10「ユウ、魔闘技に向けて準備する」
私が入学してから半年が過ぎた。星屑祭まで、あと一ヶ月。
私はこの日、祭の前最後となる共同訓練を、例の秘密の場所でアーガスと行った。
「ま、このくらいにするか」
「うん」
私とアーガスは、共に構えを解いた。
「はぁ~」
魔力切れと心身の疲れで、私は地面に仰向けでドサリと倒れ込んだ。湿った土と木々の匂いが訓練をやり切った身体にすうっと沁み込んで、心地良い達成感を与えてくれる。
そんな私を見下ろしながら、アーガスはなぜか少し顔をしかめていた。彼は頭の後ろをぽりぽりと掻きながら言った。
「お前さあ……ちょっと警戒心なさ過ぎるんじゃねえの?」
「? そうかな」
「そうだろ。なんだよ、その誘ってるような体勢は」
誘ってる? 別にそんなつもりはないんだけど。
下着が見えやすいミニスカート。全身は汗ばみ、顔は紅潮して、服もはだけ気味な状態。それが目の前で無防備に仰向けになって、上目遣いで見上げる。
おそらく私はそんな感じだったのだろう。男にとっては相当に目の毒なことをしていたということを、夜に男になって振り返ったときにすぐに気付いたのだが、このときの私は考えが及ばなかった。
「別に誘ってないよ」
「いやなあ……それに、少し目動かしたら絶対パンツ見えるぞ」
「……見るなよ。見たら殺すから」
私にだって多少の乙女心はある。男のときならなんとも思わないけど、今ホイホイと男に下着を見せてやる気はないね。
「こえーな、おい……ったく。気をつけろよ。いつか襲われても知らねえからな」
襲われる。
アーガスの何気ない言葉が脳内に響いたとき、ずきりと頭が痛んだ。
瞬間、ウィルに乱暴されたときのことがフラッシュバックした。
『どうだ? 身体に力が入らないだろう?』
『僕がお前の変身能力に干渉している間、お前の身体は自由が利かない』
『お前は泣こうが喚こうが、決してこの僕に逆らうことは出来ない』
『ユウ。僕はお前が壊れていく様が見たい。擦り切れていく様が見たい。さあ、お前は何を見せてくれるんだ?』
彼の言葉が。彼のおぞましい手の感触が。そして、私を捕えて離さないあの冷たい眼が。
全身に凍えるような寒気が走る。身体がぶるっと震えた。
思わず、左腕で両目を覆う。
――あいつは、またいつかきっと現れる。
私は、あいつに抵抗すら出来なかった。
変身能力が、あいつの『干渉』に対しては致命的な弱点になる。
あのとき、私は恐怖のあまり、あいつに全てを差し出そうとすら思ってしまった。
今になって考えれば、絶対にあり得ない選択肢を取るしかなかった。
でもこのままなら。あいつに抵抗出来ないままなら、きっとまたそうするしか――――
嫌だ。私はあいつのおもちゃじゃない。あんな恐ろしい奴のいいようにされるなんて、嫌だ。
一体どうすれば。どんな力を手に入れれば、あいつから
逃 れ ら れ る ?
――いやいや。何考えてるんだよ。
私が強くなりたいのは、異世界でちゃんと生きるためじゃないか。
そんな消極的な、悲しい理由じゃない……
でも死にかけた、そう――都合の良い理由を見つけただけじゃないのか?
アリスだって、ミリアだって、イネア先生だって、アーガスだって。
星を渡る能力のない者は。フェバルでない者は、誰もあいつから私を助けることは出来ない。どこまでもずっと一人で恐怖と戦わなくてはいけないって、どこかで思ってるから。だから、私はずっと必死になって――
――いや、違う。そんなことあるもんか。みんな私の力になってくれてるし、心の支えにもなってくれてる。たとえ直接は関わりがないからって、そうやって心のどこかで切り捨てて良いはずがないだろう!?
