表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
フェバル保管庫  作者: レスト
人工生命の星『エルンティア』(旧)
144/144

35「ユウの異変」

 ふらふらと空を見上げたユウは、瞳を虚しく宙に泳がせたまま、自分だけに聞こえるような声でうわ言を呟いていた。


「そこはダメだよ……ミリア……」

「おかあさん……またどこかへいくの……?」

「お疲れ様……ディア……」


 そして、時折狂ったようにへらへらと笑みをこぼす。


「おいおい。ありゃ完璧にいっちまってるぜ……」

「一体どうしたというのだ……?」

「ユウくん、なんか……怖いよ……」


 ルナトープの者たちは、得体の知れない変貌を遂げた彼に、皆どうすれば良いのかわからず戸惑っている。


 ぼそぼそと何かを呟き、こちらなど全く眼中にない様子の彼に、リルナは歯噛みした。彼に返答を求めることを諦めた彼女は、代わりに物言わず刃を立て、死にかけであるはずの彼に止めを刺さんと勇猛に襲い掛かる。


「ねえ。今度は……何して遊ぼうか……」


 彼の発する呑気な台詞とは裏腹に、身体から発される白い光は彼を覆い、絶大なエネルギーをもって激しくうねっていた。再び彼に攻撃を加えんと最接近したリルナが、その強力なオーラに達したとき、彼女の動きがぴたりと止まる。動こうとしても、全身を掴まれたように動けない。


「どう……して……」

「うあうっ!」


 うわ言とともに彼の手が軽くリルナの腹部に触れたとき、彼女はとてつもない衝撃を受けて、なすすべもなく銃弾のように弾き飛ばされた。だが、芸もなくまた同じようにビルに叩き付けられる彼女ではない。激突前に《パストライヴ》を使用して、彼の左側――腕のない方に回り込む。


 彼女としては、完全に虚を突いたつもりでいた。しかし、ユウは既に彼女の真正面を向いていた。まるで始めから、そこに彼女が来るのがわかっていたかのように。彼が理性の感じられない無邪気に笑みを浮かべたとき、彼女は心底ぞっとした。


「がっ!」


 技ですらない、無造作に振るわれたただの拳。身体の芯でまともにそれを受け止めたリルナは、自身の内部でいくつもの部品が砕ける音を聞いた。そのままよろよろと後退して、とうとう堪え切れずに膝をついてしまう。彼女は追撃をもらうことを覚悟したが、ユウはその場にぽつんと立ったまま、しきりに独り言を発していた。そのうちに体勢を立て直した彼女は、一度《パストライヴ》で距離を取り、乱れた髪を乱暴に掻き揚げて、動揺を鎮めようと努める。


 彼女には、信じられなかったのだ。それまで優勢に戦いを進めていたはずの相手に、逆にここまで圧倒されてしまっていることが。受けたダメージは、もはや深刻なレベルに達している。もし自身の誇る特殊ボディではなく、一般のナトゥラの身体だったなら、間違いなくもう二度と使い物にならなくなっていただろう。


「危険だ」


 ふとその言葉が口から漏れたとき、彼女は急に動揺がなくなり、自らの思考がクリアになっていくのを感じた。一瞬違和感を覚えたが、すぐにそれも落ち着いた。


「イレギュラー因子は、排除しなければならない」


 彼女の目に、憎悪が煮えたぎる。ヒュミテは敵。こいつは特に危険だ。何としても殺さなければならない。改めてそう決意を固める。彼女はふらふらとその場に立ち尽くすユウを睨み付けると、右腕を砲身に変化させた。


「ターゲットロックオン。エネルギー充填開始――10、20――40――」


《セルファノン》。リルナの持つ武器の中で、最大の威力を誇る光線兵器。それは、決して人間に向けて発射するような代物ではなかった。20%でさえ、しっかり命中すれば車両など跡形もなく消し飛ばしてなお余りある威力なのだ。だがいま、彼女はそれをユウたった一人に向けて――最大出力で放とうとしていた。


 普段の彼女ならば、決してそのような真似はしない。こんな街中で使えば、あまりに高過ぎる威力が周囲に甚大な被害を及ぼし、無関係な市民の命を奪うことになるからだ。しかし、湧き上がる殺意に突き動かされている今の彼女は、そんなことなどもう頭にない様子だった。


「60――」

「あ、あ、あ……!」


 彼女の禍々しいほどの殺意に触れたとき、ユウの身に再び異変が起こり始めた。彼の肩が、ふるふると震え始める。右手で頭を抱えて苦悶の表情を浮かべ、しきりに嫌々と首を振っていた。


 その変化をリルナは不思議に思うも、ユウがその場から動かぬのをいいことに、彼に照準を合わせたままひたすらエネルギーを溜め続ける。砲口には目が眩むほどの水色の光が凝縮し、さらに光は強さを増していく。


「まずいぜ!」

「ユウくん! 逃げて!」


 ロレンツとアスティが同時にリルナに向かって牽制射撃を試みる。だが、《ディートレス》に弾かれて一切の攻撃は通用しなかった。ならばと、ラスラがユウを抱えて逃げようと動き出したところで、遠方から光線の威嚇射撃が入る。プラトーによるものだった。


