29「Sneak into Central Tower 3」
女のままではまともに戦えない。即座に男に変身して身体能力強化をかける。姿が変わったことに対する動揺は、彼には一切なかった。
「リルナから聞いてるぜ! 変身するんだってなあ!」
繰り出される拳を、すんでのところでスウェーによってかわす。ブンッ! と豪快な音が鳴り、空気を揺るがした。
ぞっとするような迫力だ。こんなもの食らったら、確実にぺしゃんこになるぞ。かすっても身体の一部がごっそり持っていかれる。絶対に当たらないように立ち回らないと。
だがもたもた勝負している時間はない。リルナが来る前に一刻も早くこの場を離れなければ。しかもだ。その前にセキュリティ管理室に侵入して目的を果たす必要がある。まだどうやって入り込めばいいかもわからないっていうのに。この難題をどう解決すればいい? 考えろ。
ステアゴルが右拳を振り下ろす。後ろに飛び退いてかわすと、再び衝撃音が轟き、床に大きな穴が空いた。粉々に破壊された床の破片が四散し、頬にぶつかってくる。
床が跡形もなく粉々になるほどの威力。パワーだけならリルナも凌ぐかもしれない。だけど……なんだろう。
しっかりと破壊のシーンをこの目で捉えてみると、少し不思議だった。普通硬いものを殴って割るだけなら、一つ一つの破片はもう少し大きめに割れるはず。たった一度殴っただけで、全てが小さなつぶてになるほど粉々になってしまうものだろうか。
――もしや、あの明らかに太い右腕は、それ自体が特殊な武器になっているのか? あれで殴ったものは粉々に破壊出来るような武器だとしたら、簡単に説明がつく。ちょっと探りを入れてみるか。
「大した武器だな」
ステアゴルは、愉快な顔で答えてくれた。
「はっはっは! おうよ! オレ自慢のパワーアームは、触れたもの全てを跡形もなく破壊する! お前もこいつの錆にしてやるぜ!」
重要な情報提供ありがとう。単純な奴で助かったよ。どこか憎めない奴だな。
おかげで良い案が浮かんだ。この状況を突破出来そうな手が。
たしかエデルのときも、決め手はそんな感じだったっけ――あとの問題は、手持ちのカードでいかにあいつを誘導するかだ。
そこで、自分の中にいる「私」に尋ねた。
『《パストライヴ》はまだ使えそうか?』
『かなり負荷はかかるけど……あと二回までならどうにか私が抑える。それ以上は無事の保証が出来ないからやめて』
『十分だ。こんな作戦でいこうと思うんだけど』
俺は「私」に考えを伝えた。「私」と俺の心は互いに開かれているから、考えを読み取るのはお互い一瞬で出来る。
『うん。いいね。その作戦、乗った』
『じゃあ俺は中で技の準備をするから、少しの間だけ身体の操作を頼む』
『任せて』
ユウと入れ替わりで表の世界に出てきた私は、すぐさま腰のホルスターから銃を抜き、六連射で弾丸を放つ。
彼の胸、頭、手足を正確に狙ったそれは、しかし彼の機体に容易く弾かれてしまった。
「そんなヘボい銃弾なんざオレにゃあ効くかよっ!」
構わず続けて撃ち込むも、彼の巨体はそんなものなど物ともせずに迫ってくる。
やっぱりダメか……私じゃまともに戦うには力不足みたい。
――でも、ユウのサポートなら私にだって出来る。
ステアゴルの巨体から繰り出される攻撃を横にステップしてかわす。動きが落ちてるから、男のときみたいには簡単にはかわせない。かなりギリギリになり、拳は髪の近くを掠めていった。
「おらおら! 逃げてばかりか! じきに隊長さんも来るぜ!」
再び右拳が振り下ろすような角度で迫る。
――逃げてばかりなんてつもりはない。このときを待っていた。私は姿勢を低くして素早く彼の懐に潜り込むと、彼の身体に触れた。
飛んで!
《パストライヴ》
全身を浮遊感が包み――次の瞬間、私とそしてステアゴルは、宙に浮かぶポラミット製の箱の上にいた。
「ああっ!?」
突然のことに動揺する彼。振り下ろした腕はまだ止まっていない。このままではもうすぐ私に当たってしまう。でも、私の役目はここでおしまい。
外の様子を心の世界で観察していた俺は思った。
――上手くいった。予想通りだ。
これはある程度予想が付いていた。だって、もし誰かが触れた状態であってもワープをすれば一人だけで飛べるなら、リルナがデビッドに組み付かれたときに、単に《パストライヴ》を使って逃れれば良かっただけの話。それをしなかったということは、つまりそれは出来ないということ。どうしてか。組み付かれただけで使えなくなるというのは考えにくいから、使っても意味がないと考えるべきだろう。
すなわち、《パストライヴ》には――使用時に使用者に触れている者も巻き込んで、一緒に飛ばしてしまう性質がある。
デビッドの命懸けの行為が教えてくれた情報だ。役に立たせてもらうよ。
『サンキュー。交代だ』
『うん』
「私」の代わりに瞬時にして現れるのは、既に右手の気剣に最大限のエネルギーを込めた俺だ。もう一瞬で当たる位置に入っている。こっちが早い。くらえ!
