6「レンクスとユウ」
あれ? 急に眠くなったような気がしたんだけど。
知らないうちに自分のいる所が動いていることが不思議だった。
俺、何してたんだろう。
おかしいなと思った俺は、とりあえず目の前でなぜか楽しそうにしている兄ちゃんに聞いてみた。
「あのさ、レンクス」
「ん?」
「俺、さっきまで何してたの? レンクスに降ろされてからちょっと変だったような気がするんだけど」
「別におかしなことは何もなかったぞ。大丈夫だ」
「そうなの?」
「ああ。気にするなって」
レンクスはほんとに何も心配なさそうな感じで言った。だったら、平気なのかなと思う。
「そっか」
すると、兄ちゃんはにやにやし始めた。怪しい人みたいでちょっと気味が悪い。
「なあ。もう少し抱っこさせてくれないか」
「いやだ」
自分でもどうしてかはわからないけど、それがすぐ口に出てきた。兄ちゃんはわざとらしくうろたえた。けど、なんか面白そうにしている。意味わかんないよ。
「なんでだよ」
「なんとなく」
「なんとなくならいいだろ?」
「うーん……」
しつこいレンクスを見てるとどうしてかな。抱っこされるのは嫌な気持ちになってくる。でも、無理にダメだって言うような理由もない。まあ、おっきい人の中には俺みたいな子供を可愛がるの好きな人もいるもんね。
「わかった。いいよ」
そう言ったら、元々楽しそうだった兄ちゃんの顔がもっとぱっと明るくなった。
「こっちは結構素直なんだな」
「こっち?」
「何でもないぜ」
兄ちゃんはまた近寄って来ると、前と同じように俺のことを持ち上げて、顔を見つめてくる。今度は慣れた分前よりは恥ずかしくなかった。
顔が近くなると、兄ちゃんの顔がどこかにぶつけたように少し赤くなっていることに気が付いた。
「鼻のところとか赤いけど、どうしたの?」
そしたら、兄ちゃんは何か誤魔化すような怪しい感じで笑った。
「いやー。ちょっと転んじゃってな!」
様子がちょっとおかしいなと思ったけど、兄ちゃんの顔が赤い本当の理由なんてさっぱり知らなかった俺は、兄ちゃんの言ったことをそのまま信じた。
「大丈夫?」
「大丈夫だ。むしろ良かったというか」
ぶつけて痛いんだよね。一体どこが良いんだろう。
変なのと思っていると、兄ちゃんが俺の顔をじろじろと見ながら言った。
「しかし、こうしてみると本当に女の子みたいだな」
「うるさいな。気にしてるのに」
みんな女の子みたいだってそればっかりだ。そんなに男には見えないのかな。
「さすがユナのむすm……息子だ。いやー可愛いなあ」
兄ちゃんが嬉しそうに顔をすりすりしてきた。お母さんとお父さん以外にこれをされたのは初めてだった。ほっぺたが潰れるくらいこすれて鬱陶しい。
それから、可愛い可愛いって言われながらしばらくされっぱなしだった。頭を撫でられたり、また顔をすりすりされたり。ほっぺたにチューされたり。
かなりうざかったし、段々疲れてきたけど、兄ちゃんは中々放してくれなかった。でも、兄ちゃんが俺のことをとっても可愛がってくれてることはわかった。こんなにあったかいの、久しぶりだった。
やっと満足したっぽい兄ちゃんは、俺を降ろして頭を撫でながら言った。
「愛してるぜ、ユウ」
「うん」
あまり深く考えないでうんって言ったんだけど、そしたら兄ちゃんがまた急ににやにやし始めた。なんだろうって思ってたら、からかうように変なこと言ってきたんだ。
「お前が女の子だったら良かったのにな」
「なんだよ!」
どういうつもりで言ったのかはわかんなかった。けど、気にしてるって言ったのに、そんなこと言うなんてひどいよ!
怒った俺は、ぷいと顔を背けた。
「あー。怒っちゃったか。悪い悪い」
「ふーんだ。レンクスなんかもう知らない」
このとき、俺は普通に怒ったつもりだった。
なのに、なぜかこのむかつく奴はいきなり爆笑し始めたんだ。
「あっはっははははははは!」
信じられなかった。わけわかんないよ。こっちは怒ってるのに、なんで急に笑ってんのさ!
