7「男女それぞれの半年」
入学式が終わり、授業が始まった。アリスと同じクラスになれたのは嬉しかった。ちなみにあれから仲良くなったミリアとも同じクラスだ。
担任は若い男性教師、エリック・バルトン。この町の防衛・治安の維持を担う片翼であるサークリス魔法隊にも籍を置く特任教師で、若手のホープと呼ばれているらしい。
授業は、魔法学、魔法史、魔法薬学などの科目がある。
魔法学では、魔法の分類について習った。魔法を使えば実に様々なことが出来るため分類は難しく、火を起こせば火魔法、水を操れば水魔法と言った具合に結構適当に名前を付けられているようだ。
最後に、ロスト・マジックについても触れられた。なんでも昔には、時空魔法や光魔法という系統があったらしい。そして、研究によって復元された魔法のうち二つが紹介された。
一つは最近ギエフ研が発表した収納魔法『サック』。異空間に収納スペースを作り出すことが出来る。まだ安定性や大きさに問題があるらしく、実用化に向けての研究が進められているそうだ。
もう一つは、オグマ研による光源魔法『ミルアール』。その名の通りライトの代わりになる魔法で、この町の夜を明るく照らしている魔法灯は、この魔法を応用して今から二十年ほど前に普及したものらしい。
イメージ的に難しそうな時空魔法はともかく、特別難しいようには思えない光魔法がロスト・マジックの一種だったのは意外だった。
初日の最後は、魔法演習の時間だった。担当の先生はベラ・モール。良い相手が見つからなくて結婚できないのが悩みだと自己紹介のときにのたまった三十路のお茶目な女性教師だ。
「まずは基本のおさらいからしましょうか。初級の火魔法ボルクをやってもらいます。皆さん出来るとは思いますが、一応お手本を見せますね」
ベラは、右手を突き出した。
「火よ、ボルク」
すると、一メートルほど先に小さな炎が現れて消えた。
へえ。これが魔法か。こっちの世界の人にしたら当たり前なんだろうけど、何もないところから火が出るなんて不思議だな。
「今はお手本なので詠唱しましたが、実際の戦闘で使うときには、イメージを頭の中で形作って脳内発声、つまり無詠唱で使うのが基本です。魔法が発動する前に、相手にどんな魔法を使っているか悟らせないためですね。もちろん日常の作業で使う際は、周りに知らせるために詠唱しても良いでしょう」
なるほど。無詠唱が基本というのには納得だ。よく漫画やアニメとかでは必殺技の名前を叫ぶけど、あれはちっとも合理的じゃないからな。
それぞれが実践に入る。さすが魔法学校の生徒というだけあって、大抵の人は苦も無く成功させていた。早い人は、演習書に書いてある応用編にもう移っている。
私はというと、当然やり方なんて知らないから周りがやっているのを見て形だけ真似してみたけど、ちっともうまくいかなかった。素直に観念して、隣で発展編をやってる友に頼ろう。
「アリス。やり方教えてくれないかな。どうしたらいいかわからなくて」
「そっか。ユウは魔法使ったことないものね。魔素を取り込んでイメージを練らないと魔法は使えないのよ。ゆっくりやってあげるからよく見ててね」
アドバイスをもらい、アリスがやっているのをよく目に焼き付けて、それからもう一度トライする。
魔素を取り込むためには、意識を外に向けて開かなければならないらしい。それを念頭に置いて集中すると、確かに身体に何かが入りこんで来る感覚がある。地球では全く感じたことがない、不思議な温かい感覚だ。
身体の内をふわりと満たす魔素を練り上げて、イメージする。炎を打ち出すようなイメージをしてみた。
『ボルク』
すると目の前にちゃんと炎が現れた。
やった! 出た!
意外とすんなり出来た。まさか自分が本当に魔法を使える日が来るなんて思わなかったから、ちょっと感動するな。
でも、あれ?
