28「オーリル大森林魔法演習迫る」
星屑祭の事件から半年が経った。あれ以来、俺はアーガスがくれる情報を元に、イネア先生と共に仮面の集団の手足を潰していった。最初は抵抗があったが、今は必要ならば人も斬れるようになった。やむを得ず初めて敵を殺してしまったときは吐くほど辛かったけれども。ここは平和な日本ではないのだと、改めて知るようなことがたくさんあった。
しかし、手足を潰され、時にしっぽを切り捨てながらも、奴らの頭は依然として見えて来なかった。
奴らの正体不明の計画は、着々と進んでいたようだった。
そして、散々邪魔をする俺たちに業を煮やした奴らは、計画の完成を目前として、ついに本気の魔の手をこちらへ伸ばそうとしていた。
それをきっかけに、事態は大きく動き出す。激動の一週間が幕を開ける。
俺たちは未だそのことを知らない。始まりは二年生恒例の行事、オーリル大森林魔法演習から。敵は、学校の行事でイネア先生とアーガスのいないこのときを周到に見計らっていた――
演習前最後の授業は魔法史だった。トール・ギエフ先生が黒板を使って説明を続けていた。今日の内容は、近代史のポイントとなるミブディック戦争だ。
「――です。かくしてミブディック戦争は起こったわけですが、果たしてなぜこの戦争は起こってしまったのか。分かる者はいるかね?」
見回すと誰も手を上げていなかったので、なら授業をスムーズに進めるためにも私が答えようとさっと手を上げた。ギエフ先生は少し目を細めて、いつものように穏やかな調子で私を当てた。
「どうぞ。ユウ君」
「はい」
私は立ち上がって言った。
「対外上は内乱地域の平定を喧伝していましたが、その実態は魔法権益のための戦争でした。魔法先進国であるコレン共和国の時の宰相ボルクビッツ公爵による魔法禁輸政策が発端となり、ニーケルア帝国の魔法産業は大きなダメージを被りました。当時周辺諸国へと勢力を伸ばそうとしていた帝国にとっては、共和国の禁輸政策は非常に都合が悪かったのです。そこで帝国は、禁輸政策の解除とあわよくば関税自主権を放棄させることを目的として開戦に踏み切りました」
そこまですらすらと答えると、ギエフ先生は満足気に頷いた。
「ご名答。百点満点だよ」
席に着くと、隣のアリスがちょんちょんと肩を叩いて小声で囁いてきた。
「さっすが頭いいね」
「まあこれくらいはね」
「あたし、歴史だけはさっぱりなのよ。やっぱり魔法は使ってなんぼじゃない?」
「それは私もそう思う。でも、将来魔法の先生になりたいならこういうこともちゃんと勉強しないといけないんじゃないか? 確かこの辺りは教員免許試験の頻出分野だし」
「そうよねー。ま、頑張るわ」
あっけらかんと言った彼女に危機感や焦りは全くない。この楽観的なところが彼女の持ち味だった。彼女は、私と反対側の隣に座って黙々と何かを書いている銀髪の少女、ミリアにも声をかける。
「何やってるの?」
「これですか。ふふ。明後日から始まる楽しい魔法演習の計画ですよ」
「堂々とサボりとか、あなたも垢ぬけてきたわね」
「そうですかね」
この半年で一番大きく変わったのはミリアだろう。以前よりも明るくなって言葉を詰まり気味に話す癖がなくなった。その分隠れていた性格のちょっとした黒さが周知されて、今では腹黒美少女としてのキャラを確立していた。
オーリル大森林魔法演習は、四日間に渡って行われる魔法の実地演習だ。監督として数人の四年生が付き添うことになっている。まあ実地演習とはいってもそこまで厳しいものではなく、野営の訓練などのいわゆるお泊りがメインとなる。ミリアの言う通り、修学旅行のような楽しいイベントなのだ。
授業が終わって立ち上がり、うんと伸びをしていたところに、またアリスが声をかけてきた。
「やっと終わったね。明日はオルクロックに出発よ」
「オルクロックか。楽しみだな」
オーリル大森林は、サークリスから魔法列車で半日の距離にある最寄りの町オルクロックの奥に広がっている。現地までは各自で移動ということになっているのだった。私たちは三人で一緒に向かうことにしていた。
「ユウは、サークリスを出るのはイネアさんとの修行以外では初めてじゃない?」
「言われてみればそうだね。忙しかったからなあ」
瞼を閉じれば、日々の修練と闘いの思い出が至る所に蘇る。
「あたしとミリアも時々手伝ったけど、ここ最近ずっと仮面の集団と戦いっぱなしだったもんね。ちょっとは羽を休めないとばてちゃうよ」
