1「もういやだ」
また、楽しくないご飯の時間がやってきた。
食卓の向かい側には、いつものようにおじさんとおばさんがいる。俺は、いつものように従兄のケンの隣に座った。
今日は、ハンバーグか。
みんな大好きだよね。俺も大好きだけど、別に嬉しくも何ともないよ。
だって俺は、いつもおかずがほとんどもらえないんだ。全部ケンが持っていく。ちょっと羨ましいけど、文句なんか言ったら、おじさんに殴られるから。
ほんのちょっぴりのハンバーグで、ご飯を食べた。量が少ないから、すぐに食べ終わっちゃうよ。
「ごちそうさま」
そして俺はいつものように、おじさんと、おばさんと、ケンが食べ終わるのを待つ。
やがて、みんなごちそうさまをして、食卓を立ってどっか行っちゃったら、いつものようにお皿を洗うお仕事をするんだ。
お皿を洗うだけじゃないよ。服を洗うのも、掃除機をかけるのも、違うことも、全部俺のお仕事なんだ。
テレビで野球を観てるおじさんから、声がかかった。
「おい、ビール!」
「はい!」
俺はお皿を洗う手を止めて、冷蔵庫を開けた。そこからひやっとしたビールを見つけたけど、高くて中々手が届かない。なんとか背伸びして取ると、右手と左手で持っておじさんのところに持っていく。
「おい! 早く持ってこいっつってんだろ!」
いらいらしてる。応援してるチームが負けてるからだ。そんなにいらいらするんだったら、野球なんて観なきゃいいのに。
やっとビールを渡したら、グーで思い切り頭をゴチンとされた。すごく痛くて、頭を押さえた。
「お前は、お遣い一つもぱぱっと出来ねえのかよ!」
「……ごめんなさい」
「謝るだけだったら誰でも出来るんだよ! 役立たずめ!」
「…………」
「お前なあ、ここに住まわせてもらってるって自覚はあるのか? 言ってみろ。身寄りもなくなったお前を、善意で引き取ってやったのは誰だ!?」
「……おじさんです」
「だよな? だったら、もうちょっと感謝の気持ちを持っててきぱき動けや!」
「はい……」
頭も心も痛くて、すぐに動く気になれなかった。ほんのちょっとぼーっとしてたら、おばさんに怒鳴られた。
「なに休んでるの。まだ洗い物終わってないよ! さっさと戻りな!」
「すみません。すぐやります」
「ったく、あの女みたいな生意気な目してさ」
お皿を洗うために戻ろうとしていた、俺の足が止まった。
お母さんのこと、言ってるの?
「あの女のそういうところが、ずっと気に入らなかった。事故で死んだって聞いたときは、せいせいしたね。きっと罰が当たったんだよ」
俺は、おばさんのその言葉が、どうしても許せなかった。
「今の言葉、取り消してよ!」
「あら? 口答えする気?」
「お母さんは、罰が当たるような人じゃない! お母さんは、お母さんは……!」
いつも強くて、優しくて。あったかくて。
「お父さーん、ユウがまたあの部屋行きたいって」
俺は、怖くてぶるぶるした。あの部屋だけは、いやだ!
「またか」
テレビを観ていたおじさんが、ゆっくりと立ち上がった。
「悪い子にはお仕置きだね」
そう言ったおばさんは、まるでこないだ観た○○レンジャーの悪い人みたいな顔をしていた。
おじさんは、怖い顔をしながら近づいてくる。
「ごめんなさい……ごめんなさい!」
「だから、謝るだけなら誰でもできんだっつってんだろ! 何回言っても聞かねえ奴だな!」
おじさんに背中を掴まれた。必死に逆らったけど、おじさんの方がずっと強くて、無理やり持ち上げられて。
「いやだ! やだよ! おねがい! ゆるして!」
「うるせえ!」
おじさんに、お腹を強く殴られた。息が出来なくなるくらい苦しくて、胃の中のものを戻しそうになった。
しゃべる元気もなくなった俺は、そのまま連れて行かれると、電気も付いていない、暗くて小さな物置部屋に放り込まれた。そして、外から鍵を掛けられた。
こうなると、もう朝まで出してもらえない。ずっとずっと、この狭く暗くてむし暑い部屋の中で、怖い思いをしなくちゃいけなかった。
静かになると、ずきずきとお腹の痛みだけが残った。きっと痣になってる。
とっても惨めだなって思ったら、凄く悲しくなってきて。涙が出てきた。
でも、声に出して泣いたらまた殴られる。だから、服を口に押し当てて、静かに泣くしかなかった。
お母さんと、お父さんがいたときは楽しかった。
どうして、俺を置いて遠くへ行っちゃったの? どうして?
――もういやだ。
こんなの、いやだ。
どうして。どうしてだよ。
いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。
俺じゃない。俺は、いやだ。こんなの、いやだ。
こんなの、俺じゃない。
気が付くと、俺は真っ暗な空間に立っていた。
あれ。
ここ、どこだろう?
そのとき、俺の声とほぼ全く同じような声が、横から聞こえて来た。
「まだ、ここに来るときではなかったんだけど。どうやら、強い気持ちが一時的に繋げてしまったみたいね」
振り向くと、そこには――
「えっ!? 俺? いや、違う」
見た目も感じもよく似ていたけど、俺の目の前にいたのは女の子だった。
「誰なの?」
女の子は、くすりと笑った。
「誰だと思う?」
「わかんないよ」
正直に答えると、彼女は左手の人さし指で俺のことを指さしながら言った。
「私はあなた」
それから、指を返して自分のことをさして言った。
「そして、あなたは私」
「どういうこと?」
「ここは、私たちの心の世界なの。私は星海 ユウの、言ってみれば女の部分かな」
「女の部分?」
「覚えてないの? この前聞こえて来たテレビで言ってたよ。人の心には、誰でも男の部分と女の部分があるものだってね」
「へえ。そんなこと言ってたんだ」
「うん。それで、本来なら、私はユウの精神に影響を与えるだけの裏方なんだけどね」
だけど、と「私」は俺に優しく微笑みかけた。
「あなたが望むから、私は現れたよ」