18「星屑祭二日目 フェバルの運命」
待ってくれよ……
それって、どういうことだよ……
「死ね、ない……?」
トーマスは静かに頷いた。
「ああ。俺たちフェバルはな、なっちまった時点でいつまで経っても年は取らねえし、身体の方にも大きな変化はねえ。それに、何があっても絶対に死なねえんだ」
「そんな、馬鹿な……あり得ない……」
だって、現に私はいま息をしている。食事をとらないとお腹だって空く。胸に手を当てれば、心臓だって動いてる。それは生命活動をしてるってことだ。命を刻んでるってことだ。
なら、いつかは老いて死ぬのが当たり前じゃないのか!? それに老いなくたって、この心臓が止まれば死ぬのが当たり前じゃないのか!?
それが、死ねないなんて……
不老不死を求める人間なら泣いて喜ぶだろうけど、私にとってはぞっとすることでしかなかった。
「あり得ない、なんてことはフェバルになったら通用しねえぞ。おかしいと思わなかったのか? 例えばウィルだけどよ、奴は見た目は少年だよな。だが、奴が本当に十代かそこらに思えるか!?」
「確かに……思えませんけど……」
確かにあいつは、ずっと異世界を旅してきてる口ぶりだし、実際そんな様子だった。見た目こそ私とそんなに変わらないけど、遥かに長く生きているはずだ。
でもそれは、あいつが特別だからじゃないのか!? そう、イネア先生みたいに長命種だとか、あるいはあいつの特殊な力によるものなんじゃないのか!?
私は違う。ちょっと変な能力を手に入れただけの、普通の人間だ。普通に死ねるはずなんだ……!
だがそんな縋るような想いは、彼の言葉によって否定される。
「そうだろ! だが、それは奴が特別だからじゃねえ。フェバルはみんな、そいつになった時点の肉体を維持し続けるのさ。しかも死ねねえ。あんただって例外じゃねえよ」
「いや、でも……」
私はいつまでもずっとこの16歳の身体のまま。死ぬことが、出来ない?
どうしてもその事実を認めたくなかった。受け入れたくなかった。
何か抜け道はないのか。私がそうでないと思えるような何かは。
――そうだ。そうだよ!
必死になって考えた私は、最後の希望に辿り着く。
「だって私は、前に死にかけたことがあるんですよ! 何日間も何も食べられなくて、死にかけたんです! あの感覚が嘘だったとは思えません!」
私はあのままアリスに助けられていなかったなら、間違いなく死んでいたはずだ。なら、私は死ねるんだよ。きっと。
さあどうだ! やっぱり私は普通の人間じゃないか!
だが、彼は驚かなかった。
「そうだな……俺の言い方だと語弊があったか。正確に言うとな、死にはするぜ。怪我とか病気とか、あんたの言う餓死とかでな。死に方によっちゃ苦しいし、死ぬ時の独特な感覚だって味わえる」
「え……」
待ってよ。その言い方じゃまるで……
嫌な予感は、そのまま彼の言葉として返ってくる。
「けどよ、それは一時的な死ってやつよ。死んだところで、あくまでその世界では死ぬだけだ。次の世界で蘇っちまう。何事もなかったみてえにな」
さらなる絶望だった。ということは、自殺すら出来ないということになる。
私はくらくらとしてきた。
「どうして、そんなことに……」
「さあな。俺にもよくはわからねえ。だが俺たちフェバルの旅には、この宇宙にとって何か大きな役割があるんじゃねえかって、俺はそう睨んでる」
「役割……」
「そうだ。ちゃんと旅が出来るようにと、俺たちは何かに生かされてんだよ。その何かのことを、世界を渡るときに見える星が流れるような場所にちなんで、俺たちは星脈って呼んでる」