 感の良いラスラは、間一髪のところでステップし、命中を避けた。しかし、回避に気を取られている内に、リルナはエネルギーをフル充填してしまった。


「90――100%」


 彼女の右腕の先端は、今や夜も昼に変えてしまいそうなほどに強烈な空色の光に包まれていた。あとはこれを目の前にいる敵に向けて解き放つだけで、この世界から跡形もなく消し去ることが出来る。今度こそ終わり。幾度にも渡りその手をすり抜けてきた因縁の相手に、ようやく引導を渡せることに安堵した。


 そこで彼女ははっとする。安堵。自分が安堵しているだと。そればかりではない。何度追い詰めても執念深く立ち塞がるこの人物に、彼女は一言では割り切れぬ複雑な感情を覚え始めていた。気が付けば、他の誰よりも彼を評価し、認めていたのだ。


 だが、それももう終わり。燃え上がる殺意の裏で、彼女はなぜか、一抹の寂しさのようなものを感じていた。ついに発射を宣言しようとしたそのとき――




「違う……俺じゃない……」




 ユウを包み込んでいた淡白いオーラが、突然足元からどす黒く変色し始めたのだ。見るからにおぞましい変化だった。今度は何だ。リルナは驚きで目を見開いた。


「俺じゃ……違う……どうして……」


 悲痛な顔で呻くユウ。その弱々しい声に反して、彼を包み込むオーラはますます力強くなり、同時に急速に禍々しさを増していった。荒れ狂っていた光のうねりには秩序が生まれ、全てが闇に収束していく。リルナは彼から底知れぬ何かを肌で感じ取っていた。焦りを感じた彼女は、すぐに止めを刺すことにした。




「《セルファノン》――発射」




「「ユウーーーーーーーーーーっ!」」




 仲間たちが叫ぶ。彼の目前に、視界を水色一色で塗りつぶすほど特大の光線が迫っていく。誰もが死んだと思ったとき――




「そうか。俺は――――」




 ユウは顔を上げると、迫り来る光線を睨み付けた。その目には、理知が戻っていた。だがその目には、いつもの穏やかさも、一切の優しさも秘められてはいなかった。持ち前の力強い睨みに、彼らしからぬ異様な冷たさが加わって。瞳の奥は、漆黒の闇に塗りつぶされていた。


 彼は右手に気剣を作り出す。いや、それは果たして気剣なのだろうか。彼の手に握られたのは、宇宙の永遠なる闇を思わせるほどに暗い、一振りの黒剣だった。


 彼どころか、その背後にある高層ビルすらも丸ごと消し去るほどの絶大な攻撃を前にして、ユウは静かに剣を下ろし、微動だにしない。ついに光線が触れようとしたところで、初めて彼は動いた。神速で剣を振り上げ、それをもって《セルファノン》を――斬った。


 途轍もない威力を秘めていたはずの《セルファノン》は、それを遥かに上回る鋭さをもった斬撃によって、海が割れるように裂けていった。そして、裂けた部分から勢いを失くして消滅していく。信じがたいことが起きていた。さらに斬撃の勢いは留まることを知らず、触れたもの全てを消し飛ばす衝撃波となって、宙を突き抜けるように進んでいく。そして――


 ――発射口たるリルナの右腕、肘から先を跡形もなく消滅させてしまった。


 あまりに一瞬の出来事。リルナは自分に何が起こったのかさえ認識出来ていなかった。数瞬遅れてようやく認識が追いついたとき、彼女は心の底から震え上がった。


 右腕を痛々しく押さえ、苦痛の表情を浮かべ。恐怖を覚えながらも、それでも彼女は闘志を失うことはなかった。そんな余裕のない心理を見透かすように、ユウは心の感じられない暗い目で彼女を見つめた。そしてぽつりと一言だけ、誰にともなく言った。


「やっぱりそうか」


 それから、もう彼女にはまるで興味がないとばかりに、無防備に背を向ける。敵前でそれをされるというのは、リルナにとっては屈辱以外のなにものでもなかった。だが、彼女にはその背が本当に無防備とはとても思えず、感情任せに攻撃を仕掛けようという気にはとてもなれない。


 ユウは、ラスラ、アスティ、ロレンツの方へ向かって、敵中とは思えぬほどのんびりと歩いていった。彼の放つ異様な雰囲気に、周囲の者は皆凍り付いたように固まっており、まるで彼以外の時間が止まったようだった。そして彼は彼女たちのところまでくると、冷たく声をかけた。


「帰るよ」


 三人とも、返事をすることが出来なかった。まるで氷のようだという言葉があるが、そんなものでは片付けられない。すっかり人でなくなってしまったかのようなユウの変わりように、皆絶句してしまっていた。アスティが、辛うじて勇気を振り絞るようにして尋ねた。


