3「金髪の兄ちゃん」
両親を失ったこと、親戚の家で虐待のような扱いを受けたことは、まだ小さかった俺に大きな心の傷を残した。
俺は、誰かに傷つけられたり嫌われることを異常に恐れるようになった。誰かが自分のそばから離れてしまうことを異常に恐れるようになった。
結局、十代も後半になるまでは、この心の傷は完全には克服出来なかったような気がする。
当時、教室でいつも暗い顔をして元気がなさそうにしていた俺に、わざわざ話しかけようとするクラスメイトはあまりいなかった。声をかけてくるのは、大抵はからかってくるときだった。女みたいだとか。
あのとき、俺はずっと一人だった。友達が欲しくて仕方がなかったことはよく覚えている。だが、自分から一歩を踏み出して人の輪に加わる勇気が持てなかった俺は、退屈で寂しい日々を過ごしていた。
俺は、公園で砂をいじっていた。服を汚して帰ったらまたおじさんに殴られてあの部屋に閉じ込められるから、気を付けなくちゃなって思いながらやってる。
それに飽きたら、蟻の列を眺めたりとか四つ葉のクローバーを探したりして暇を潰すんだ。日が落ちるぎりぎりまでは、いつも家には帰らない。あの家、嫌いだから。
一つ年下の俺に色々と命令してきて、言うこと聞かなかったら殴って無理矢理聞かせようとするケンの顔だって、なるべく見たくないし。身体も俺よりおっきいし、力もあるから嫌だって言って喧嘩したって勝てない。それにもし何かあったら、おじさんもおばさんもケンの味方だから。あいつには逆らえないんだ。
そのうちすることがなくなった俺は、公園のベンチに座ってぼーっと空を見ていた。人みたいな形をした雲を見つけた。
あの雲みたいに空を飛んで好きなところにいけたら、凄く楽しいだろうなあ。
ふと、ケンの部屋に置いてあってバレないようにこっそり読んだ漫画のことを思い出した。ヒーローって、みんな当たり前のように空を飛んだりするよね。
頭の中に漫画を読んだときのわくわくが蘇ってきて、俺はつい真似をしたくなって立ち上がった。
パンチとかキックをしながら、なるべく悪っぽく言った。
「そらそら、どうした。貴様の力はこんなものか?」
振り向いて、俺は気合いを入れるポーズをした。気分は地球を守る超戦士だ。
「負けるか! スーパー地球人だ!」
「なにいっ!?」
そして手の形を作って、必殺技を撃ち出した。
「食らえー! 波ーっ!」
「そんなバカな! うぎゃあああああ!」
「いたっ……」
大きく動いたから、ずきっとお腹が痛んだ。それで現実に戻されちゃった。
一人で何やってんだろう、俺。
しょんぼりしてまたベンチに座った。シャツをめくり、やっぱり出来ていたお腹の痣を見つめながら溜息を吐いた。どうして、俺はこんなに弱いんだろう。
そんなことを思っていたとき、公園の入り口に誰かがやって来た。
旅人みたいな変な恰好をした、金髪の兄ちゃんだった。外人さんかな。
兄ちゃんは公園の中に入って、こっちへゆっくりと近づいてくる。
もしかして、俺のところに来てる? 怪しい人?
俺は、学校の先生が言ってた「ふしんしゃ」かと思って、緊張でどきどきしながら兄ちゃんを見つめた。
近くまで来ると、兄ちゃんが言った。
「嬢ちゃん。一人で何してるんだ」
俺のどきどきは、嬢ちゃんという言葉で一瞬全部飛んだ。また女だって勘違いされた!
「俺は男だ!」
そう言ったら、兄ちゃんは頭を掻いて苦笑いした。
「そうなのか。悪いな。あまり可愛らしいから、女の子だとばかり思った」
「ふーんだ」
どうせ女みたいな見た目だよ。どうせ。
「ごめんよ。坊や」
俺はぷいっと顔を背けた。機嫌が悪いのもあるし、そもそも兄ちゃんは怪しい人だし。
「無視しないでくれよ」
「……知らない人に声かけられても答えちゃいけないって学校で言ってたもん」
すると、兄ちゃんはにやにやしてきた。
「しっかり答えてるじゃないか」
「あっ!」
しまった! はめられた!
