16「星屑祭一日目 星屑の空に願いを」
レストランを出た頃、空は既に暗くなっていた。
今日の魔法灯は、普段とは違ってそれぞれ一色ずつ、合計で七色の光を灯している。
「ねえ、ユウ。もう少ししたら星屑の空が始まるよ!」
「うん」
アリスは余程楽しみらしく、いつもよりはしゃいでいた。
星屑の空。星屑祭の代名詞であるイベントだ。一日目の夜にサークリスの上空に大規模な魔法をかける。すると空にある無数の星々が、その日だけはいつもよりずっと鮮明に輝くという。
「人が、混んでますね」
ミリアが疲れたような顔で呟いた。
年に一度、星屑祭初日限りのこのイベントは、ロマンチックなこともあって大人気である。各々の通りは、輝く夜空を一目見ようとたくさんの人でごった返しているのであった。
「そこでよ! あたしは考えたのよ! 人に邪魔されず、ゆったりと星空を楽しめる場所はどこかってね!」
「行こうか」
「はい」
「あ! ちょっと! もう少しなんだから、最後まで聞きなさいよー!」
ハイテンション過ぎてうるさいアリスを若干スルーしつつ、人を押し分けながら私たちはアリスの考えた目的地に向かう。
その場所とは。
「どうよ。学校の屋上は中々の穴場でしょ!」
「これは盲点だったよね」
「空いていて、いいですね」
サークリス魔法学校の第一校舎の屋上だった。この学校、現代日本の学校ほどセキュリティが厳しくないので、実験器具が多くて管理が厳重な第二校舎はともかく、主に講義室が占める第一校舎ならば、実は入ろうと思えば簡単に入れてしまう。
だけど、私たち学生の他にわざわざ入ろうと考える人なんていないわけで。絶好の穴場スポットと化していたのだった。
「確かにそうだな」
ふと聞き覚えのある声がしたので振り返ると、そこにいたのは意外な人物だった。
「え、先生!?」
「あ、イネアさん、こんばんは」
「こんばんはです」
あっけに取られている私をよそに、アリスとミリアがそれぞれつつがなく挨拶する。
「こんばんは。で、なんだユウ。その驚いたような顔は」
「いえ、まさか本当に来るとは思いませんでしたので」
先生のことだから正直のところ来ないかと思っていたよ。
「来てはいけなかったのか? せっかくお前が誘ったから来てやったというのにな」
そう言って、先生はわざとらしく溜息を吐いた。
「いいえ。もちろん来てくれて嬉しいですよ」
「そうか。良かったよ」
それから、少しすると再び来客があった。
「ここがいいのよね! ん、なに? 先客がいるの? って、なんだ、アリスたちじゃないの!」
「カルラさんに、ケティさんだ! お昼ぶりです」
「優勝、おめでとう、ございます」
「ありがとう。でも、あなたたちにはやられたわ。一年生にしては、なんて馬鹿にしたこと言ってごめんなさい、アリス。痛かったよね?」
ケティ先輩は、アリスの右腕を見つめて申し訳なさそうに謝っていた。
謝られた方のアリスは、彼女にやられたことなど全く気にもしない様子で、からっと笑ってみせた。
「いいんです。実力では負けてましたから。それに、試合は試合ですから。下手に手を抜かれるよりは全然いいですよ!」
「そう。あなた、本当に優しいのね」
ケティ先輩が感心したような顔でそう言った。
「そうですか? あたし、自分のことそんな風に思ったことないんですけど」
「あなたは優しいわ。私が保証する」
「あはは。そう言われると、何だか照れちゃいますね」
また少しすると、今度は一人の男が現れた。私がよく知っている人物だった。
「おいおい。せっかく一人で楽しめると思ったのに、こんなに人がいるのかよ。しかも女ばっかりって……あーあ。今から別の場所探すのはだるいしな」
「よう。アーガス。久しぶり」
「ん? おう。誰かと思ったらユウじゃないか。特訓の成果はどうだ?」
期待を込めた目で尋ねてくるアーガス。もちろん私は彼の期待を裏切る気などなかった。アリスとミリアの力もあって、仕上がりは上々だ。
「ばっちりさ」
「それは楽しみだな。つうか、一応試合まで会うつもりなかったんだけどな」