その通りだ。いつも張り詰めていることが良いこととは限らない。この辺でしっかり休んで英気を養っておくべきだろう。
「うん。せっかくだから思いっ切り楽しむことにするよ」
「なら、私の計画が役に立ちますね」
横からミリアが話しかけて来た。
「さっきから言ってるその計画って何なの?」
「ふふ。それは行ってからのお楽しみです」
問うアリスに、彼女は口元に指を当てていつものちょっぴり黒い笑みを浮かべた。
夜は、いつものようにイネア先生との修行があった。先生は右手から気剣を出すと、左手で手招きして言った。
「かかってこい」
「いきます」
俺は左手から気剣を放出すると、果敢に飛びかかっていった。
剣を振り下ろすと、先生がぱっと消える。さすがに速い。
だが、俺は焦らず冷静に後ろに剣をまわした。背後から迫る先生の剣がぴたりと止まる。
「ほう。今のを止めるか。お前も大分動きが良くなってきたな」
「さすがにこれだけ鍛えてもらえば少しは強くもなりますよ」
動きも数段速くなった今なら、あのときのヴェスターなら爆風魔法を展開される前に懐に潜り込める自信がある。俺はまず変身なしで奴に百パーセント勝てるようにというのを目標にして鍛えてきたのだ。あの敗戦は本当に悔しかったから。
その後も何回も攻撃を防いだり防がせることは出来たが、こちらからの一発が決まらなかった。
「私のレベルにはまだあと一歩足りないな」
先生はそう言って稽古を締めた。
この壁が薄いようで厚かった。先生は既に超人といってもいい領域にいる。対して俺は、かなり強くはなったとはいえ、まだまだ人が辿り着ける位置に留まっていた。
だけど、俺には大きな武器がある。俺だけに備わるユニークな力が。
「そこは二つの身体を上手く使って頑張りますよ」
「そうか。だが、そんなものに頼らずともいずれは私を超えてみせろよ」
「はい。精進します」
俺にとって先生は高い壁であり、いつかは超えるべき目標だった。
「そうだった」
と先生は思い出したように言った。何だろうと思っていると、先生は奥へ向かってウェストポーチを持って戻ってきた。
「新しいナイフだ。一応持ってけ」
受け取って開くと、中には刃物を差すところがあって、スローイングナイフが合計十本差さっていた。
「前も言ったが、一応物に気を纏わせて強化することは出来る。これだと拡散はしないからな。といっても、これはどうしても近づけないときの非常手段だ。そこまで強くはない。あくまでメインは手から直接出す気剣だと心得ておけ」
「わかりました」
すると、先生はこほんと一つ息を吐いてそっけなく言った。
「ああ。あとそのポーチは手作りだ。大事に使え」
言い終わると、先生はほんの少しだけ気恥ずかしそうに顔を背けた。
そうか。俺のためにわざわざ作ってくれたんだ。
先生は地味に裁縫が得意だった。実は、今着ている変身に合わせて変化するこの便利な服も一から手作りだったらしい。とても男らしいサバサバした性格をしているけど、その辺りにそこはかとなく先生の女性らしさを感じるのだった。
「ありがとうございます」
「うむ。明日から演習なんだろう。気を付けて楽しんでこい」
「はい。行ってきます」
翌日。私たちはオルクロック行きの魔法列車があるサークリス駅ではなく、アリスの叔母さんの家に向かった。
「久しぶり。アルーン」
アリスが声をかける。目当ては、人が数人軽々と乗るくらい大きな体を持つ彼女の愛鳥、アルーンだった。アルーンは久々の主の帰還に嬉しそうに鳴いていた。
せっかくだから空の旅を楽しまない? という彼女の提案によって私たちはアルーンに乗って行くことになったのだ。彼女曰く、そこらの列車には負けないくらいのスピードで飛んでくれるらしい。
「話には聞いてましたが、本当に大きいですね」
ミリアは目を丸くしていた。私もアルーンに声をかけた。
「あのときはありがとね。お前がいなかったら、私は助かってなかったよ」
人語を理解する高度な知能を持ったこの鳥は、誇らしげに鳴いた。
私たちはかがんだアルーンの上に座った。一番前がアリス。後ろに私とミリアが続く。あのときは気を失ってたからわからなかったけど、毛がふさふさと柔らかくて体は温かかった。かなり乗り心地が良い。
アリスが拳を突き上げた。
「よーし。出発!」
「「おー!」」
「クエエ!」
アルーンに乗って。私たちはサークリスを離れ、一路オルクロックへと飛び立つ。
朝の定刻を告げる時計塔の鐘の音を背中に受けながら。