11「レンクス、バイトに向かう」
私とレンクスは、とある場所に向かって大通りを歩きながら他愛もない話をしていた。はたから見れば、保護者と子供が並んで歩いているように見えることだろう。あるいは、怪しい青年が子供を誑かしているようにも見えるかもしれない。
ちなみになんで私なのかというと、また横にいるこいつのせいだ。
「あのさあ。だから下らないことで一々私を呼び出さないでって言ってるでしょ?」
「下らなくなんかないだろ。働くとか超久しぶりなんだって! 優しく俺の背中を押してくれよ。な?」
「知るか。あんたが窓ガラス割ったからいけないんでしょうが」
そう。レンクスは、結局窓ガラスを割ったことへの責任を感じて嫌々ながらも短期のバイトをすることにしたのだ。というわけで、私たちは今工事現場に向かっている。工事にしたのは、彼曰く力仕事なら自分には簡単だし時給も良いからとのこと。
「ユウを助けるためだったんだからしょうがないだろ」
「それはとても嬉しかったけど。それはそれ。これはこれだよ」
彼は溜息を吐いた。
「はあ……『反逆』使って上手く金儲け出来ないかなあ。どうとでもなりそうなんだが」
「そんなこと許さないよ。あんな能力下手に使ったら目立って仕方ないから。大変なことになるよ」
「ちっ。わかってるよ。冗談だっての」
軽く舌打ちして肩を竦めた彼は、言葉とは裏腹に少し納得がいかない顔をしていた。もしや使うつもりだったのかと思って、一応追加で注意しておくことにした。
「もちろん工事現場でも普通にやらないとダメだよ。『反逆』使ってこっそり鉄骨浮かせたりとか絶対禁止だからね」
すると、彼はとぼけたような顔をして信じられないことを言ってきたのだった。
「あれ、ここじゃやっぱそういうのはまずいのか?」
ふざけんな。何がここじゃだよ。どこでもまずいに決まってるでしょ。誰かが見たら大パニックになるよ。
「あのねえ。少しは常識というものを覚えてよ。普通考えたらわかるでしょ?」
「そうか。オーケー。その常識、今覚えた」
あっけらかんと答える彼に、私は毎度のことながら呆れてしまった。この常識知らずで規格外な人は、一体何なのだろう。
「ところで、昨日はどうやって暮らしてたの?」
話題を変える。この間、彼がサバイバルのノリで自給自足の生活しているというとんでもないことを聞いたので、ちゃんと食べているのか心配だった。もし飢えているならこっそりご飯をわけてあげようかとも思う。
「ちょっくら近場の山に行ってたな」
「へえ。山菜でも採ってたの?」
「いや、それも時々やるんだが――」
彼の顔がぱっと明るくなった。
「こないだ図鑑で調べたヘビとかいうのがこれまた美味くてよ。まず毒のある頭を切り落として、それから血を抜いてだな――」
ジェスチャーをしながら語り始めた彼に、私は思わず額に手を当てた。本当になんなのこいつ。同じ日本に住んでるとは思えないよ。
これ以上聞いてるとこっちの調子まで狂いそうだったから、私はべらべらと楽しそうにヘビの調理法を説明する彼を制止した。
「……もういい。聞いた私が悪かったよ」
すると、彼は心外だとでも言いたげな顔をした。
「お前、馬鹿にしてるだろ? フェバルはサバイバル能力が必須なんだぞ。いつか絶対役に立つから今から覚えておいて損はないって」
「はいはい。考えておきます」
彼のこの言葉は実のところかなり親身なアドバイスだったのだが、右も左もわからない異世界にいきなり投げ出されるということを知らなかった私は、下らないと考えて真面目に取り合うことはなかった。
「そうだ。ほら、お前も食べるか? スズメバチ」
彼が懐から取り出したのは、瓶詰めにされたはちの子とスズメバチ成虫の死骸だった。それを見た瞬間、ぞわりと気持ち悪さが込み上げた。
「きゃあ! なによそれ! は、早くしまってよ!」
