9「ユウの能力の正体」
レンクスは、膝をついて気を失っているおじさんとおばさんの脈を確かめた。彼は、やれやれといった調子で言った。
「このクズ共、辛うじて生きてるようだな。あの状況でよく殺さないように抑えられたもんだ。俺の『反逆』は少し加減を間違えれば人くらい簡単に殺せるからな」
「ユウは、必死に衝動に抗ってたんだよ。本当はこんなことなんてしたくなかったはずなのに。おじさんとおばさんが殺そうとしてきたから……」
「わかってる。力が暴走したんだろ?」
私が頷くと、彼は溜息を吐いて続けた。
「万が一お前に与えた知識からあっちのユウが辿りつく可能性を考えて、あえて能力のことは黙っていたんだが……言わなくても結局使ってしまったか。すまない。読みが甘かった」
「そっか。レンクスは、こうなることを恐れて私に何も教えなかったんだね」
今なら彼の気持ちがよくわかる。こんなリスクがあるとわかっていたら、私だって知りたいとは思わなかった。
「ああ。だが、もう過ぎたことだな。能力は既に使われてしまった。こうなったら、お前には全部教えて一緒に対策を考えた方が良いだろう」
「うん。お願い。こんな危ない力、もう絶対今のユウには使わせないから」
「それがいい」
彼は再びおじさんとおばさんに向き合うと、怪我の様子を調べ始めた。二人とも見るからに重症で、果たして助かるのか心配だった。
やがて、彼がほっとしたような顔を浮かべた。
「よし。これなら治せる。さすがにこんな奴らのためにユウが人殺しになったら寝覚めが悪い」
「本当!? よかった。自分が殺してしまったって知ったらどんなに傷つくか心配だったから……」
「任せとけ。あいつに余計な罪悪感は背負わせねえよ」
「ありがとう……レンクス。何から何まで」
「おう」
彼は、両手で頬を叩いて気合いを入れた。
「よっしゃ! 治療のためにちょっと『反逆』使うぞ。気力許容性を弄るからお前の中で眠っているユウにも大きな影響が出るはずだ。しっかり抑えてろよ」
聞いたこともない言葉に、私は首を傾げた。
「気力許容性? 気力ってなに? もしかして、波ーとかやるあれのこと?」
私は、ユウがこっそり読んでいた漫画のことを思い浮かべていた。
「んー。まあ詳しく説明してもしょうがないな。とにかく気力という力があって、この世界における気力の限界値の基準みたいなものが気力許容性だ。で、治療にはこの気力を使うんだが、この世界は限界値が低すぎてこのままではまともに治療が出来ない」
「うん」
かなり意味不明であまり要領を得ないけど、とりあえず相槌を打った。
「だから、今から『反逆』で少しの間リミットを外す。そうしたらユウから力が溢れ出てくるはずだから、それが暴走しないように抑えてくれ。多分お前の心の世界の流れを抑える要領で出来るはずだ」
「よくわからないけど、わかったよ。やってみる」
とにかく、抑えればいいんだね。
「じゃあ、秒読みでいくからしっかり身構えてろ」
「オッケー」
私は心の世界に意識を向けて、その時を待つ。
「3、2、1、よし」
合図と共に、眠っているユウから莫大な生命エネルギーのようなものが迸り始めた。かなり強い力だ。
でも、抑えられなかった流れに比べれば大したことはない。私は、なんとかユウの力を抑え込むことに成功した。
私が内側に意識の大半を向けている間、彼は二人の治療に取り掛かっていた。
不思議な光景だった。彼が手をかざすと、それだけでみるみるうちに重症だった怪我が治っていった。まるで奇跡のようだった。
「これで大丈夫だろう。ついでに記憶も少し弄っておくか。ユウにとって都合の悪いものは消しておこう」
「そんなことも出来るの?」
「当然。伊達にユナ公認チートはやってないぜ」
得意気に口元を上げる彼が、本当に頼もしくて仕方なかった。
それから、彼はいたずらっぽく笑って言った。
「くっく。せっかくだから、トラウマだけは残しておいてやろう。今後ユウに何かしようとする度に、今日の恐怖が蘇ってびびり上がるだろうぜ」
「あはは。それ、最高!」
もしかしたら、これからもう虐待はされないで済むかもしれない。
――これで、やっとユウは救われるのかな。だとしたら、あなたがあんなに苦しんでまで頑張った甲斐はちゃんとあったよ。
おじさんとおばさん、そしてケンの治療と記憶改竄を済ませたレンクスは、ふうと一息つくと私に向かって言った。
「よし。出来る今のうちにやってしまうか。ユウ、でいいのか?」
「いいよ。私もユウだから」
「少しこっち来い」
「なに?」