「私もだよ。でも会ってしまったものはしょうがないね」
「だな」
すると、彼の存在に気付いたアリスとミリアが近づいてきた。カルラ先輩とケティ先輩は向こうの方で話していて、まだこちらには気付いていない。イネア先生は、私たちの様子をそっと見守っている感じだった。
「ほんとだ……あのアーガス・オズバインとユウが、すっかり友達になってる……」
「本当、だったんですね……」
二人はぽかんとしていた。
「だから言ったじゃないか。というか、アーガスって割とフレンドリーだからアリスとミリアも友達になってもらったら?」
「ええ!? ……ちょっと恐れ多いっていうか、ね」
「それが、普通の感覚、ですよね」
二人は顔を見合わせて頷いた。
「オレは全然構わないけどな」
アーガスは初対面の女子たちに対しても臆することなく、さらっとそう言い放った。
さすがイケメン。まあ予想通りだけど。
「マジですか……!?」
「本当、に?」
二人が思いっ切り戸惑っていた。
めっちゃ面白い。何せいつも二人には動揺させられる側だからね。
逆にこんなに動揺してる二人を見たのは初めてかもしれない。
「ああ。その代わり、あんまりよそよそしくされると面倒臭いからお互い呼び捨てで頼むぜ」
「呼び、捨て……」
今のはアリスの台詞だ。はは。言葉に詰まってまるでミリアみたいになってる。
だがそこはコミュ力のあるアリス。すっかり固まってしまったミリアに比べると適応力があった。
「さん付けじゃダメかしら? あたし、先輩にはさん付けにすることにしてるのよ」
「んー、まあそれくらいならいいか」
アーガスは軽いノリで了承した。彼にすれば、呼び方そのものよりも態度が問題なのだろう。
「ありがとう。じゃあアーガスさん、よろしくね」
「ああ」
二人は握指をした。
アリスは憧れの天才魔法使いと友達になれたのが余程嬉しかったのか、小さな子供のようにぴょんぴょんと飛び跳ねた。
「やった! あのアーガスさんと友達になっちゃった!」
「よかったね」
「へっ……で、こっちの子はどうするんだ」
アーガスは未だに固まったままのミリアの方を見て、少しだるそうに言った。
「あ、ふぁ……」
ミリアは、上の空のように口をぱくぱくさせていた。
ダメだ。ミリアがこっちの世界に戻ってこない。初対面で相手がアーガスで、しかも呼び捨てはハードルが高すぎたか。
「ミリアは人見知りなんだ。そのうちアーガスにも慣れると思うから」
「へえ。そうかい。なら、慣れるまで待つとするか」
そのときだった。アーガスの存在にようやく気付いたらしいカルラ先輩は、なぜか叫びながらこちらへ駆け寄ってきたのだ。
「なにーー!? アーガスの奴がいるだとーーーーー!?」
彼のすぐ近くまで迫ったカルラ先輩の目は、まるで親の仇でも見ているかのようだった。
アーガスはそんな彼女に対して、心底鬱陶しそうな顔をした。それは私たちに対する、クールではあるが親しげな態度とは全く別のものだった。
「なんだ。誰かと思えば、骨董品屋のカルラじゃないか」
「おいこらあ! あんたはいつもそうやってロスト・マジックを骨董品呼ばわりして! 馬鹿にしてくれんじゃないの!」
敵意むき出しのカルラ先輩に対して、アーガスもまたいらついたような口調で返した。
「骨董品は骨董品だろが。気に入らねえんだよ。お前も、ギエフ研もな。きな臭いったらありゃしねえ」
「何がきな臭いってえ!?」
カルラ先輩のこめかみがぴくぴくと震えていた。
まずいと思った。いきなり一触即発の事態だ。カルラ先輩とアーガスってこんなに仲が悪かったのか。
アーガスはふっとほくそ笑むと、蔑むような目で続ける。
「てめえらのロスト・マジック至上主義さ。そんなもの崇めてんのは、仮面の集団と同じじゃないか」
仮面の集団? 知らない言葉が出てきたが、それについて考える暇もなく。
カルラ先輩がぶち切れた。
「……かんっぜんにあったまきた! こいつ、ぶっ殺してもいいかしら!?」
鬼のような形相で、アーガスに詰め寄ろうとするカルラ先輩。あまりの物騒さにたまらなかったのか、ケティ先輩が彼女の身体を掴んで止めにかかる。