「ったく、美味いのに」
彼は残念そうな顔をすると、渋々それをまた懐に戻した。虫の姿が見えなくなって、ようやく私はほっとした。
交差点で止まる。信号は赤だった。たくさんの車が通るのを、レンクスはなぜか物珍しそうに眺めていた。
「あれからユウ、少しずつ元気になってきてるね」
「最大の癌である虐待がなくなったからな。その意味では、あの暴走は結果的には良かったかもしれない。部外者の俺じゃ、相当強引な手段でなければ解決は出来なかった。しかもこんなには上手くいかなかっただろう。何も出来なくてすまなかったな」
申し訳なさそうに肩を落とす彼に、とんでもないと思った私は言った。
「ううん。レンクスはよくやってくれてるよ。あなたの力がなければ、私もユウも今頃もっと大変なことになってた」
もしおじさんやおばさんが死んでいたら。もし彼らに記憶が残っていたら。今のように二人から気味悪がられるだけでは済まなかったことは間違いない。ケンとだって仲良くなれなかったに違いない。何より、あの事件が起こる前からも今もこうして親身になってこんなに力になってくれているのに、どうして何も出来なかったなんて思うだろうか。むしろ私は感謝の気持ちで一杯だった。
「そう言ってくれると嬉しいぜ――しかし、暴力を振るわなくなってもあいつらやっぱクズいな。そのうち出て行けなんて八歳の子供に言うことじゃないだろ」
「そうだよね。ほんと酷いよ」
中で聞いていた私は、このことに対しては心底憤慨していた。
「まあいい。今さらだしな。最近はユウも笑顔が増えて来た。もう少しだ。あとは学校で友達が作れれば言うことないんだがなあ」
「そこはまだ一歩勇気が持てないみたい。夢の中でいつも『だってみんなからかうし、嫌われるのが怖いんだもん』って。まあ、あれだけのことがあれば人付き合いがトラウマになるのはわかるんだけどね」
「そうか。まあこればっかりは本人次第だからな。元々人懐っこい素直な子だから、きっかけがあれば周りとも仲良く出来ると思うんだが」
「ゆっくり見守ろう。まだ時間は残ってる」
「ああ。そうだな」
信号が青になった。私が歩き出すと、レンクスはなぜか少し遅れ、まるで田舎者みたいに周りをきょろきょろしながら横断歩道を渡っている。変なの。
「この信号っていうの何度見ても慣れないな。ぶっちゃけ煩わしくないか」
とんちんかんなことを言い出した彼を、私は諌めた。
「何言ってんの。これがあるおかげで事故が大きく減ってるんだよ」
「それはそうなんだが……まあ個人的な感想だから気にしないでくれ」
「そう」
横断歩道を渡り切ると、目的地はもう近かった。ふと、レンクスが何かを思い出したように肩を落とした。
「ユウは本当に俺のこと兄ちゃんって呼ばなくなったな。ついに名前ですらあまり呼んでくれなくなったぞ。お前、お前って……それだけ慣れ親しんでくれたんだろうけど、お兄ちゃんはちょっと悲しいよ」
自分で言うお兄ちゃんの響きにきもいなと思いながら、私は思い当たる節を言った。
「私のあなたへの心象がアレだから、きっとユウにも影響が出てるんだよ。段々お前でいいやってなってるんだと思う」
「やっぱりお前のせいか」
「自業自得だよ」
やがて、工事現場の前についた。レンクスは手を上げて別れを告げた。本当に背中を押して欲しかっただけらしい。
「見送りサンキュー。じゃ、頑張ってくるわ」
「うん。頑張ってきてね」
レンクスを見送った私は、一人になった。ユウが戻るまではもう少し時間がありそうだから、ちょっとウィンドウショッピングでもしようかな。
後日、おじさんの家に差出人不明の封筒が届いた。中には十万円と、窓ガラスを割ってすみませんでした 虐待の事実を知る者より という内容の紙が入っていたという。おじさんは顔を真っ青にして十万円を握りしめると、その紙はすぐに破り捨てた。