手招きされるまま、彼に歩み寄る。そこで、彼はとんでもないことを言い出した。
「ちょっと服捲ってくれ」
「……変なことしないよね?」
「こんなときにしないって! 怪我の治療だよ。ったく、信用ないなあ」
「普段が普段だからね」
軽蔑を込めた視線を送ると、彼は決まりが悪そうに頭を掻いて苦笑いした。
こいつ、あれからもあっちのユウに会うたびに一々下らない理由で私を呼び出しては、過剰なスキンシップを図ろうとしてくるのだ。まったくもって油断ならない。
そういう経緯もあって少々嫌々ながら服をめくると、彼は身体に触れるか触れないかというところで手をかざしてきた。
すると、なんということだろう。怪我と一緒に、身体中に残っていた痣や傷や火傷の跡までもがさっぱり消えてなくなってしまったのだ。
あまりのことにぽかんとする私に、彼はにっとして鼻をさすりながら言った。
「へへ。女の子の身体はやっぱり綺麗でなくっちゃな!」
実感は少し遅れてやってきた。
「信じられない……一生残ると思って諦めてたのに……」
じわじわと喜びが込み上げてくる。少し泣きそうなくらい感動してしまった。
「嬉しいよ……本当に嬉しい。ありがとう。レンクス」
「さっきから礼ばっかりだぜ、お前。ま、どういたしまして」
少し話した後、話題はいよいよユウの能力のことに移った。
「さて。そろそろ話しておくか。お前たちに眠る能力の正体についてだ」
「待ってたよ」
レンクスは、一つ呼吸を置くと話を切り出した。
「最初は変身能力だと思ってたんだがな。お前とあっちのユウの身体を切り替える能力だ。どうも標準ではそれが発動するようになってるっぽいから、俺もつい見かけに騙されかけた」
「そうなの? でも、それだと」
彼は、私の考えていることを汲み取って続けた。
「ああ。心の世界という概念の説明が付かない」
「そうだよね。私は最初から、力はそこに眠ってるって知ってたよ。ずっと中にいたから」
「そうか……でだ。お前にそれについての話を聞いたとき、俺はむしろこちらがお前たちの能力の本質ではないかと睨んだ。なぜなら、フェバルの能力は俺の『反逆』のように非常に強力なものばかりだからだ。変身なんてチャチなものではあり得ないと思った。その点、心の世界というやつはとてつもないスケールを持っているようだからな」
「そうなんだ……それで、やっぱり私の力も強かったってことなの?」
元々中で感じていた強大さやあのユウの暴走を見て、まさか弱い力であるとは思わなかったが、問いかける形で尋ねてみた。
彼は強く頷いた。
「ああ。とんでもない能力だった。正直、この俺すら青ざめてしまうくらいにな」
私は耳を疑った。万能能力にしか思えない『反逆』持ちのレンクスですら青ざめてしまう能力とは、一体何なのだろうか?
「まず、お前も知ってるように、ユウが経験したことは一切漏れなく心の世界に溜まっていくだろ?」
「うん」
そもそも、私があなたに教えたことだからね。
「それだけならまだいい。だがな――」
彼の顔が少し険しくなった。私は、ごくりと唾を飲む。
「お前たちは、そうして取り入れたものを、原理上百パーセント己の力として扱うことが出来てしまうんだよ」
「なっ!?」
私は驚愕した。
でも、言われてみれば確かに思い当たりがあった。力を発動させたユウは、お母さんの投げ技とか、レンクスの『反逆』を使ってた。つまり、そういうことだったんだ。
彼は、私が少し落ち着くのを待ってから続けた。
「言うなれば、絶対記憶と絶対学習を足し合わせたような力だ。際限のない成長と自己の増大。それこそが、お前たちの能力の本質なんだ」
際限のない成長。それが不死の性質を持つフェバルの特性と合わさったとき、どんなに末恐ろしいものになるのかを、未だフェバルの運命を知らない私は知る由もなかった。
「へ、へえ。それってやっぱり凄いんだよね?」
レンクスは、心底呆れたように言った。
「凄いなんてもんじゃねえよ。ぶっちゃけ、ポテンシャルだけで言えば最強だ。しかもだぜ。恐ろしいのは、たとえそれがどんな凄まじいものであっても例外なく自らに取り込んでしまうらしいということだ。俺の『反逆』すら、ユウは一度食らっただけでいとも簡単に習得してみせた」
彼ははあ~、と息の長い溜息を吐いた。
「お前に協力してもらった実験では、そいつを確かめたんだ。俺の『反逆』でユウの中の『反逆』を発動させようとしてみた。効果は反重力作用だ。そしたら、しっかり発動しやがった。信じられねえよ。まったく、人の専売特許を簡単に奪いやがって。俺の個性がなくなるじゃないか……」