「ユウくん……ほんとに、ユウくんなの……?」

「…………」


 ユウは何も答えない。


 とそのとき、遥か向こうより青い光線が二つ連続で、ユウの眉間と心臓を正確に狙って飛んできた。ユウは攻撃にすぐ気付いたが、あえて動くことはしなかった。そして攻撃が彼に当たるかと思われた瞬間、なんと光線は、彼の方に向かってきたときを遥かに凌ぐスピードで、飛んできた軌道そのままに跳ね返っていった。光の筋が彼方に消えていった後、もう再び銃撃が飛んでくることはなかった。


「黙って見ていれば良かったものを」


 ユウは一つも表情を変えずにそれだけ言うと、一向にその場を動こうとしない三人を促した。


「行かないのか」


 そして、返事を待たずに一人で先に行こうとする。そこに、背後よりリルナから声がかかった。


「待て。お前だけは……!」

「殺すって?」


 振り向き様に、威圧を込めた声でそう言った彼に、彼女は次の言葉を詰まらせた。


「殺す、殺す、と。馬鹿の一つ覚えのように」


 彼は、二歩、三歩と彼女に向かって静かに歩を進めた。


「そんなに殺したいか。そんな感情など、お前自身のものではないのに。滑稽だな」

「……お前は、何を言っている?」


 突然の意味不明なことを言われて困惑する彼女に、彼は核心を告げた。


「ヒュミテに何をされた。何があった。さあ、言ってみろよ」

「……ヒュミテの、お前などに――」


 前と同じ返答をしようとするリルナを、ユウはぴしゃりと制した。


「違うな。言えないんだ」


 リルナははっとした。思い出そうとしても、記憶に靄がかかったように何も出て来なかったのだ。なぜだ。どういうことなのだ。そんな動揺を見透かすかのように、彼は恐ろしい目で自分の瞳を捉えていた。彼女は動揺を振り払うように、必死の形相で刃を構えた。


「黙れ! お前に何がわかる!」

「……それでも、刃を向けるというなら――覚悟しろ」

「何を覚悟しろと――!」




「お前が死ぬ覚悟だ」




 ユウは黒剣の刃を持ち上げ、構える。


「セン――」


 目の覚めるような青白い光を放つ通常の《センクレイズ》とは逆に、周囲の光を吸い込んで、深い闇で刀身が覆っていった。たとえ気を感じ取れなくとも何かが高まり、張り詰めていくのがわかる。それほどの、大気が震えるほど恐ろしい力が、黒剣に凝縮されていく。


 リルナは戦慄した。これほどまでに圧倒的なエネルギーを身に感じたことがなかった。彼女の脳裏に、死の一文字が浮かぶ。


 次の瞬間、《パストライヴ》など使うまでもなく、ユウはリルナの認識出来ない速さで瞬く間に彼女の眼前に達した。


「クレイズ」


 刃が振り下ろされる。彼女を覆うバリアは、紙切れほどの役にも立たない。刃は何の抵抗も受けず、反応すら出来ない彼女の胸部に食い込む。


 だが、あと一押しで彼女の動力炉を破壊出来るというところで、ユウの動きがぴたりと止まった。黒剣を解除し、その場でふらふらと苦しみ出す。


「や……め……」


 彼の全身を濃く包んでいた暗黒のオーラが、徐々に色を失って消え失せていく。やがて、オーラが全て消えたとき――


「はあっ……はあっ……!」


 変身して現れた彼女は、激しく息を切らせていた。身に纏う雰囲気が穏やかになったことから、リルナはユウが、彼女のよく知る元の状態に戻ったことを悟る。疑問に思ったリルナは、恐る恐る彼女に尋ねた。


「なぜだ。なぜ、あのまま止めを刺さなかった?」


 黒髪の少女は、ふるふると首を横に振った。


「そんなこと……私たちは、望んでない……」

「何を、言っている。間違いなく私を殺せたはずだ。なのに、なぜ……」


 自分の口で話をしたいと、再度男に変身したユウは彼女に言った。


「……悪い……ずるなんだ。あんな力は……。それより、聞いて……くれ。君は……操られている……かも、しれない……」

「なに!? どういうことだ!? それは!?」


 だが、彼女がその続きを聞くことは出来なかった。既に限界を超えていたユウは、激しく吐血してその場に倒れてしまったのだ。


 結局最後に立っていたのは、またしても彼女だった。血の気の引いた顔で、死んだように動かないユウの顔を静かに見つめる。


 もはや彼のことは、ただのヒュミテとは到底思えなかった。ヒュミテではないと、そう言えば彼自身が言っていただろうか。もしそうだとすれば――その首に振るう刃が見つからなかった。何より彼女自身、負けたような気持ちで一杯だった。とてもそんな恥知らずな真似をする気にはなれなかったのだ。沸々と「殺せ」と湧き上がってくる殺意も、今このときばかりは鬱陶しいとすら思えてしまう。


 彼女の信念に、初めて揺らぎが生じていた。この言いようのない気持ちは何だ。彼は何を言っているのだ。彼女は頭を抱え、これほどに自分の歯車を狂わせた人間から、目を離すことが出来なかった。


「わからない。お前は一体――何なのだ?」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