8「開校以来の天才 アーガス・オズバイン」
入学して半年からはまあまあ戻って、ある日のこと。私は演習場裏の木のたくさん生えているところで魔法の練習をしていた。
最初は演習場で魔法書に書いてあった魔法を練習したり、自分なりに考えた魔法を試したりしていた。毎日のようにやっていたら、次第に周りの目が集まってしまって、どうにも気になってきた。だから隠れてやれるところを探していたのだ。ここは周りからは死角になっていて見えにくい穴場であり、つい先日ようやく見つけたお気に入りの場所である。
まずは昨日のおさらいからやってみるか。
大きめの木の前に立った私は、左手を突き出して脳内で魔法のイメージを固める。
『ラファルス』
風の刃が飛び出し、目前の木を切り刻んで、浅い傷をいくつも付けていった。
よし。成功だ。間違えて木を倒してしまわないように、威力は抑え目にしてある。
『ラファルス』は元からこの世界にある風魔法『ラファル』を参考にして、好みで弄ったものだ。『ラファル』は、槍状の一本の風刃が飛んでいく魔法である。対して『ラファルス』は、風刃を日本刀の刀身のような形状にし、数も6つに増やしている。ちなみに『ラファルス』のスはスラッシュの略だ。
やっぱり風魔法はいいなと思う。
数ある魔法の中でも、私は風魔法が好きだった。
魔法は最初からあるものを操ることも出来るし、ないものを魔素からイメージで生み出すことも出来る。一般に、前者に対して後者の方が、ものを作り出さなければならない分魔力の消費は激しい。例えば水のない場所で水魔法を使うのは、水を直接魔法で操るよりも大変という理屈だ。
その点、風魔法は便利だ。空気は最初から豊富にあるので、魔力の消費に無駄がない。さらに言えば、魔法の軌道が見えにくく避けにくいことも特長の一つだろう。
まあそういう実際上の利点もあるのだけど、私が風魔法を好きな理由は実はもっと単純なものだ。
私は浮き上がった。
そう。風をコントロールすれば、こうして宙に浮くことが出来るのだ。
誰もが一度は夢見たことがあるだろう。空を飛ぶことが出来る。
魔法が使えると聞いてから、ずっとやりたかったことだった。何度も練習して実際に初めて出来たときは、かなり嬉しかったものだ。
ただ。残念ながら、実はまだ浮くだけで精いっぱいだったりする。自在に飛べるようになるにはまだまだ練習が必要だった。
しかも浮いている間は魔力を使いっぱなしにしないといけないから、非常に燃費が悪い。私でもあまり保たないから、事実上使えるのは相当の魔力値を持つ者に限るだろう。
こんな難易度の高く非効率な自力飛行よりも、アリスの家の愛鳥アルーンのように最初から空を飛べる者の力を借りる方がずっと合理的だ。
この世界で空を飛ぶ魔法を探したところどこにも載っていなかったのだが、風で空を飛ぶという発想を誰も思いつかなかったというのは考えにくい。単純に使えないか無理だと判断されたからだろうと思われる。
それでも。たとえ長くは飛べなくたって、私にとって飛行魔法が使えることはかなり意味のあることだった。
世界を移動したときに最も危険度が高いのは、その世界に対して何も知識がなく、誰にも力を借りることが出来ない到来直後だ。そのとき、空を飛べるというだけで格段に生存率が上がると思うのだ。例えば、人が住んでいる場所を探すにしても、食べ物を探すにしても、空から眺めることが出来るだけで随分変わってくるだろう。
しばらく飛行の練習をしていたが、浮いたまま少しでも横に動こうとすると、途端に風のコントロールが難しくなってちっとも上手くいかない。
ふう。そろそろやめようか。まだ大丈夫だろうけど、もし魔力が切れたら次の魔法が試せなくなるから。
体内に溜めた魔素を使うことで魔法は発動するが、一度魔素が空になった身体が再びそれを受け入れるようになるまでには、大体一日くらいのクールダウンが必要らしい。したがって、魔法を使い過ぎれば魔力切れという状態が起こる。気を付けないといけないのだ。