「カルラ、落ち着いて!」
「ケティ、放しなさいよ! こいつはねえ!」
「へっ。お前にオレがどうこう出来るわけないだろが」
嘲るように言ったアーガスの言葉に、これ以上は売り言葉に買い言葉で止まらなくなると判断した。私も二人の間に身体を割り込んで制止に入る。
「アーガスもあまり挑発するなよ!」
それを受けて、彼は少しばつの悪そうな顔をしつつも言った。
「……だがなあ、ユウ。こいつがいきなり怒鳴りこんでくるから悪いんだぜ」
「それはそうかもしれないけどさ。ここは落ち着いて一歩身を引こうよ」
「でもなあ」
「そうだよ! 喧嘩は良くないよ!」
「そうですよ。せっかくのイベントが、台無しになって、しまいます」
アリスと、いつの間にか硬直から立ち直っていたミリアも説得にかかる。
外部の声が多くかかって少しは冷静になれたのか、アーガスとカルラ先輩はしぶしぶお互いの非を認めた。
「……まあ、そうだな。悪かったよ」
「そうね……一旦お預けにしましょう」
どうにか危機は収まったようだ。
いつの間にか私のすぐ後ろまで来ていたイネア先生が、しみじみと言った。
「賑やかで結構なことだな」
「大変だったんですよ」
「ふっ。若さというやつか」
先生は感慨深そうに微笑んでいた。
「先生だって種族で言ったらまだまだ若いんじゃないんですか」
「ああ。そうだったな。だが、普通の人間と一緒には出来んよ。経験はきちんと年齢分積み重なっていくからな」
そう言うと、先生はまた少し遠い目をした。
そして、ついに星屑の空が始まる時間がやってきた。
「はいはーい! 間もなく始まる時間だよー!」
アリスが大はしゃぎでそう宣言すると、それまで話していた各人がぴたりと話を止めた。
上空にオーロラのような光がかかった。きっと星を輝かせる魔法だろう。
それは少しの間だけ夜空を七色に照らし、やがて消えていった。
すると黄色い光がぽつぽつとあるだけだった夜空は、その姿を大きく変えたのだった。
――たくさんの星屑たちが、夜空という黒いキャンバスをびっしりと埋め尽くしていた。
まるで、宇宙望遠鏡をそこに持ってきて眺めているような感じだった。
普段は明るさが足りなくて見えない星たちも協力して、所々はキラキラと粒状に、また所々は淡く輝く、美しいアートを描いていた。
私は感動していた。確かに星屑祭の代名詞にふさわしい、素晴らしい景色に違いないと感じた。
ふとこの星空のどこかに、地球はあるのだろうかと思った。
急に故郷が懐かしくなってきて、いたたまれなくなってきた。
それで空を見ていられなくなって、周りの人物に目を移すことにした。
みんながみんな、思い思いに空を眺めていた。
ほとんどの人は楽しそうにしていた。
けど、一人だけ様子が違った。
あれ? カルラ先輩、泣いてる……?
よく見ると、彼女の目からはぽろぽろと涙が流れていた。
私の視線に気が付いたらしい彼女は、慌てて腕で涙を拭ってから言った。
いつもの彼女らしくない、しんみりとした声で。
「何でもないの。本当に、何でもないのよ」
そして、すぐに向こうを向いてしまった。
一体どうしたんだろう。
「ちょっと」
ケティ先輩に肩を引かれた。
そのまま、屋上の入り口の方へと連れて行かれる。
「何ですか」
するとケティ先輩は、いつになく真剣な顔つきで言った。
「あいつのことだけどさ……少しそっとしておいてあげてくれない?」
「もちろんいいですけど。カルラ先輩、どうかしたんですか」
「それはね……たぶん彼氏のことを思い出してるんだと思うわ」
「彼氏、ですか」
「そう……ユウ。今からする話は、あいつには内緒よ」
ケティ先輩が話したのは、カルラ先輩の衝撃の過去だった。
「あいつね……この学校に来る前からずっと付き合ってた年上の彼氏がいたのよ。それはもうほんとに仲が良くて、羨ましいくらいでさ」
「へえ。そうなんですか」
「ええ。それで、彼は星屑の空が好きだったのよ。毎年良い場所を見つけては二人で眺めていた」
「毎年? でも今年は……」
そんな彼氏なんていない。
まさか。
ケティ先輩は、神妙な面持ちで頷いた。
