閑話1「ユウ、初めて経験する」
初めてそれを経験したのは、私が異世界に来てから約一ヶ月半後。入学してから少し経った後のことだった。
女子寮のアリスと同じ部屋のベッドで寝ていた私は、窓から差し込む日光を浴びて目を覚ました。
心地の良い朝だ。
うーん、と伸びをする。
まだ眠い目をこすりながら、ふと下を見下ろした私は、
え……!?
一気に目が覚めた。
――シーツの一部分が、真っ赤に染まっていた。
なんだよ、これ……
血の気が引いた私は、よろよろとその場に立ちあがった。
すると、股から太腿を伝って垂れる何かを感じた。
恐る恐るスカートをめくってみた。
血だった。
怖くなりながらも、慌ててパンツを脱ぐ。
――――股から、血が出てる。
いつ、こんな怪我を……
近くにあった汚れを拭く用の布で、股を何度も拭った。
とりあえず表面だけは綺麗になったけど、中の方が傷ついているのか、血が止まらない。
どうしよう。どうしよう。
もし、このまま血が止まらなかったら。
早く医務室に行かないと。いや、まだ開いてない。
だったら、イネア先生に治してもらおうか。
そのとき、隣のベッドで寝ていたアリスが目を覚ました。
「うーん……! あら? もう起きてたのね。おはよう、ユウ」
いつもなら返事をするところだが、今はそんな気持ちの余裕などなかった。
「ん、どうしたの? そんなに青い顔して」
「どうしよう……アリス……」
「なに? 何があったの?」
「……血が、血が、止まらないんだ……!」
それを聞いたアリスが、血相を変えて近づいてきた。
「大丈夫!? どこから血が出てるの!?」
「こ、ここから……」
ちょっと恥ずかしいなと思いながら、私は股のところを指さした。
「え、そこって…………どんな風に血が出てるの?」
「それが……ほんの少しずつなんだけど、ちっとも止まらなくてさ……変なんだよ」
正直のところ、不安でちょっと泣きそうだ。
すると彼女は心配そうな表情から一転して、突然大笑いし始めた。
「っぷふ……あーっはっははははは!」
なんだ……?
何がおかしいんだ。こっちは一大事だって言うのに。
「うふふふ! 血が出たって深刻な顔で言うから! あははは! 何事かと思ったら! ふふふ……そっか。ユウってまだ来てなかったのね」
「何が、来てないって?」
「普通はもっと早く来るものなんだけどねー。とにかく、おめでとう。それは大人の身体になった証拠よ。身体は至って正常だから、心配しなくていいわ」
アリスは、まだ笑いを堪えている様子だった。
大人の身体。それを聞いて、思い当たる言葉があった。保健体育で聞いたことがある。
「もしかして、これって……」
「うん。生理よ。約月に一度、大体一週間くらい続くから、その間はナプキン使わないと血で汚しちゃうよ。とりあえず今日はあたしのあげるから使ってね」
生理だったのか。よかった。大変なことになったのかと思った。
言葉だけは知ってたけど、実際のところは知らなかったな。こんな風にぽたぽた血が出るんだ。
「あ、今ほっとしたって顔してるでしょ! かわいいなあ。血が~、止まらないんだ~って。ふふ」
わざと大げさに私の真似をするアリスは相変わらずだった。まったく。
「知らなかったんだよ……」
「顔真っ赤にしちゃってさ。ユウってしっかりしてるような振りをして、なんか抜けてるよね」
うっ。その通りかもしれない。いつかは本当にしっかりした人間になりたいとは思うけど、まだまだかな。
それより、このまま放っておけば、アリスはこのことを誰かに話してしまうだろう。歓迎会のときに握指の話を言いふらしたみたいに。本人は話好きで面白がってるだけで、決して悪気はないだけにタチが悪い。
私がそんな彼女に対して取れる手段は一つ。
「それで、頼むからこのこと誰にも言わないでくれない?」
下手に出てお願いすることだけだ。
「うーん。どうしよっかなー」
「今度昼食のときにデザート一つおごるから」
「それならいいよ。ま、ミリアだけには話すけどね」