ああ! もう考えるな。あんな奴のことなんて考えるからいけないんだ。
くっ。もう半年も経ったっていうのに。情けないな。
「どうした?」
アーガスの声に反応して腕をどけると、心配そうにこちらを覗き込む彼の顔が映った。
「なんでもない……アーガスは、そんなことしないよな」
「しねえよ。ただ言っとくが、オレも男だからな。あんまり調子に乗って誘ってるとわからないぞ」
茶化すようなその言葉には、私を安心させようという含みが込められているように思えた。
それを受けて、私はいくらか落ち着きを取り戻す。
「そういうこと言ってるうちは問題ないね」
「やれやれ。ま、大丈夫だ。お前、タイプじゃないしな」
む。正直、好みだとか好きだとか言われてもこんな中途半端な身体じゃどうしたらいいか困るけど、タイプじゃないと言われるのもちょっと悲しいかな。
「あっそう」
「オレはもうちょっと女らしい子の方が好きだぜ」
「これが自然体なんだからしょうがないよ」
「まあ、猫被ってるよりはいいけどな」
ぼちぼち身体の汗も止まったので立ち上がり、服についた土を叩いた。放っておいても魔法で自動洗浄されるイネア先生お手製の服ではあるが、しばらく土がついたままというのは嫌なので。
「そう言えば、結局一度もまともな重力魔法使ってくれなかったね」
アーガスは結局訓練の間一度も本気で相手をしてくれなかったし、私に教えた一つ以外の重力魔法も使ってはくれなかった。
「当たり前だろ。あれは軽々しく使うような代物じゃねえよ。このオレに使わせたかったら、もう少しマシになるこった」
「わかった。頑張るよ」
魔闘技のときには使わせてやりたいなーなんて思った。
「おう。ただまあ、最低限の基本は全て見せたつもりだ。あとは手前で準備して本番に臨め」
「うん。実力じゃまだ敵わないけど、アーガスに負けるつもりはないよ」
「その意気だ。っても、まずはオレと当たるまで勝てないといけないんだけどな」
それに関しては自信がないわけでもない。私は結構魔法が出来るようになったという自負がある。良い線はいけるんじゃないだろうか。ここは強気で行こう。
「きっと大丈夫さ。アーガスこそ、うっかり負けるなよ」
「へっ。このオレがそんなヘマするわけないだろが」
彼に肩をバンバンと叩かれた。
別れ際になって、私は彼に今までお世話になった感謝を述べることにした。
「訓練、色々とありがとう。アーガス」
「……おう」
彼は少し照れたように頭を掻いた。そしてちょっと考えるような仕草を見せた後、彼は言った。
「こんなこと言うのは柄じゃないけどよ。まあ楽しかったぜ。魔闘技が終わったらまた付き合ってやっても良いぞ」
暇だから付き合えって最初に言ったのはそっちのような気がするけど。まあこれは彼なりの照れ隠しなんだろうな。
「うん。楽しみにしてる」
それから一カ月間、私たちはお互い会うこともなく、魔闘技に向けた準備をしていった。
星屑祭は三日間に渡って催される。魔闘技はタッグ戦が一日目、個人戦が二日目と三日目にある。タッグ戦は個人戦に比べると規模が小さく、個人戦の前菜的な意味合いが強い。個人戦は予選が二日目、決勝トーナメントが三日目に行われる。予選はサバイバルであり、八つのブロックからそれぞれ一人ずつ勝者が出る。その八人で決勝を争うというわけだ。
で、なんでタッグ戦の話までしたのかというと。
どうも私が個人戦に出るって言ったら、アリスが妙にやる気出しちゃったみたいで。ミリアと一緒にタッグ戦に出るらしいんだ。
さらに聞くところによると、カルラ先輩と、ケティ先輩(女子寮歓迎会のときに、私のことで暴走したカルラ先輩を諌めていた人だ)もタッグを組んで出るっていう話だ。
四人とも相当な実力者であることは私がよく知っている。これは前菜どころかかなり凄いことになるかもしれないなと思った。
ちなみに魔闘技が行われるのは昼だけで、夜は時間が空く。その時間にアリスやミリアと一緒に祭りを楽しむ予定を立てた。
それで、アーガスもいないし、アリスとミリアとは三人で一ヶ月間毎日魔法の猛特訓をすることになった。
その特訓の場所なんだけど……
「たーのもー! こんにちはー! イネアさん」