なんか火が大きくなってないか? それに形が――
みんなが普通に物を燃やした時に出るような炎を出したのに対し、私が出した炎は火の玉を成していった。しかもみんなの炎はすぐに消えるのに対し、私の火の玉は一向に消える気配がない。
どうしよう。
「なあ、これどうやって消したらいいと思う?」
こっちを向いたアリスの目がぎょっとした。
「えー、なによそれ!? どうしたらそうなるのよ!?」
「まるで、別の魔法、ですね」
とミリアが横で呆れながら突っ込んできた。
「いや、それがどうしてこうなったのかさっぱりで」
炎を打ち出すイメージが良くなかったのだろうか。ファイアボールみたいなのを無意識に想像してしまったのかもしれない。噴出するような感じにしたらよかったのかも。
「ってユウ、よそ見しちゃダメ! コントロール!」
「あ!」
アリスに言われて気付いたときにはもう遅かった。制御を失った火の玉は、演習場の端までぐんぐんと飛んでいき、そして。
安全用の魔法障壁、結構強力なはずのそれを見事にぶち抜いて、爆音を響かせた。
辺りは騒然とし、場の空気は一瞬で凍りついた。
「あーあ、やっちゃったね」
アリスがしーらない、って顔をして呆れている。
「ホシミさん! あなた何やってるんですか!」
モール先生の怒声が演習場に轟く。
「す、すみません!」
その後、放課後にアリスとミリアに付き添ってもらって散々居残り練習した。このままではまずいと思ったからだ。
そしてようやく通常のボルクを習得した頃には、もう夕方になっていた。何度も失敗して大変だったけど、おかげで大分魔力の扱いのコツは掴めたから、翌日からそこまで変なヘマはしなくなった。
私は強くなるために、時間の許す限り懸命に学んだ。図書館で魔法書を紐解いたり、この世界にはない地球の漫画やアニメで培った豊富なイメージを生かして既存の魔法をアレンジしてみたり。
とにかく貪欲に魔法を学んでいった。最初こそ苦労したものの、そのうち成績も魔力値に恥じない優秀なものとなっていった。
そうしていつしか、開校以来の天才アーガス・オズバインに次ぐ天才少女と言われるようにまでなった。自分でも驚きだったが、それだけ必死だったのだろうと思う。
でも、初日の事件のせいで『ボルクで障壁を破壊した爆炎女』としても有名になってしまったのは笑えないが。
最初は先輩面をしていたアリスも、次第に頭角を現してきた私に負けまいと対抗心を燃やして、めきめきと実力を伸ばしていった。いつも私たちの横に付き合っていたミリアも感化されて、大きく成績を上げたのだった。
まあ、その辺りの話は少し後ですることにしよう。
楽しかった昼の学校生活に比べて、夜の修行は過酷だった。イネア先生が本当に容赦なかったのだ。
シーン0
「言っておくが私はスパルタでやるぞ。せいぜい死なないようにな」
「はい」
目が本気だった。死ぬほどの修行とは一体何なのだろうか。このときはわからなかったが、すぐに思い知ることになった。
平日は気剣術校舎(通称、道場)で修行し、休日は知らない山や川などへ連れて行かれた。イネア先生は凄腕の気の使い手だ。だから相対的にあまり魔法は得意ではないが、ネスラという種族の特性で転移魔法を使うことが出来るらしい。予めマークした場所に限るが、俺を連れて一瞬で行けてしまうのだ。
シーン1 道場にて
「とりあえずこれらの型を千回ずつやれ。一回一回しっかりやれよ」
初日からいきなり木剣を持って、各千回ずつの型の練習を命じられた。剣なんて、全然握ったことないのに。
「……マジですか」
「ほう。嫌ならやめてもいいのだぞ?」
「いえ、頑張ります」
俺は、とんでもない人の弟子になったのかもしれないと思った。
シーン2 川原にて
「生命エネルギーのコントロールが全ての基本だ。まずはそれが出来るようになれ」
「どうすればいいんですか?」
「精神を集中して、感じろ」
イネア先生は、所々感覚派だった。
精神を集中して、感じろって言われても。
俺にはわからなかった。仙人じゃあるまいし、わかるわけなかった。結局どうにもならずに困っていると、先生が声をかけてきた。
「仕方ない。少し手荒いが、一度気を叩きこんで身体に覚えさせてやるか」
何をするのだろうと思った直後、先生が腹パンをかましてきた。強烈な痛みと刺激が俺を襲う。
「げほっ! ごほっ!」
「どうだ?」
む、無茶苦茶だ。
「ぐっ……なんか、熱いものが」
確かに、熱い何かが流れ込んでくるような、そんな感覚があった。
「それだ。その流れの感覚を覚えて自分で操れるようにしろ。もう一発いっておくか?」
「いえ、勘弁して、下さい」
痛みで、俺は気を失った。
シーン3 道場にて