星脈……
確か、ウィルも一言だけそう言っていたような気がする。
私はトーマスに泣きつきそうになりながら尋ねた。
「どうにか、旅から逃れる方法はないんですか……?」
彼は当然ながら、残念そうに首を横に振った。
私は、完全に狼狽していた。
頭ではわかってた。そんな方法があるなら、彼はとっくにやってるはずだ。でも、聞かずにはいられなかったんだ。
「どうにもならねえな。俺だって最初はこんな運命、認めたくなかったさ。で、色々やったんだがよ、全部ダメだった」
彼は溜息を吐いて、続ける。
「例えば、頭完璧にいかれさせちまえば死んだのと同じで楽になるかと思ってやってみたが、無駄さ。旅にとって深刻な障害っつうか、そういうズルはどうも星脈様は許しちゃくれねえらしい。世界を跨げばなぜか元通りよ。狂っちまうことも出来やしねえ」
そして少しの沈黙の後、ショックで何も言えないでいる私に、彼はしみじみとこう言ったんだ。
「――あんまり長く生きてるとな。どいつもこいつも、精神がどっか壊れちまうんだ。擦れちまうんだ。耐えられねえんだよ。人様の精神は、長過ぎる人生を過ごすようには出来てねえってことだ。どうだ。この俺だってちっとはおかしいだろ? 自覚くらいあるぜ」
「………………」
おかしな恰好だったり、やたら躁状態になっていたり。確かに彼は、少しおかしいかもしれない。
思えば、エーナにしてもちょっと様子が変だったし、ウィルは言わずもがなだった。レンクスは……あいつは、私への執着の仕方がかなり異常だった。
――みんながみんな、それぞれに心の闇を抱えてるんだ。
そして私もこれから――
『ユウ。僕はお前が壊れていく様が見たい。擦り切れていく様が見たい』
私はウィルの言葉をまた思い出していた。
あいつは、私がいつか終わらない旅に心をすり減らし、壊れてしまうだろうことを知っていた。だからあんな風に言ったんだ。
あくまで何も口を開けない私に、彼は構わず続けた。
「――だが、これに関しちゃ星脈様は治しちゃくれねえ。きっと正常な過程による変化だからだろうな。俺たちはどっかしらおかしくなったまま、この宇宙をずっと彷徨うしかないんだよ。永遠にな」
そこまで聞いて、ようやく私はフェバルの運命を理解した。
どんな強い力を手に入れたって、こんな過酷な運命にはあまりにも釣り合わない。
だって。待っているのは、絶望しかないじゃないか……
これから先、何千年も、何万年も。いや、もっともっと旅が続くとしたら。
その間、私は知らない世界を延々と流され続けて。
それがどんな内容であったとしたって、疲れ切ってしまうに違いない。
私は、まともな人間でいられる自信がなかった。
いつか必ず私は壊れてしまうだろう。
回避不可能なバッドエンド。
いや。
それでも、旅は終わらない。
生は苦しみだって誰かが言ってたけど、その通りだ。
終わらない生なんて、地獄以外の何物でもない。
私は、その場にくず折れてしまった。
ウィル……あの野郎……なんてことを、してくれたんだよ……
なんで、私を予定より早くフェバルなんかにしやがった!
いくら後悔しても、もう遅かった。旅は、もう始まってしまったんだ。
ちくしょう! ちくしょうっ!
私は、固い地面を何度も殴りつけた。手の皮が剥がれ、血が滲むまで、何度も、何度も。
悔しくて。運命が憎くて。絶望で、涙が流れた。
こんなことになるなんて知ってたら。
私は、生きることを選ばなかった。
あのとき、死んでおけばよかった。
エーナに、殺されておけばよかった!