「彼、亡くなったのよ。あいつが一年生のとき、事故でね」
「そんなことが……」
私は、カルラ先輩に同情した。
「それからのあいつの塞ぎ込みようったら、なかったわ。学校にも行かずに、いつも部屋を暗くして籠りっきりになって。自殺しようとしたことさえあった。正直、見ていられなかった……」
「あの、カルラ先輩が……」
信じられなかった。あんなに元気いっぱいで、いつも私たちを引っ張ってくれるカルラ先輩が、まさか自殺しようとしていただなんて。
「私も励ましたんだけど、どうにもならなくてさ……当時の担任だったギエフ先生に相談してみたわ。そしたら先生は、彼女に特別にロスト・マジックの研究ポストを用意してくれたのよ」
「どうしてそんなものを?」
「それはね……あいつの彼は、ロスト・マジック愛好者でもあったの。その分野で将来を有望視されていた研究者でもあった。絶望するあいつに、彼の大好きだったものに関わらせることで何かしらの生きがいを与えられないか、というギエフ先生の提案でね。先生は親身になってあいつに話をしたみたい。最初は何もしたくないって言ってたけど、そのうちあいつは彼の遺志を継ぐんだって張り切り出してさ。おかしなくらい研究に打ち込むようになった」
「…………」
何も言えなかった。
知らなかった。それほどの想いでカルラ先輩はロスト・マジックに打ち込んでいたんだ。だからあんなにも真剣で、熱心で。それは、馬鹿にされたら怒るはずだ。
私だって軽く誘いを断ってしまった。断るにしても、もう少し丁寧に断っていれば良かったな。
「まあ今ではすっかり元気になったわね。でも、代わりに研究バカになっちゃったけど。身体、壊さないか心配だわ」
「そうですね」
カルラ先輩は時々暴走しがちなところがある。それが研究という方向で無理に繋がらなければいいけど。
「そういうことだから、今はそっとしておいてあげてね」
「はい」
私はカルラ先輩に対する強い同情の気持ちを抱えたまま、ケティ先輩と一緒に元の場所へと戻った。
「ケティさんと何話してたの?」
アリスが尋ねてくる。
「後で話すよ。重い話だから」
「そっか。わかったわ。ところでね、ユウ」
アリスが何やら楽しそうにニコニコし出した。
「なに?」
「星屑の空に願い事をすると、それが叶うって言われてるのよ」
流れ星の類いか。この世界にもそういうのがあるんだな。
「へえ。そんな迷信があるんだ」
「迷信ってね! ほんとに叶う人もいるんだよ!」
「そうなの?」
「そうなの! ほら。ユウも祈ってみようよ。みんなもやってるよ!」
言われて見ると、確かにみんな何やら願いの祈りを捧げているみたいだった。
あまりこういうのやらなさそうなイネア先生とかアーガスもやってる辺り、結構普通に行われていることなのかもしれない。
「わかったよ。で、アリスは何を願うの?」
「ふふ。それは言っちゃいけないことになってるの! 願いを言うと願い事が逃げて行っちゃうからねー」
いたずらっぽくそう言うと、アリスは熱心に祈り始めた。
「そっか」
私は空を見上げた。
――願い事、か。
今一度周りの人たちを見回していく。
アリスを、ミリアを、イネア先生を、アーガスを、カルラ先輩を、ケティ先輩を。
みんな、私がこの世界に来てからの大切な仲間たちだ。
地球は離れてしまったけど、こんなにも多くの繋がりに恵まれた。
私は決して不幸なんかじゃなかった。むしろ幸せだった。
だからこそ。
運命が、私にいたずらをしないで欲しいと思ってしまう。
また星を流されるなんて。このみんなと会えなくなるなんて。考えるだけでも嫌だった。
これからもずっとみんなと過ごしていきたい。みんなと離れたくない。
時が経てば経つほどに、その想いは強くなっていく。
でもどんなに願ったところで、ずっと一緒には居られないのだろう。
それが星を渡る者、フェバルの運命らしいから。
けどせめて。出来る限りはと、思わずにはいられなかった。
だから、私はこう願ったんだ。
『来年も私がここにいられますように。みんなでまたこの星屑の空を見られますように』って。