大袈裟にがっくりと肩を落とした彼に、本気で落ち込んでいるわけではないとわかっていても、微妙に申し訳ない気持ちになった。
「あー……なんか、ごめんなさい」
「いいさ。まあ、まだ全てを見せたわけじゃないから出来ることは相当限られるだろうしな。ただ、ユウが『反逆』で反重力作用を使いこなしてるのを俺はしっかりと確認したぜ。ああ。そんな簡単に使われたら、俺の立場が……」
「まあまあ。元気出してよ」
近寄って少し背中をさすってあげたら、たちまち飛び上がるように立ち直った。
「よっしゃ! お前に励ましてもらったら元気出た!」
こんなに露骨に私の励ましが効くのは、単純というかなんというか。本当に私のことが好きなんだな。この変態は。
一瞬にやにやした彼は、しかし顔をすぐに引き締めると続けた。
「ただな。この凄まじい能力には大きな弱点がある。あまりにも力が大き過ぎることそのものが問題なんだ」
「どういうこと?」
私にもなんとなく察しはついていたが、彼の方がずっと詳しいだろうだから素直に尋ねた。
「俺たちフェバルは、普通は能力の使用に問題なく耐えられるようになっている。己の資質に合った固有の能力に目覚めるからだ。だがな、ユウだけは例外中の例外だ。あらゆるものを呑みこんで、果てしなく成長を続ける能力に見合う資質など存在しない」
なるほど。確かにそうだ。事実、現時点でも明らかに容量オーバーだった。膨大過ぎる情報に耐え切れず、ユウの頭はパンクしかけていた。
「それに悲しいかな、お前たちの身体はあくまで普通の人間のものなんだよ。それなりの素質がないわけじゃないが、特別強いわけでもない。大き過ぎる力に、ただの人の身に過ぎない身体では間違いなく耐え切れない。だから、潜在能力だけは恐ろしく高いんだが、実際には自力だけではほとんどまともに力をコントロール出来ないんだよ。強過ぎるゆえに、使えないんだ。なんとも皮肉な話だよな。それでも、無理に力を使えば――」
「ああなるのか」
私は、ユウの暴走を思い返しながら苦い気持ちになった。
「そうだ。ああなる」
レンクスは一呼吸置いてから続けた。
「全力を出せばたちまち壊れてしまう。そのことをおそらく本能で理解しているから、ユウは無意識に己の能力に強いセーブをかけている。能力の発動を、安全に使いこなせるものだけに限っているんだ。そして、そのセーブの要となるのが――」
レンクスは、私のことを指さした。
「え、私?」
突然の振りに戸惑う私に、彼は頷いた。
「そうだ。心の世界に存在するあらゆる要素の中でも、特に親和性が高く負担の少ないお前を、ユウは無自覚にパートナーとして一つの形にした。自分の支えとするために。もちろん、環境的な要因もあっただろうけどな」
ユウが辛かったから、話し相手として呼び出されたのだとばかり思っていた。きっとそれも大きいだろうけど、本来はそんな理由があったんだ。
「デフォルトで変身能力が設定されているのは、ある種の防衛対応みたいなものだろう。身体を瞬時に作り変えるというのはかなり労力がいるが、その割には大したことはない。そういう、悪い言い方をすれば無駄なことにキャパシティを割り振ることで、結果として能力を安定させているわけだ。要するに、お前の存在によって、ユウは能力の乱用による無用な危険から守られている」
「そうだったんだ……」
私が生まれた意味がわかった。
私は、最初からずっとユウを支えることを目的にやってきた。その役割に疑いを持ったことはなかった。
だが、考えてみればそれは当たり前のことだったのかもしれない。だって、レンクスの話が正しければ、そうであるように求められて、そうであるように作り出されたのだから。
いつの間にか下を向いていた私を、彼は心配するように覗き込んできた。
「随分なこと言ったけど、傷付いてないか? 経緯はどうあれ、お前は既に立派な一人の人間だからな。それは俺が保証するぜ」
私は顔を上げた。別に暗い気持ちはない。
「ううん。大丈夫。むしろ自分のことがよくわかって気持ちを新たに出来たよ」
「そうか。何にしてもだ。ユウは別にお前のことをただ利用してるわけじゃないはずだぞ」
「そんなの当たり前でしょ。自分のことは、自分が一番良くわかってるよ」
ユウは一度も私を下に見たことはなかった。いつだって、もう一人の「私」として親近感を持って対等に接してくれた。
一緒に喜んだり、悲しんだり。色んな気持ちを分かち合いながらやってきた。