項垂れて嗚咽を上げる私に、トーマスはぶっきらぼうに声をかけてきた。
「あんたの考えていることを当ててやろうか。フェバルになっちまう前に、死んでおけばよかったと、そう思ってんだろ?」
私は顔を上げて彼を睨みつけた。憎むべき相手は、彼ではないのに。
「ああ、そうだ……その通りですよ……!」
「……エーナの奴もそうだな。ずっと運命を恨んでる。ただ、どうしようもないことをくよくよしてたって仕方がねえ。そうは思わねえか」
「……っ……あんたは、それでいいでしょう……でも私は、あんたみたいに強くはないっ!」
私は、希望がないとわかっていることに対して、そんな風にお気楽でいられるような人間じゃない。
彼は、少しばつが悪そうな顔をして言った。
「まあ……色々脅すようなことは言ったがよ。旅は、悪いことばかりじゃねえとは思ってるぞ」
ああ。確かに悪いことばかりじゃない。異世界に行かなければ、みんなには出会えなかった。
でも、それとこれとは話が別だ。
「そうかもしれません! でも、あんまりだ! こんなの、ひどいよっ……!」
涙が止まらない。
そうやって俯いて泣き咽ぶ私を見ていられなかったのだろうか。トーマスはしゃがみこんで私に目線を合わせてきた。
「いいか。泣いたままでいいから聞きな! 要は捉え方の問題だと思うぜ。確かに、事実としては終わらねえ旅だ。いずれは疲れ切ってダメになっちまうし、それでも休ませてはもらえねえ。俺もあんたもな。そういう意味では、お先真っ暗なのは確かだ」
そうだろう! 私にはそんな拷問のような人生なんて、耐えられない。
「だが、先がどうであろうと、過程を楽しむことは出来るぜ」
――過程を、楽しむことは出来る。
私はその言葉に心を打たれた。
顔を上げると、そんなカッコつけた台詞はどうも似合わない、ヒゲ面のおっさんの顔が目の前に映った。
「俺たちフェバルは、みんな生きがいを持つようにしてるんだ」
「生きがい……」
「そうだ。例えば俺は、傍観者として世界を眺めることを生きがいにしてる。あんたの知ってる奴で言えば、レンクスは同じフェバルとの仲間付き合いを生きがいとしてる。エーナは、フェバルになる予定の奴をこの運命から救ってやることを生きがいにしてる。そうやって、自分の核となるものを見つけてよ。そうすりゃ、結構長い間は自分を見失わずにはいられるぜ。それに、たまにこうやってお仲間に会ったりしてよ。そういうのも、変わっちゃいるけどよ、案外楽しいもんだぜ」
「………………」
「なあに。身体が死ぬのと、心がゆっくり死ぬのと。それだけが、普通とは違うだけだ」
はっとした。
その通りだと思ったんだ。
フェバルの残酷な行く末だけを考えて、すっかり絶望してしまっていた。
でも、よく考えてみれば、普通の人生だってそうだ。結果だけを見るならば、最後には死んでしまう。後には何も残りはしない。それは、ある意味で絶望でしかない。
なのに、どうして必要以上に悲観したりはしないのか。それは、生きる過程こそが人生だからじゃないのか。
生きがいを見つけ、過程を楽しむこと。
その点において、普通の人生も、フェバルの人生も、やるべきことは何も変わらないということに気がついた。
違いは、生がいつかは終わるのか。ずっと終わらないのか。
そして彼の言う通り、普通の人間は心が死ぬより先に身体が死に、フェバルは身体が死ぬより先に心が死んでしまう。
ただ、それだけなんだ。逆なだけなんだ。
――その違いが、非常に大きいとも思うけれど。事実としては何も変わらないし、辛いことには変わらないけれど。
それでも私は、涙を拭いて立ち上がった。ほんの少しだけ、希望が持てたんだ。今はそれで十分だった。
「お、泣き止んだみてえだな!」
「すみません。取り乱したりして……」
「仕方ねえよ。だが、あんたも生きがいだけは持った方がいいぜ――ウィルの奴だがな。奴は他の奴らと違って、どうしても生きがいが持てなかった」
「そうなんですか?」
「ああ。奴は、昔はもっと純粋な奴だった。気持ちの良い奴だった。あんたのように世界に根付いて暮らしてよ。強力な能力を、その世界の人のために役立てることに使ってたんだぜ」
