14「またね。ユウ」
心の世界。
何回お世話になっただろう。
俺は、知らないうちにこの場所でもたくさん元気をもらっていた。
目の前の、自分そっくりなこの女の子に。
「レンクスがいなくなってからもっと塞ぎ込むと思ってたけど、意外と立ち直り早かったね」
感心したみたいに言う「私」に、俺は頷いた。
「うん。だって、きっとレンクスはそんなこと望んでないから。ちっとも納得いかないけどさ。仕方ないんだって、そう思うことにしたよ――どこかで元気にやってるかな」
「きっとね」
気付くと、「私」は真剣な顔をしていた。
「あなたに伝えなければならないことがあるの」
「なに?」
「私」は俺をじっと見ながら言った。
「もうすぐここへ通じる道は閉じる。そうしたら、あなたはもうここには来られなくなるの」
「え……」
もう来られないって。じゃあ、まさか。
「そんな! 君までいなくなっちゃうの!?」
「私」はちょっと残念そうな顔をして、それからどこか嬉しそうな顔で頷いた。
「あなたはもう私がいなくても大丈夫。立派じゃないけど、一人でもなんとかやっていけるよ」
「いやだよ! まだ一緒にいてよ!」
「私」はそんな俺に同情的な目を向けてくれたけど、毅然として首を横に振った。
「本来、私たちはこのとき出会うはずがなかった者同士。運命のいたずらのようなものだったの。諦めて」
「でも! せっかくこうして会えたのに!」
泣きそうになる俺を、あやすように「私」は言った。
「それにね。しばらく会えなくなるだけだよ。私はずっとここにいるから」
「私」は俺の胸にそっと手を当てて言った。「私」の手はいつものようにあったかくて。ここにいるって確かに思わせてくれた。
俺の気持ちは落ち着いていく。お母さんに慰められたときのように。
ずるいよ。そんな風に言われたら、何も言い返せないじゃんか。
「いつかもっとあなたが大きくなったとき。力がちゃんと目覚めたとき。そのときにまたちゃんと会えるから。そのときはずっと一緒だよ。その日が来るのを、楽しみにしてるからね」
そっか。このお別れはしばらくの間だけで、大きくなったらまた会えるんだね。そしたら、もう離れないんだね。信じるよ。だったら、嫌だけど頑張って我慢するよ。
「うん。わかった。俺も楽しみに待ってる」
ふと、将来の自分についてちょっと気になった。
「そのときはもうちょっと男らしくなってるかなあ」
「うーん。それはどうかな。あなた、結構女々しい性格だからね。だからこそ私が生まれたんだし」
「うるさいなあ」
すると「私」は、面白そうにくすくすと笑った。
「そう言えばね。能力が目覚めたら、あなたは私の身体を使って好きに動けるようになるってレンクスが言ってた」
「え!?」
「つまり。あなたはいずれ女の子にもなるということ」
「はあっ!?」
なんだよそれ!
俺が、ほんとに女に……
『お前が女の子だったら良かったのにな』
レンクスの言葉が、呪いみたいに思えた。
これまで誰かに女みたいだって言われる度に、それが嫌で言い返してきた自分。
自分が男だって思ってたからだけど、その前提ががらがらと音を立てて崩れ去っていく。
今までこだわってたのが馬鹿みたいじゃないか。俺って、一体何だったんだよ……
がっくりする俺を、「私」はまあまあと宥めてきた。
すっかり止めを刺されて、もう何だかどうでも良くなってきた。女なら女でいいやって思えてきたよ。俺、可愛いってよく言われるし。泣き虫だし。いいもん。どうせ。
それに「私」の身体なんだったら、嫌だって言うのも悪い気がする。
「ねえ。もし女になってもちゃんとやれるかな」
「最初は苦労するんじゃない? まあそのときは私があなたの中に入り込んで、ちゃんと女の子として振舞えるように助けてあげるよ」
「そっか。助かるよ」
「私」はからかうように笑った。
「前にあなたがやっちゃったようにね」
「う。あれはもう忘れてよ」
辛さのあまり女になりきってしまったことを思い返すと、恥ずかしさがどっと込み上げて来た。
「無理無理。全部覚えるのが私たちの力だからねー」
「ううー」
恥ずかしいと思いつつも、俺は「私」の全部覚えるという言葉からふと、記憶が途切れるすぐ前、力が流れ込んできたときの嫌な気持ちを思い出した。
――力か。
自分たちを包む暗闇を見た。あのときと違って、今は何も感じない。静かな場所だった。
あれから何があったのかな。いや、たぶん聞かない方がいいんだろう。知らない方がいいこともある。
あの日を境に、色んなことが変わっちゃったから。
殺したいって思った。ぶっ壊してやりたいって思った。あんなに恐ろしい気持ちを持ったまま、まともでいられたわけない気がする。
きっと俺じゃどうしようもなくて、レンクスと「私」が助けてくれたんだと思う。それだけわかってたら、もう十分だった。
「大変な力だよね。もう使いたくないな」
「しばらくは使いたくても使えなくなるんだよ。おめでとう」
「それは嬉しいな。でも……」
「なに?」
その代わり、君と会えなくなるのはやっぱり嫌だな。
「君がいなくなったら、学校にしか友達がいなくなっちゃうよ」
「そういうもんだよ。普通はね」
「でもね。俺、ヒカリとミライとしか仲良く出来てないんだ。クラスのみんなとはまだ……」
不安になった俺を温かく包み込むような優しい目で、「私」はふっと微笑んだ。
「ここまで来たんだよ。あと一歩じゃない」
「だけど……」
つい弱音を言いそうになる俺に、「私」は首を小さく横に振った。
「あなたにはその一歩を踏み出せる勇気があるはずだよ。頑張って」
頑張って、か。レンクスもそう言ってたな。
うん。そうだよね。あと一歩だよね。
レンクスと「私」の二人分の頑張れを受け取って、俺は胸の中に熱いガッツが灯ったような気がした。
「わかった。やってみる」
「その意気だよ」
そのとき、もう時間がきちゃったってことが俺にもわかった。心の世界から今にも押し出されようとしている。
「じゃあ」
「うん」
「「またね。ユウ」」
次に会うのは大きくなったとき。たとえ覚えてなくたって、ずっと一緒にいる。寂しくなんかない。
黒い世界に、涙のかけらが飛んで行ったって。俺は寂しくなんかない。そう言い聞かせた。
――行こう。現実の世界へ。
レンクスと「私」に、俺はもう大丈夫だよって教えてやるんだ。