私は浮くの止めて地面に降りた。
さて、次へ行こう。
念頭にあるのは、気力による身体強化だ。あれがあるのとないのとでは、天地ほども動きのレベルに差が出る。
実際、かつて彷徨ったあのラシール大平原を、丸二日かけてへとへとになりながらも走り切ってしまったときには自分でも驚いたものだ。
イネア先生は魔法でそれに相当することをするのは難しいと言っていたが、どうにかして今の状態でも出来ないかと思ってしまうほどに、私はその威力を実感していた。
別に気力を使いたいときだけ男に変身すればいいのだが、人前で変身するわけにはいかないから好きには出来ない。何かの時のために、女のままで動きを向上させる方法があるに越したことはないと思う。
残念ながらこの身体には気力が全くないから、男のときの真似事は出来ない。
そこで考えた。ここでも風魔法が役に立つはずだ。
やろうとしていることの原理は簡単。移動に合わせて風でブーストするだけだ。上手く出来れば、肉体自体は強化されなくとも動きはそこそこ速くなるはずだ。
物は試しだ。さっそくやってみよう。
地面を蹴り出して飛び上がったところで後方に風を送り、身体を押し出す。
このくらいかな。
するとふわりと身体が前へ進んだが、あまり勢いはなかった。
ちょっと弱かったか。もっと強くしてみる。
そうしたら、今度はコントロールを誤って身体が前のめりになってしまい、額から地面に頭をぶつけてしまった。
「いたたた……」
失敗、失敗。もう一度だ。
それから、度重なる失敗にもめげずに練習していると、段々とコツが掴めてきた。
もっと威力を強くしてスピードを上げてみようか。
そう考えて、風の威力を上げて前へ加速した。
そのときだった。
突然、目の前に人の姿が現れたのだ!
燃えるような赤髪を持つ男子学生のようだった。
とにかく、避けなければ!
でも、加速したばかりで身体は止まらない。風を横に噴出して方向を変えようとしたが、焦って上手くいかず、身体の向きが地面に対して横になっただけだった。
ダメだ! ぶつかる!
「わああっ!」
思わず目を瞑った。
あわや激突かというところで、がしっと受け止められる感触があった。
「っと、大丈夫か」
目を開けてみると、彼の顔がすぐ近くに映った。中々整った顔をしていて、イケメンの部類に入るだろうか。茶色の瞳が、私のことを心配そうに覗き込んでいる。
「すみません」
「いいさ。急に飛んできたんで驚いたけどな」
「はは……」
よかった。大変なことにならなくて。
「オレの場所で何をしてた?」
「あなたの場所?」
「そうだ。周りがうるさいからオレが見つけた場所さ」
なんだ。そういうことか。
「ああ。私もそんな感じです」
「へえ。お前もか……」
それでお互いに話すことがなくなり、二人で顔を見つめ合わせたまましばし黙っていた。
その間の彼は、クールを装ってはいたが、顔が少し赤くなっているみたいだった。
それに、何かそわそわしているような気がする。
どうしてだろう。
そんなことを思ったとき、彼が少々ばつが悪そうに言った。
「……で、いつまでオレに抱きついているつもりだ?」
「へ?」
言われて初めて、はっきりと意識する。
私が、彼にしっかりと抱っこされている状態であるということを。
そうか。そうだよね。異性を抱っこしてたらそれは落ち着かないはずだ。
無防備だった。私は、なんて甘えたような格好でこの人に……
意識したら、私までドキドキしてきた。
一気に恥ずかしさが込み上げてくる。
まともに彼の顔を見られない。
「早く下ろしてくれませんかっ!」
「お、おう」
彼は私をそっと下ろしてくれた。
慌てて彼から少し離れる。
彼の方を向けない。まだ胸の鼓動が落ち着かない。
おかしいな。
確かに恥ずかしいけど、ここまで取り乱すようなことじゃないはずだ。