「今のはなし! なしだからね!」
「わかったわかった。それに、俺は別に怪しい人じゃないぞ」
「怪しい人ほどそうやって言うって聞いた」
口を尖らせて言い返したら、兄ちゃんはやれやれと二つとも手を上げた。
「第一、何かするつもりならとっくにやってるぜ。誰も見てないわけだし」
言われて周りを見てみると、ほんとに誰もいなかった。俺は小さいから、兄ちゃんならその気になればどうとでも出来そうだった。なのにしないってことは、安心していいのかな。
「そっか。人攫いとかじゃないんだね」
「俺を何だと思ってんだよ……」
「ふしんしゃ」
「傷つくなあ」
兄ちゃんは、少しがっくりきたみたいだ。でもすぐに元に戻って俺に言ってきた。
「ぼくに少し聞きたいことがある」
「なに?」
「この近くに住んでると言ってたのに、誰に尋ねても知らないと返されて困ってるんだ――星海 ユナさんって人を探してるんだが、知らないか?」
意外な名前を聞いて、俺はびっくりした。
「え、お母さん?」
「なんだと!?」
兄ちゃんの方もびっくりして、俺のことをまじまじと見回してきた。
「お母さんと知り合いなの?」
「ああそうだ。言われてみれば、確かに面影があるな……特に目元があいつにそっくりだ」
きょとんとする俺を置いて、兄ちゃんは一人ではしゃぎ出した。
「そうか! あいつ、子供出来たのか! はは! 結婚とかするタイプじゃなさそうだったのになあ! ちくしょう、お前のお父さんが羨ましいぜ!」
そのままちょっと興奮した様子で俺に聞いてきた。
「坊や。お母さんは元気にしてるか?」
俺は、俯いて言った。
「死んじゃったよ。お母さんも、お父さんも」
「亡くなった!?」
今度は、兄ちゃんはまるでこの世の終わりみたいな顔をした。
「そんな、馬鹿な……あの、ユナだぞ。何かの間違いじゃないのか……?」
「事故で、死んじゃったみたい」
お母さんもお父さんももういないってまた意識したら、悲しくなってきた。
「あの何度殺したって死ななさそうなユナが、ただの事故で……まさか」
はっとした様子の兄ちゃんは、何かを確かめるように何度も手をかざした。それから目の前が真っ暗になったみたいにうなだれて、よくわからないことを呟いた。
「ほとんどの許容性が全くないだと……なんてところだ。これじゃ、あいつは本来の力なんてちっとも発揮出来なかったはずだ」
兄ちゃんは、肩を震わせながらとても残念そうにぽつりと言った。
「ちくしょう。勝手に逝きやがって。また会えるのを、ずっと楽しみにしてたのによ……」
「…………」
俺には、悲しむ兄ちゃんの気持ちが痛いほどよくわかった。俺にとってそうであるように、きっとこの兄ちゃんにとってもお母さんは大切な人だったんだ。
そのうち、落ち着いた兄ちゃんは俺に頼んできた。
「今度、両親のお墓に案内してくれないか。お参りしたい」
「うん。いいよ。きっと天国のお母さんも喜ぶと思う」
俺以外にお墓に来てくれる人なんか全然いなかったから、嬉しかった。俺はもうすっかりこの知らない兄ちゃんに心を許していた。
「そう言えば、まだ名乗ってなかったな。俺はレンクス。レンクス・スタンフィールドだ」
「レンクスか。やっぱり外人さんなの?」
「まあ、そんなもんかな」
「外人さんなんて初めて見たよ。日本語ぺらぺらなんだね」
褒めたのに、なぜかレンクスはちっとも喜ばなかった。
「まあな。お前の名前は?」
「ユウだよ。優しい子に育つようにってお母さんとお父さんが付けてくれた素敵な名前だから、とっても気に入ってるんだ」
