輩の触れてはいけない部分に触れてしまったようでした。
先輩は、今まで見たこともないような大粒の涙を流して感情をむき出しにしたのです。
「うるさい! 黙れ! 黙れ! あの人にもう一度会えないのなら、わたしにはもう生きる意味がないのよ!」
そのとき、私はわかりました。先輩は、マスター・メギル――いや、あの男の口車に乗せられてしまったのだと。彼氏が亡くなって絶望していたところを、上手く利用されてしまったのだと。
だとしたら、先輩の悲壮な決意も、先輩がこれまでやってきた数々の悪行にもきっと何も意味がありません。先輩自身のためにも、早くこんなことは止めさせないといけない。
しかし、先輩への同情が、私の油断に繋がってしまいました。
はっと気がつくと、先輩は涙で目を真っ赤にしながらも、瞳の奥には冷酷な光を湛えていたのです。
「あなたは知り過ぎたわ――もう、死んでしまいなさい」
俺はやっとミリアのいた場所に追いついた。
そこにあるものに目を疑った。
信じたくなかった。思わず目を背けた。
もう一度見た。やっぱりそれはそこにあった。
――遅かった。
俺は慟哭を上げた。
ミリアが、石になっていた。