なんでこんなに意識してしまってるんだろう。
わからないけど、とにかく落ち着け。深呼吸して落ち着こう。
「なんか、悪かったな」
そんな私の様子を見て悪いと思ったのか、彼が謝ってきた。
いや、あなたは悪くないんだ。私がなんか混乱してるだけで。
ふう。一息つくと、ちょっとだけ落ち着いてきた。
顔を上げて彼に向き合う。
「いや、こちらこそ取り乱してごめんなさい」
「そうか……そうだ。まだ名前を聞いてなかったな。この学校の生徒なんだろ?」
「はい。1年生のユウ・ホシミです」
「ユウ……ああ。どっかで聞いたことあると思ったら、もしかしてあの爆炎女か?」
散々噂された不名誉な通り名を聞いて、ちょっと不機嫌になる。
「そうですよ……で、そっちは?」
「なんだ。オレを知らないのか」
こくりと頷くと、彼は意外だというような顔をした。
「アーガス・オズバインだ」
アーガス・オズバイン。魔法学校始まって以来の天才であり、名家であるオズバイン家の長男でもあるという彼のことか。名前だけは聞いたことあるけど、この人だったんだ。
「じゃあ、あなたがあの……」
「評判の方は知ってるのか。言っておくが、オレはオレだからな。どいつもこいつも天才だの何だの、喧しくてしょうがないぜ」
両手でやれやれというポーズを取る彼は、まんざらでもなさそうだった。
「はあ」
「そういや、お前が飛んできたあれは。何かの魔法の練習してたんだろ?」
「はい。そうですけど」
「何をやってたか聞かせてくれないか」
「あれは、風の魔法で加速してたんですよ」
それが彼の琴線に触れたようだった。
「加速か。中々面白いことを考えるじゃないか。詳しいやり方を教えてくれよ」
魔法のやり方を説明すると彼の心に火がついたようで、見かけのクールさによらない熱心な口調で改良案を提示された。私はそんな彼の姿に圧倒されるばかりだった。
それから彼の熱意に押されるまま、加速魔法を実際に改良することになった。二人でああでもないこうでもないと議論しながら、時に実践を交えつつ、加速魔法『ファルスピード』はものの見事に形を成していった。
この魔法を名付けたとき、スピードの意味を尋ねられたけど、速度って意味の英語だよとは言えないから造語だと言ったら、やけににやにやした顔をされて即採用となった。
これですっかり意気投合した私とアーガスは、時間が経つのも忘れるくらい夢中で話を続けた。やがて、話は飛行魔法にまで及んだ。
「空を飛ぶ、か。そんな子供じみた発想を本気でする奴がいたとは……」
「やっぱりそう思いますか」
「そりゃあな。空なんてその気になれば色んなもので飛べるだろ。お前、実は馬鹿なんじゃないのか?」
馬鹿ってなんだよ。馬鹿って。
「だって、やっぱり自力で飛べたら気持ちいいじゃないですか」
空を飛びたい切実な理由を隠しながら私は出来る限りの本心を述べたが、アーガスは若干呆れ顔みたいだった。
「そんなもんかね。で、実際どこまでいった。飛べたのか?」
「それが。風を使って飛ぼうとしてるんですけど、風を地面に吹き当てて浮くので精いっぱいで。横に動くには風を水平方向にも出さないといけないですけど、風を二ヶ所から同時に出すと互いに干渉し合って上手くいかなくて」
「なるほど。まあ発想自体は悪くないな。ん~、たまには馬鹿に付き合うのも面白いかもな」
腕を組んでいた彼は、一人で納得したように頷いた。
「昔から家では代々あるロスト・マジックを管理しててな。時空魔法の一種、重力魔法ってやつだ」
彼は、得意そうに人差し指を突き立てた。
重力魔法か。何だか凄そうな魔法が出て来たな。
「家の他の連中は能なしで扱えないが、オレだけはそいつが扱える。お前、魔力値は大体いくつだ」
「一万です」
彼がそれを聞いてにやりと笑った。
「上出来だ。それならいけるだろ。家の機密だから全部を教えてやるわけにはいかないが、今度自分を浮かせるだけの簡単な反重力魔法なら使えるように教えてやるよ」