「あの、ウィルが……?」
信じられない。あいつにそんな時期があったなんて。
「だが、あまりにも長い旅が奴をおかしくしちまった。一体いつからああなっちまったのかはわからねえ。ただ純粋だっただけに、反動も大きかったのさ。奴は、破壊者になっちまった」
ウィルの冷め切った目の理由が、わかったような気がした。あいつこそ、心をすり減らして壊れてしまった、そんな哀しい存在だったのか。
「奴はな。普通に生きて死んでいく、普通の感情を持つ人間が憎いんだよ。そして何より、星脈そのものを憎んでる。だが、その憎いって気持ちすら長い時の中で擦れちまって、どうしようもなくなっちまってる。そもそも星脈への憎しみを、どこへぶつけたらいいかさえわからねえ。奴は世界や同じフェバル、そういう奴にとってはつまらねえおもちゃで遊ぶしかやることがねえのさ……」
そう言って、彼は寂しそうな目をした。
「だから、奴は大馬鹿野郎だとは思うがよ。奴の気持ちも、わからないでもねえんだ」
話を聞いて、私もあいつに同情してしまっていた。あいつにこんな感情を向ける日が来るとは思わなかったけど。
ただ、同情は出来るけど、あいつがやっていることを絶対に許すことは出来ないとも思うのだ。
トーマスは私のことをまっすぐ見つめると言った。
「ユウ。あんたはフェバルとしてどう生きる。どう生きたい」
その問いは、まだ難し過ぎて答えられなかった。
「……わかりません。こんな話を、聞かされたばかりですから」
「まあそれもそうだな。その答えをゆっくりでもいいから、見つけるといいぜ。でないと、いつか奴のようになっちまうかもしれねえぞ。あんたと昔の奴は少し似てるからな」
似てる? 私とあいつが……?
どう似ているのか気になったが、その辺の話を聞く前に彼が話を終わらせてしまった。
「よし! 長くなっちまったな! 話はこれでおしまいだ! 俺はまた傍観者に戻るとするぜ!」
「……色々と教えて頂いて、ありがとうございました」
私は取り乱して散々失礼なことをした分の謝罪の気持ちも込めて、彼に深々と頭を下げた。
「おうよ! 俺はこれから隣の国へ行ってみようと思ってるぜ。もうこの世界じゃ会うこともないだろうよ。またいつかどっかで会おうぜ!」
彼が印を結ぶと、またあの浮遊感が発生した。
気が付けば、私だけがコロシアムの前に立っていた。
時間が経っていた以外は、周囲の様子は何も変わりない。トーマスの姿もどこにもなかった。まるで向こうでの話が夢であったかのような錯覚さえ覚えてしまう。
あれ、手が――
あれだけ地面を殴りつけてボロボロのはずだった手は、いつの間にか治っていた。
彼が、私を飛ばすときに一緒に治してくれたのだろうか。
トーマス・グレイバー。強い人だと思った。能力もそうだけど、心が強いと思った。私が彼のように強くなれる日は、来るのだろうか。
私は、フェバルの運命を知った。余りにも残酷な真実を。
これから、何のために生きるかは難しい問題だ。まだまだ私には見えていないことが多い気がするし、正直言われただけのことで実感が伴っていないというのもあった。
だから、まだどうしたらいいかなんて全然わからなかった。
でもトーマスの言う通り、生きがいについてはこれからゆっくり考えていけばいいと思った。
何せ時間は、永遠にあるのだから――
私の中に、自嘲にも似たどす黒い感情が込み上げるのを感じた。
――とりあえず、今は出来ることをしよう。
ウィルが残したという危険因子を警戒しながら、これまで通り気や魔法の修練に励みながら過ごすこと。それが今の私に出来る精一杯のことだ。
修行するのは、今度は私が強く生きるためじゃない。私はどうせ死なないらしいから。いや、死にはするんだったか。
あいつ絡みで何かあったときのために、出来るだけの力が欲しい。そう思った。
なんだ。結局私のすることは、大して変わらない。
そうだよね。運命を知ったところで、それは遠い先のこと。今ここにいる私が変わったわけではないのだから。
――行こう。
午後には魔闘技の予選が待ってる。そろそろご飯食べないと。
私は、俯いたまま歩き始めた。