「へえ。ユウか」
しみじみと俺の名前を呟いた兄ちゃんは、もっとこっちに近寄ってきた。
「よっと」
すぐ目の前まで来たら、俺はわき腹を抱えられて、簡単に抱っこされちゃった。
胸に埋められて、レンクスのぬくもりを感じる。どこかほっとするけど、一緒に顔も熱くなってくる。
「恥ずかしいよ……」
「子供は素直に甘えるのが一番だって。お前、随分と人恋しそうな顔してたぞ」
「うー」
違うとは言えなかった。寂しかったのはほんとだし。でもやっぱりなー。
「どれ、よーく顔見せてみろ」
「ん……」
さらに高く持ち上げられた俺は、ちょっと嫌だなと思いながらもレンクスに顔を向けた。近くで見た彼の顔はなんていうか、頼りがいのあるカッコイイ兄ちゃんって感じだった。
レンクスは俺のことを穏やかな顔で見つめてきた。
でも、瞳の奥を覗き込まれたとき、なぜかレンクスの顔が一瞬で怖いものになったんだ。
「!? お前、まさか……!」
レンクスは慌てて俺を降ろした。どうしたんだろうと不思議に思っていると、次の瞬間、俺の意識は途切れた。
気がつくと、私は自らの少女の身体を伴って現実世界へと現れていた。
「あれ、私……どうして」
おかしい。ずっとユウの中で様子を見ていたはずなのに。私が表に出てくることなんてあるはずがないのに。
「マジかよ……なんつう運命だよ……」
顔面蒼白な彼に、もしや彼が何かやったのではと思い尋ねてみた。
「レンクス。あなたがやったの?」
異様な事態に、私は心を許していた男への警戒心を強めた。
「そうだ。俺の『反逆』で、もし能力がある場合それを覚醒前に行使するようにした。本来理によって出来ないことに逆らって、出来るようにするのが俺の力だ」
「力……」
「そう。お前が持っているそれのような力だ。今度こそ嬢ちゃんでいいんだな?」
「そうだね」
私が頷くと、レンクスは大きく溜息を吐いた。彼の様子は、どこか嬉しそうでもあり、またそれ以上に悲しそうだった。
「効かなきゃ良かったのにな。まさか、お前がフェバルだとは思わなかった」
「フェバル? 一体、何を言ってるの?」
「今はまだ知るべき時期じゃない。子供のお前にはまだ早過ぎる話だ」
気になることを言っておいてはぐらかしてきた彼に、私は思わず声を張り上げた。
「どういうこと!? 私を引っ張り出して来て、何の用なの?」
わからなかった。最初はちょっと変くらいに思ってたけど、今のこの人からは常識では測り切れない何かを感じる。もし何かおかしな目的があるのなら、私がユウを守らなければいけない。
「ひとまず用があるのはお前じゃない。話があるのは、お前のもっと奥に居るであろう人だ」
「えっ!?」
耳を疑う言葉だった。私の他にも、まだ何かいるとでも言うの?
「いけるか……?」
彼の言葉の意味を問い詰めようとしたとき、私もまた意識を失った。
少女は、姿こそ女の子のユウであったが、醸し出す雰囲気は落ち着いた大人のそれのようだった。
「……よく、私がいることがわかったな。レンクス」
「予想だ。これでも、人生経験だけは豊富なんでね」
「さすが。やるねえ~」
少女は、不敵な笑みを浮かべながら腕を組んだ。
「奇妙な再会といったところかな」
そう言った彼女に、レンクスはこの日一番の笑顔を見せた。
「ほんとにな。とにかく会えてよかったぜ、ユナ。いや、正確に言えば、ユウの持つユナに関する情報が形を成したものと言ったところか」
ユナと呼ばれた少女は、腕を組んだまま静かに微笑んだ。