「もう! 何がおかしいんだよ!」
「いや、あはははは! あんまり反応が同じなもんで。やっぱ一緒だな! くくくく!」
「何が一緒だって!?」
「こっちの話だ。あははははははは!」
「ちゃんと答えてよ!」
結局、こいつはなんにも話さないで面白がってた。おかげで、思いっきりへそを曲げた俺の機嫌が直るまでにはかなり時間がかかっちゃったよ。
やっと俺と兄ちゃんが仲直りして、それから二人で色んなことを話した。兄ちゃんの話は面白くて、時間が経つのも忘れるくらいだった。気が付いたら、もう夕方になってた。
帰る時間になっちゃったけど、どうせ帰っても辛いことばかりだ。兄ちゃんと離れるのが嫌だった。けど、帰らないと何されるかわかったもんじゃない。
落ち込む俺に兄ちゃんは、最高のプレゼントをくれた。
「せっかく仲良くなれたわけだし、友達にならないか?」
そう言ってくれたんだ。
友達。ずっと欲しかったけど俺には出来ないって思ってた。年が離れてるのはちょっとだけ残念だけど、でもそんなの関係ないくらい嬉しかった。
「ほんと!? いいの?」
「ああ。ほら、友達の握手だ」
右手を出してきた兄ちゃんに対して、俺はついいつもの癖で左手を出しちゃった。それを見て、兄ちゃんが言った。
「左利きなのか」
「うん。こっちだったね」
右手を出し直して、今度こそしっかりと握手する。兄ちゃんの手は俺のに比べるとずっと大きくて力強かった。
手の感触がじーんときて、それで友達が出来たんだなって思って、俺は心の底から嬉しくてしょうがなかった。
「やった! すっごく嬉しいよ! よろしくね! レンクス兄ちゃん!」
――その瞬間、兄ちゃんがくらりとしたように見えた。
え? どうしたのかな。
「く~!」
兄ちゃんがそんな奇声みたいな声を出したと思ったら、俺はまた意識を失った。
私は、またまた現実世界に現れていた。もちろん目の前の人物の『反逆』とかいう能力のせいだ。
「こんなすぐにまた呼び出されるとは思わなかったよ。何の用?」
レンクスは、なぜかまるで子供のようにはしゃいでいた。
「ちょっと今の聞いたか!?」
私は頷いた。
おそらくレンクスが今あっちのユウにしてくれたことだろうと判断して、感謝の意を伝えようと思った。もちろん私もユウの味方だけど、彼は私のことは覚えていないから、彼の認識では初めての友達はこのレンクスということになる。これは彼にとって大きな一歩になったはず。私もとても嬉しかった。
「聞いてたよ。あっちのユウと友達になってくれたんでしょ? ありがとう。ユウ、凄く喜んでる」
ところが、そんなことはどうでも良いとばかりにレンクスはぶんぶんと首を横に振った。
「いやいや。聞いただろ。レンクス兄ちゃんだってよ!」
「それがどうしたの?」
私には、彼が何を言いたいのかさっぱりわからなかった。
すると、彼は物凄い剣幕で私に迫ってきた。
「良い響きじゃないか! ぜひお前の方からも聞きたい! 出来ればレンクス「お」兄ちゃんで頼む!」
その興奮し切った言葉によって、私は彼の目的がようやくわかった。と同時に、彼に対する評価はさらに失墜した。もう浮上することはないような気さえする。
「……正直に言ってもいいかな」
「いいぜ!」
私は大きく溜息を吐くと、声のトーンを下げて冷たく言い放った。
「呆れたよ。こんな下らないことのために私を一々呼び出すな」
「あ、ああ」
私の言葉でようやく我に帰ったのか、あるいは私にお兄ちゃんと呼んでもらえる希望を打ち砕かれたからなのか、彼のテンションは急激に下降していった。
そこで告げる。
「もう帰るから」
「いや、せっかく呼んだんだしもう少しくらいいてくれても……」
あくまで縋る彼に、私は最大限の軽蔑を視線に込めて吐き捨てるように言った。
「いいからさっさとあんたの能力で帰せ」
「お、おう……」
「あれ、また気が……」
気が付くと、目の前でがっくりとうなだれているレンクスの姿があった。
「なんでそんなに凹んでるの?」
「良いんだ。うっかり舞い上がっちまった奴の末路はこんなもんさ……」
すっかり落ち込んでいた彼は、やっと顔を上げると俺に確かめるように聞いてきた。
「お前は、俺の味方だよな?」
もちろん俺はうんと首を縦に振った。
「当たり前だよ。友達でしょ? レンクス」
「あれ、兄ちゃんじゃないのか?」
首を傾げた彼に対して、俺はふと気が変わったことを説明した。
「うん。やっぱり兄ちゃんって呼ぶのは変かなって。なんか普通にレンクスとかこいつとかお前で良いような気がしてきた」
「なぜだ」
「なんとなく」
「なんとなくならいいだろ?」
それに対する返事は、何も考えなくても他の誰かが言ったみたいに口からさらっと出て来た。
「いや、ダメだ――少しは反省しろ」
「ああ……もう落ち着くか。俺らしくもなかった」
俺たちは、お互い手を振りながらバイバイした。
「俺はしばらくこの町にいるつもりだから、会いたくなったらこの公園に来いよ」
「うん! またね、レンクス!」
帰り道は、いつもよりずっと足が軽かった。