アリスが元気はつらつと中へ入って行った。
道場なんだよね……これが。
あの日この場所が二人にバレてしまってから、二人とも頻繁に来るようになってしまったんだ。イネア先生ともいつの間にか仲良くなってさ。
(ほう。ウチを使うとはな)
(断り切れなくて)
(場所も余ってるし別に良いが、二人とここで一緒に居る時間が増えて困るのはお前だぞ)
(そうですよね……)
あれから、私と男の私は別人ということで、イネア先生の転移魔法の力を借りつつ、時々変身しては誤魔化し誤魔化しやってきたのだった。
「あれ、ユウは?」
「いつも、どちらか、いない、ですよね」
段々その誤魔化しも怪しくなってきてはいたが。ただ、まさか男と女が同一人物だとは思わないだろうから、致命打にはなっていないというところだった。
(いっそのこと、この二人にくらいバラしてしまったらどうだ)
(それはちょっと。だって二人とも私のこと純粋な女だって思ってるから、一緒にお風呂入ったりとか、色々してるし)
(そんなもの、一発殴られればそれで済む話じゃないか)
(それで済むならいいんですけどね……)
(やはり不安か)
(はい)
(あまり心配ないと思うがな)
一か月毎日となるとさすがに何も話さないわけにもいかず、俺は男としてアリスやミリアと話をせざるを得なかった。
よく知っているのに知らない相手と話しているようにしないといけなくて、妙な気分だった。
アリスには散々名前を尋ねられた。最初は答えなかったけど、いつまでもそうしていると俺のことを追及する目が厳しくなってきた。あまりにしつこいので堪え切れずに、とうとう言ってしまった。
「あなた、そろそろ名前教えてくれてもいいんじゃないの?」
「……ユウだ。ユウ・ホシミ。偶然だけど、あの子と全く同じ名前だよ」
色々悩んだが、俺は結局名前に嘘を吐くことが出来なかった。自分でも不器用だと思う。怪しさは増すばかりなのに、嘘の名前が言えなかった。
嫌だったんだ。
この名前は俺が両親からもらった大切なもので、地球との数少ない繋がりだから。それを曲げてしまうのは、自分を蔑ろにしているような気がして。
俺は地球にはきっともう帰れない。だからこそ、あの故郷での色んなことを忘れたくないし、繋がりを大切にしたいと思う。まだジーンズとかは残っているけどいずれはそれもなくなって、最後に残るものはきっと名前だけだ。それでもこうして名乗っているうちはまだ繋がりを感じられる。そんな気がするから。
「ユウ・ホシミ……」
アリスが、俺の名前を唖然としたような顔で呟く。
もしかして、終わったか。
覚悟を決めたそのとき、アリスはポンと手を打つと嬉しそうな大声を上げた。
「ああー、そっか! 同じ名前だから恥ずかしくて言わなかったのね、あいつ! あの子、変なところで恥ずかしがるものねー。やっとわかったわ! 言わないでって頼まれてたんでしょ? 女の子の方のユウに」
どうやら、女の俺が散々恥ずかしがっていたように見えたのが功を奏したらしい。
「あ、うん。そうなんだ。アリスにからかわれるから言わないでくれーって」
「そっかそっか」
それからアリスは私のときにしたのと同じように、俺に対しても右手の指を二本突き出した。
「やっと名前を言ってくれたね。改めまして。あたしはアリス・ラックインよ。よろしく」
「よろしく」
俺はアリスと握指をした。心なしか女の時よりも彼女の指が小さく感じた。
ふと横にいたミリアの方を見ると、彼女は何やら考え込んでいる様子だった。やがて彼女は呟いた。
「かなり、引っかかりますね」
「な、何が?」
内心の動揺を殺し切れずに尋ねると、そんな俺の動揺を見透かしているかのように彼女は軽く微笑んでさらりとかわした。
「いえ。まだ、確証が、持てませんので。ですが……」
ミリアの眉間には少し皺が寄っていた。何か心当たりがある様子だ。
――ああ。怖い。
この様子だと、彼女は既に正解に近いところにいるかもしれない。彼女の人物観察眼は、相当なものがあるから。
そんなこんなで、結構ひやひやしながらも、なんとか正体はバレずに(と思いたい)、三人で魔法の特訓をしながら瞬く間に一月は過ぎて行った。
そして、ついに星屑祭が始まった。