《センクレイズ》
まずは彼が確実に抵抗出来なくなるよう、動力炉のある胸部を斬り付ける。心の世界でしっかり溜めた威力最大のセンクレイズだ。いくらこの世界ではかなりパワーが落ちているからと言っても、バリアでも持ち出されない限り、銃弾みたいに容易く弾けるものではない。
「がはっ!?」
狙い通り、胸部は深々と斬り裂かれた。これで戦いには勝ったわけだが、まだだ。肝心なことが残っている。同時に空いている左手で彼の右腕、その根元を取り、投げ下ろしの体勢に入る。ここまで全て一瞬の出来事。彼は全く対応出来ていないが、狙いには気付いたらしい。
「おまっ!?」
「そのまさかだ」
お前自身の意志で発動させた右腕の破壊機能、この分厚い金属の檻を破るのに利用させてもらう!
インパクトの瞬間、ステアゴルの右拳を中心に、強烈な破壊が巻き起こる。
その瞬間に手を離し、巨体と破壊に板挟みに押しつぶされぬよう、二度目の《パストライヴ》を使って脇に逃れた。《パストライヴ》の反動で身体がふらつくが、何とか持ちこたえる。
目の前を見ると、俺にはどうやっても難しそうだったこと――箱に穴を開けるという目的は、彼の持つ目を見張る破壊力によって見事に達成されていた。エデルのときもそうだったけど、敵側に防壁を破れる攻撃力の持ち主がいたのは幸運だった。
空いた穴から箱の最上階216Fに飛び降りると、そこには巨体を大の字にして、金属の瓦礫の上で倒れているステアゴルがいた。彼は俺の姿を認めると、豪快に笑った。
「がはははは! 気持ち良いくらいにしてやられたぜ! ぴくりとも動けねえ!」
「悪いな。利用させてもらった」
「やるじゃねえか。オレの負けだ。さすが隊長と渡り合うだけのことはあるな」
彼は悔しがることも恨むことも一切せずに、俺のことを素直に認めたのだった。声はうるさいけど、さっきから裏表のない気持ちの良い奴だなと思う。敵でなければよかったな。
「時間がない。先に進ませてもらうよ」
「おっと。待ちなあ!」
「なんだ。 ――!?」
呼ばれて振り返った瞬間だった。突然身体に力が入らなくなったのだ。がくんと膝を付いてしまう。
う、なんだ……? 急に眠気が……?
《パストライヴ》反動がやっぱり響いているのか。いや違う、これは――!
ステアゴルは、挑発的に笑った。
「確かに俺の負けだ。だけどよ。へっへ。相手がこのオレだけだと思っていたら、大間違いだぜ」
「な、に……!?」
何か……されたのか……!?
「がはは! この勝負、オレたちの勝ちだ、ぜ……」
ステアゴルはそれだけ言い切ると、満足そうに気絶してしまった。
オレたち……だと。他に、誰かいるのか!?
うつ伏せに倒れてしまう。身体に力が入らない。
そのとき、確かに別の誰かが近づいてくる足音が聞こえた。
しまった……やられたのは……俺の方か……!
戦いに気を……取られている隙に、そいつに何かを……されてしまった、らしい。意識が朦朧としてくる。
『ユウ! しっかりして! ユウ!』
くそ。こんなところで、くたばるわけには……
ダメだ。意識……が……もたない……
『頼む……』
『ユウ!』
間もなく、倒れているユウの前に一人の人物が歩み寄って来た。
艶やかな緑色の髪をした女性。名をブリンダという。ディーレバッツの中でも、ガス兵器を利用した絡め手を得意とする隊員だった。彼女はユウの側まで寄ると、散々自分たちを手こずらせた男の顔をまじまじと眺め、ほくそ笑んだ。
「うふふ。あら、可愛い子。すっかり眠っているわ。知らぬうちにわたくしの強力な催眠ガスを吸ったのだから、当然ですけど。ステアゴルは、良い目くらましになってくれたわね」
彼女はユウの顔を掴み、彼のさらさらした黒髪を撫でる。
「リルナの手を煩わせることもなかったわね。後でこいつに仲間の居場所を吐き出させてやりましょう。死よりも苦しい拷問を与えてやるわ」
そのときブリンダは、当然のように勝利を確信し、完全に油断し切っていた。
――ゆえに、倒れていたはずのユウが変身して動き出したとき、致命的に反応が遅れてしまった。
ユウは起き上がりざまに、ブリンダの顔に一発拳を入れた。のけぞる彼女の身体をとってくるりと回し、後ろから羽交い絞めにする。鮮やかな手際だった。
私だけでまともに戦えば怪しかったから、気絶しているふりをして奇襲をかけるっていうずるい手を使わせてもらったけど。上手くいったみたい。
ぎりぎりと彼女を締め上げながら、問いかける。
「あなただったのね。ユウを眠らせてくれたのは」
「くっ……あなた、なぜ動けるの!?」
「残念。私には届かなかったの」
私の精神と肉体は、この現実世界においては普段ユウのものとシンクロしているけど、本来はユウのものとは別個にあるもの。だからなのか、催眠ガスの影響は私にはなかった。そしてユウが気絶してしまったから、私が一時的に表に出て来られるようになってしまったみたい。
「あり得ない! あのガスを吸って……! あなた、本当にヒュミテなの!?」
「一応ね。調子に乗って生け捕りにしようとしなければ、勝っていたのはあなたの方だった。詰めが甘かったね」
強引に引き倒すと、腰から銃を抜き、うつ伏せになった彼女の動力炉を背中から撃ち抜いた。さらに止めとばかりに、四肢にも追加で銃弾を撃ち込む。これで完全に動けなくなった彼女は、ショックで気絶したようだ。
「ふう――初めて銃がまともに役に立った」
――緊急セキュリティ管理室はこの下にある。急がないと。リルナが来る前に。
私は胸に手を当てて、まだ静かに眠っているユウに呼びかけた。
『ユウ。あなたが起きるまで、しばらく私が頑張るからね』