「いいんですか!?」
「ああ。そいつとお前がやってた風魔法を組み合わせれば、多分空は飛べるだろ。やり方は言わなくてもわかるよな?」
「……あ! 確かに、それならいける! ありがとうございます!」
反重力魔法で上下方向を調節し、風魔法で水平方向に移動すればいいんだ。これなら干渉の問題もなくなり、風だけを使うよりもずっと易しい。完全なる飛行魔法の完成だ。
「いいさ。その代わり、条件が二つほどあるけどな」
「条件?」
なんだろう。
「一つ目だが、時々オレの魔法の訓練に付き合ってくれないか。ここんところ退屈してたし。お前は中々楽しい発想をするようだし、魔力値も他の奴よりは近い。一緒にやると面白そうだ」
「それなら喜んで」
この人と一緒に訓練すれば、得るものは非常に多そうだ。願ってもないことだった。
「オーケー。なら、二つ目だ。星の月に開かれる星屑祭ってあるよな?」
私は頷いた。
星屑祭とは、毎年星の月(地球で言うと11月くらいに当たる頃)に開かれる、サークリス全体を挙げてのお祭りのことだ。アリスからそんな祭りがあると聞いたことがある。
「毎年恒例のイベントで、ここの学生による魔闘技大会が行われるんだ。お前、そこの個人戦に出ろよ」
魔闘技。その名の通り、魔法によって試合をする競技だ。相手を立てなくさせるか気絶させるか降参させれば勝ち。殺すのは反則負けとなる。それでも稀に死者も出ることがあるそれなりに危険な競技だが、サークリス魔法学校は戦いも出来るような魔法使いを主として育てる学校であるため、禁止どころかむしろ推奨されている競技でもある。
でもどうして私がそれに。
「どうしてですか?」
「なに、大した理由じゃない。これも退屈しのぎさ。オレは有名なんで出ないといけないことになってんだが、相手に張り合いがないとつまらないからな」
「でも、私なんかで相手が務まるんですか?」
「大丈夫だ。お前はまだ弱いだろうが、しっかり訓練すれば中々のタマになると見たぜ。大会の一か月前までは、訓練のときにオレが鍛えてやるよ。残りの一カ月間は、お互い手の内を見せないように準備だ。せいぜいオレを楽しませてくれ」
そうまでお膳立てされては断るわけにもいかなかった。それに、これさえ呑めば反重力魔法を教えてもらえるのだ。私は一つ返事で頷いた。
「わかりました」
気がつくと、辺りは夕焼けに染まっていた。この世界の夕焼けは、地球のものと違ってまるで黄金のように空が輝く。そうなるのは、この世界には魔素があるからだ。
「もうこんな時間か。結構話し込んじまったな」
「そうですね」
「じゃ、そろそろ行くわ」
「今日は楽しかったです。さようなら」
その場を去ろうとしていた彼は、ふと足を止めて振り返った。
「あ、やっぱ条件三つな。お前、その口調やめろ」
「え?」
「その『あなた』とか『です』とかだよ。せっかく友達になったのに、堅っ苦しいだろ?」
「確かにそうですけど、一応先輩ですから」
「そんなこと気にすんな。オレを呼ぶときもアーガスとかお前でいいぞ」
へえ。そう言ってくれるんだ。まあ私も丁寧語で話すよりくだけて話す方が好きだし、ここは従おうか。
「わかった。そうしようじゃないか」
「って、切り替え早いな。猫でも被ってたのかよ」
「さあね」
私はさらっと言った。
「おい……ま、いいや。じゃ、またここで会おうぜ」
こうして私とアーガスは、時々この場所で魔法の訓練を共にする仲となった。彼とは共に考えた魔法を持ち寄って楽しんだり、鍛え合ったりした。彼のアドバイスはいつも的確で、その独特な着想にはよく驚かされた。私は彼から実に多くのものを吸収したと思う。私の方から彼に何かを与えられたかはわからないけど。
確かそれからだったか。私が彼に次ぐ天才少女とか言われるようになったのは。要するに、私は彼に引き上げられてしまったということらしい。