「やった! やりました! 先生! 気剣が出せるようになりました!」
血の滲むような苦労の末に、初めて気剣が出せた。それではしゃいでいた。柄にもないことだけど、嬉しかったんだから仕方ない。これで、男の俺もついにファンタジーの住人の仲間入りというわけだ。
「ほう。よくやったな。それで。どのくらい維持できる」
だけど、先生は一言褒めた(これでも珍しいから嬉しかったけど)だけで、実にそっけない反応だった。
「あ、いや。まだ十秒くらいですけど」
正直に言うと、やれやれと言った調子でこう言ってきたのだ。
「気剣を出せても維持が出来なければ意味がない。五時間は出しっぱなしに出来るまでやれ」
「五時間……だと……」
俺は、絶望した。
シーン4 山奥にて
先生は、よく俺に無茶をやらせた。
「向こうに大型の肉食獣がいる。お前一人で仕留めて来い。もちろん魔法は使うなよ。もし使ったり逃げたりしたらこの山に置いて行くからな」
「そんな! この間気剣出せるようになったばかりですよ!」
「気剣の威力を舐めるな。お前のようななまくらでも、当たればなんとかなる。それに、格上の相手との死闘はこの上ない経験になるぞ」
「やっぱり格上じゃないですか!」
シーン5 ラシール大平原の真ん中にて
「いいか。ここからサークリスまで二日以内に自力で帰ってこい。私は助けないからな」
「先生。俺、三か月前ここで死にかけたんですけど」
「それはお前が弱かったからだ。気力を使った身体能力強化をこの前教えただろう。それを使え。私は絶対にやれないことはさせない主義だ。まあ一割くらいの見込みがあるならやらせるがな。では、また道場で会おう」
そう言うと先生は一人だけ転移魔法を使って帰ってしまった。
「あっ! ……行っちゃったよ。帰ったら文句の一つでも言ってやろう」
先生の無茶振りにも、慣れてくるものだと思った。
シーン6 崖の上にて
「これは……」
崖と崖の間に、靴幅より狭い綱が一本だけ張られていた。
「集中力とバランス感覚の訓練だ」
「これを、渡るんですか?」
「そうだ」
「また無茶を……」
「いいからさっさと行け」
「はい、わかりましたよ」
シーン7 道場にて
先生は、時々直接稽古を付けてくれた。
「どこからでも打ち込んで来い。お前が甘い動きをする度に、気絶しない範囲で最も強い痛みを何度でも与えてやる。痛みに耐える訓練にもなるな」
「前から思ってたんですけど、先生ってドSですよね」
「何か言ったか」
「いいえ」
左手に気剣を出して構える。
打ち込んで来い、か。どこから攻めたものか。さすが先生だ。隙が全然ないんだよな。
「どうした? 来ないならこちらからいくぞ」
「いえ、いきます」
考えていたって仕方ない。駆け出して放った渾身の一振りは、虚しく空を切った。
直後、背中から骨が軋むほどの衝撃を受けて吹っ飛ぶ。
「くっ!」
どうにか立ち上がる。
痛い。めっちゃ痛い。
でも、ここでひるんでいるようではダメだ。
次は先生の銅を狙いに行く。先生は強い。殺すくらいのつもりで攻撃だ!
「甘いな」
今度は、正面から手首を打ち据えられる。そこに激痛が走った。
「……っ……まだまだ!」
必死にもがく俺を見て、先生は妙に楽しそうだった。
「よし。その調子で来い」
その後も、軽くぼこぼこにされた。稽古の合間に、次々と先生の言葉が飛んでくる。
「動きを目だけで追おうとするな。相手から発せられる気を読み取れ」
「弱い場所を狙え。意識の隙間を狙え」
「頭で考えながらも、直感で動かなければ間に合わない」
それらの言葉を胸に刻みながら、俺は懸命になってかかっていく。
結局この日は、一度も攻撃を当てられなかった。
シーン8 山奥にて
先生は、時々蘊蓄を語るのが好きだった。
「ところで、なぜ気『剣術』なのだと思う?」
「それは前から疑問には思っていました。けど、今ならなんとなくわかります。気力は外界で散らされやすいから、ですよね」
一度気功波のようなものを打ってみようとしたことがあったが(憧れもあったし)、どうしてもダメだった。手から離れた気力は間もなく大気中に霧散してしまうのだ。
「そうだ。気力は発生源である使用者の肉体から離れるほど薄れ、加速度的に弱くなる。それゆえ、師は手から直接放出される気剣を編み出したのだ。気力を最も強力な形で運用するための一つの答えというわけだな。そしてこの気の性質上、対象に接近しなければまともな攻撃は出来ない。これは、遠距離に対しての使用も出来る魔法と違って使い勝手の悪いところだな」
「なるほど。接近、と」
先生のこういった蘊蓄話は、参考になることが多かった。