これからもこのまま「私」としてユウを支えることに何の躊躇いがあるだろう。絶対にないって言い切れる。
まあ散々呼び出す誰かさんのせいで、たまには外に出て日光を浴びたいかなとも思うようになっちゃったけど。
ふと見ると、目の前のその誰かさんはなぜか面白がりながら笑っていた。
「くっくっく。自分のことなのにわからないから、俺から能力について色々と聞いてるんだろ?」
「あ、そうだった!」
可笑しくなって、私も少し笑った。
能力に対する理解が進んだところで、話題はユウを守ろう作戦に移った。
「記憶を切り離しているから今日のことはとりあえず心配ないだろうが、そもそも根本の問題は、能力覚醒前にも関わらず、幼いユウがいつでも心の世界に行けてしまうことにあるな。何のきっかけで力に触れてしまうかわからない。非常に危険な状態だ」
「そうだね。私もそう思う」
「いつからだ? ユウが心の世界と繋がって行き来出来るようになってしまったのは」
「二か月くらい前だよ」
「へえ。俺が来たのとタッチの差なんだな」
「うん。レンクスが来たのはその数日後ってところ」
そこで、彼は少し考え込むそぶりをしてから口を開いた。
「繋がってしまった原因は、虐待による精神不安定だな?」
「そうだよ。助けを求める強い気持ちが道を繋げてしまったの」
「やっぱりそうか……だったら、逆に精神状態を安定させればまた道は閉じるんじゃないか? そうすれば、ユウが誤って力に触れることもなくなる」
目から鱗だった。それは単純だけど、かなり有効な発想に思える。希望が見えて、私は嬉しくなった。
「そうかもしれない!」
だが、当の提案をした彼は浮かない顔をしていた。
「ただな。道が閉じるってことはつまり、お前とユウがもう会えなくなるってことだ。お前がこうして外で歩くことは出来なくなるってことだ。それでもいいのか?」
私は、そのことについてはもう覚悟を決めていた。ユウが助かるならそれでいい。
「ちょっと寂しいけど、本来のあり方に戻るだけだよ。それにユウには、夢の中だけじゃなくてしっかり現実を楽しんで欲しいから」
「そうか。強いんだな」
「私が支えるんだから、しっかりしないとね」
胸を張った私を目を細めながら見つめたレンクスは、ぽつりと呟くように言った。
「あと三カ月」
「なに?」
「俺がこの町に居られる残り時間だ」
「それが過ぎたら、どこかへ行っちゃうの?」
「ああ。どうしても行かなくちゃならない」
そう言った彼の表情は、仕方ないという諦めに満ちた真剣なものだった。ここまで私とユウを助けてくれた彼が、下らない理由で私たちを残して行くとは考えられなかった。本当にどうしようもない事情があるのだろう。
私は、あえて問い詰めることはしなかった。
「そっか。寂しくなるね」
「そうだな」
少ししんみりしてしまった。
この空気をどうしようと思っていたら、レンクスが気合いを入れた声を上げて言った。
「だから、それまでに二人で協力してなんとかするぞ!」
つられて、私も似たノリで応じてしまった。
「おー!」
「嫌な思い出はもう消せない。ご丁寧に全部そっくりそのまま溜まってるからな。その代わり、楽しい思い出をたくさん作ってあげよう。辛いことなんか押し流してしまうくらいに。シンプルだが、それが一番ユウのためになると思う」
「そうだね。それがいいよ!」
「よし。決まりだ! 俺は現実で、お前は夢の中から。お互い頑張ろうぜ!」
「うん!」
私は、レンクスと軽く拳をぶつけ合った。こつりと、小気味良い感触がした。
このときから、ユウを守ろう作戦改め、ユウを元気にしよう作戦が始まった。
「ところで、窓ガラス派手に割ってカッコ良く入ってきたのはいいけど、あれの後始末どうするの?」
「しまった……必死だったから後先考えてなかった」
「そっか。それだけ急いでくれたんだね」
「まあな」
「で、もちろん直せるんでしょ? チートだもんね」
「一つ良いことを教えてやるよ。さすがの俺にも出来ることと出来ないことがある」
「……へえ。つまり?」
「不幸な事故ってことでここは一つ!」
「おいこら。じゃあ弁償していきなよ」
「残念ながら、お金なんて見たことないから無理」
「えー嘘でしょ!? じゃあどうやって生活してるの?」
「サバイバル生活こそ俺のジャスティスさ!」
「呆れた。アホなの? バイトしなよ。そして弁償しろ」
「……なんか突然急用が出来た気がするぜ! じゃあまた明日な!」
「あっ……もう。ほんと頼りになるんだかならないんだかわかんない人だな」