「ミリアか。あいつ、一度こういうこと知るとちびちびネタにしてくるからなあ」
大人しい見かけによらず、意外と毒があるタイプなんだよね。
「でも仲間はずれはなしよ」
「……わかったよ。それで手を打とう」
「オーケー。交渉成立ね!」
私はアリスと握指をした。こういう約束事にも握指は使える。中々万能なコミュニケーションツールだ。ただし、決して手を間違えてはいけないが。
それから、アリスに生理用品の扱いとか一通りのことを教えてもらった。これでもう恥は掻かないと思う。
ところで、アリスは私の様子から初潮が今日だと判断したけど、私自身はそうじゃないと思っている。
私のこの身体は、男のと同じく十六歳のものだろう。それなりには成熟しているはずだ。たぶんもし生まれてからこの身体でずっと生きていたなら、生理は既に何度も経験していたんじゃないだろうか。
まあどっちみち私にとって初めての経験であることには変わりなかった。
――それにしても。
この身体、子供産めるんだって思った。
本当に、完璧に、女の身体なんだなって再認識させられた。
もしも私が女として誰かの子供を産む。そんなことが、いつかあるのだろうか。
今のところ誰かとそういう関係になろうと思ったこともないし、正直想像したくもないけど。
翌日。生理二日目。
この日は、なんといっても生理痛がきつかった。
とにかく痛い。ボディーブローのようにじわじわ痛い。
この世に生まれついて、男の急所を打ちつけた痛みと生理痛をダブルで味わったのはきっと私だけだろう。これは比べられるものじゃないなと思う。
なんとか午前は乗り切ったけど、午後の魔法史の授業では痛みがピークに達していた。
私はどんな授業でもいつも最前列に座っているが、それだけに私の様子は目立ってしまったらしい。
よほど私が辛そうに見えたのか、担当のトール・ギエフ先生は気を利かせてくれた。
「ユウ君、何だか辛そうだね。医務室に行ってきてもいいよ」
「いいえ、大丈夫です……」
「はは、無理しなくていいよ。今回の分のノートは後であげるから」
「……すみません。ではそうします」
彼は教室中を見回した。
「誰か彼女に付き添ってあげてくれ」
「なら、あたしが」
そう言って手を挙げてくれたのは、アリスだった。
「では、アリス君。ユウ君をよろしく頼むよ」
アリスが肩を貸してくれた。なんだかんだ言ってもアリスは優しい。
「ありがとう」
「全然いいよ。最初、慣れるまでは辛いかもね」
「正直、こんなにきついとは、思わなかったよ」
「ユウのは特にきついのかな。こういうの、個人差があるらしいから」
「そっか……」
そして夜。今日もイネア先生のところに行こうというときに、アリスとミリアが引き止めにかかってきた。
「ねえ、ユウ。いつも何の用事かは知らないけど、今日くらいは休みなよー」
「そうですよ。私も、心配です」
確かに辛い。でも、生理痛くらいでイネア先生との修行をすっぽかしたら何があるかわかったもんじゃない。それに行けさえすれば、男になりさえすればこの痛みから解放される。だから問題ない。
「どうしても外せない用事なんだ」
「じゃあ、せめてあたしたちが付き添いで……」
「悪いけど、一人で行かないといけないんだ」
申し訳ないけど、付いてきてもらうのはダメだ。修行してるときは男だから。
二人の制止を振り切って、私はイネア先生の道場に向かった。せっかく心配してくれているのに悪いなとは思ったが、先生との修行はサボれない。
女のまま道場に入ったら辛そうにしてるのを先生からも心配されたが、訳を話したらやはり一笑に付されてしまった。
男になったら当然ながら生理痛は消えた。内心喜んでいたら、男になっている間は女としての時間はカウントされないらしく、生理が終わるのが単に先延ばしになっただけだった。残念ながらそう上手くは行かないものらしい。
ただ、こんなに辛かったのは最初の一回だけで、次からは多少は慣れたし痛みもかなり減ったような気がする。