「だが、気には魔法にはない利点もある。一つは、身体能力の強化が出来ること。そして、自身を含めた対象の治癒が可能なことだ。これらのことは魔法では容易ではない。工夫すれば出来ないことはないが、手軽さや効果の上では大きく劣るだろうな」
「そうですね」
そうなんだよね。先生の言う通り。
この世界で魔法を学んでいてわかったことなのだが、身体能力を直接強化する魔法はないし、回復魔法というものも存在しない。特に後者の魔法がないことは、ゲームとかのイメージからすると意外だった。
一応、魔法薬の中には回復効果を持つものもあるのだが、だからといって瞬時に回復するわけではなく、自然治癒の補助くらいにしかならない。また、そうしたものは通常治療院にしか置いておらず、治療院の利用料金はそれなりに高い。
その点気力を使えば、瞬時とまではいかずとも相当な速さの回復効果が得られるし、身体能力だって直接大幅に強化できる。これらが気力の魔力に対する主な優越性だった。
「それに、この世界には稀に魔法に対して耐性を持つ厄介な抗魔法生物がいる。だが、そうした相手にも気力による攻撃は有効だ。覚えておくといい」
「はい」
抗魔法生物か。女の身体で相手をするのは大変そうだな。
シーン9 道場にて
「もうお前が来てから半年になるのか」
「もうそんなになるんですね」
「ユウ。今日はもう遅いし、家に泊っていかないか」
「どうしたんですか。急に」
いつもなら必ず寮に返すのにこんな提案をするなんて。少し先生らしくない気がする。
「なんとなくだ」
前言撤回。やっぱり先生は先生だった。
「いいですよ。泊まっても」
「そうか」
そのときの先生の顔は、とても嬉しそうだった。
広い道場に布団を敷いて二人で横になった。
「こうして二人で寝るのは久しぶりだ。なんだか昔を思い出すな……」
月の明かりに照らされた先生の顔は昔を懐かしんでいるようで、どこか憂いているようでもあった。「もっとも、今は立場が逆だがな」と先生が呟いたとき、もう表情は元に戻っていたけど。
「ユウ。やはり修行は厳しいか。嫌だと思ったことはないか」
「もちろんありますよ。一体何度死を覚悟したことか」
「ほう。それは悪かったな」
「でも、おかげで精神的にも肉体的にも相当鍛えられた気がします。先生、なんだかんだ言って面倒見が良いし」
「ふふ、そうか。だが、まだあくまで基本を叩きこんだに過ぎない。今後はもっと厳しいメニューを用意している」
「望むところですよ」
そこで一旦会話は途切れ、しばしの静寂が戻る。
先生がぽつりと言った。
「……お前も、いずれは師のようにどこかへ行ってしまうのだな」
「わかりません。けど、行きたくないな……」
地球に帰れないのなら、せめてここにいたい。俺はこの星で暮らしているうちに、そう考えるようになっていた。
「ほう。そう思うのか」
俺は何となく自分の身の上を先生に話したい気分になっていた。夜の寂しい月明かりがそうさせるのだろうか。
「……俺の両親、俺が小さい時に死んじゃったんですよね。それから、俺には家族と呼べる人はいなかった。それでも俺は、自分の生まれた星が大好きだった。なぜ大好きだったのかは上手く説明出来ません。ただの愛郷心かもしれません。それでも、離れたくなかった。なのに、よくわからない理由でこの星に飛ばされて」
「そうか。家族もなく故郷も追われて。辛かったな」
先生はいつになく同情的だった。俺は頷いた。
「正直、最初は悲しかったです。不安だったし、そんなにここの暮らしにも期待していなかった。でも今は、大切な友達が出来たし、先生も出来た。そしたら、やっぱりここも好きになってしまって。離れたくないなって、そう思ってしまうんです。虫の良い話ですかね」
「そんなことはない。人として普通の感情だと思うぞ」
「……もし行く先々でこんな思いをしなければならないのだとしたら、俺は……」
耐え切れるだろうか。正直自信がない。
そのとき、俺の頭に先生の手が触れた。俺の頭を撫でながら、普段は見せないような優しい目でこちらを見つめている。少し気恥ずかしかったけれど、撫でられているうちに不安に駆られるような気分が軽くなっていった。
「私にはお前の境遇をどうにかしてやることは出来ない。ただ、これだけは言える。いつか別れのときが来たとしても。ユウ。お前から私がいなくなるわけではない。お前が剣を振るとき。私が教えたこと、私がこれから教えること、その中に私はいる。他の人だってそうだ。場所は離れても、心は繋がっている」
心は繋がっている、か。ありきたりの言葉だけど、そう思うのが正解なのかもしれない。でもそんな風に達観するには、俺はまだ若過ぎた。
「……そんな風に思えればいいんですけどね。まだ俺には無理かな。割り切れないや」
「いずれそう思えるようになるさ。きっとな」