5「ユウ、己の能力を知る」
今度は驚いたのは私の方だった。なぜそれを!?
開いた口が塞がらない。
そんな私をしっかりと見据えながら、彼女は続けた。
「私としても奇妙な言い方だとは思うがな。どうだ、違うか?」
何も言い返すことが出来なかった。その通りだったからだ。
私の無言を肯定とみなした彼女は、合点がいったように頷いた。
「なるほど。随分と常軌を逸した存在のようだ」
「……どうしてわかったんですか?」
「私は気力を探ることが出来る。それでお前を調べてみたのだ。一見お前からは何も感じられなかったが、お前の奥底に核となるもう一つの存在を感じた。となれば、そう考えるしかあるまい」
驚いた。そんなことが出来るのか。
「お前のような者は見たことがない。奇跡のような存在だ。するともしや、お前は……」
少し思案するような素振りを見せてから、彼女は言った。
「フェバル、という言葉に聞き覚えはないか?」
「それは……!」
まさかここでその言葉が出てくるとは思わなかった。この人は、一体どこまで知っているのだろうか。
「やはりそうか! ではお前は、フェバル本人か。あるいはその関係者か」
「……フェバルです」
「そうか……私自身はフェバルではないのだが、私の気剣術の師、ジルフ・アーライズがそうだった」
なるほど。それでフェバルのことを知っていたのか。
ジルフ・アーライズ。初めて聞く名前だ。フェバルはウィルやエーナの他にもまだまだいるのだろうか。
「師は言っていた。自分と同じ運命を持つ者がもし現れたら、そのときはそいつを助けてやってくれないか、と」
そう言うと、彼女は私の目をじっと見つめてきた。私という人物を見透かすような鋭い目で。やがて彼女は再び口を開いた。
「詳しい話が聞きたい。中に入ってお前自身のことを洗いざらい話してくれないか」
「それは……」
「心配するな。決して悪いようにはしない。それに、私からも色々と話そう」
そうまで言われては断れなかった。それに、私も彼女から話を聞きたいと思った。
「……わかりました。だけど、誰にも言わないで下さい」
「もちろんそのつもりだ。この話は二人だけの秘密にしよう」
私は、校舎の中に入って全ての事情を説明することになった。誤魔化すことはしなかった。相当事情に詳しそうだし、彼女の口ぶりと親身な態度から、本当に味方になってくれそうな、そんな気がしたからだ。
そして全てを話し終えたところで、イネアさんが口を開いた。
「なるほど……それにしても大変な奴に目を付けられたものだ。ウィルなら私も会ったことがある。恐ろしい奴だった。ラシール大平原。あそこにはかつて魔法大国が存在していたことは知っているか?」
「アリスという友達から聞いたことがあります」
「そうか。あれは大規模な魔法実験の失敗で滅んだと一般には考えられているが、本当のところは違う。奴が気まぐれで、一夜にして滅ぼしたのだ」
「なっ……!」
あんな広範囲を、一夜で……!?
常識で考えれば、信じられないことだった。だが色々と規格外そうなあいつなら何だってやりかねないと私は思ってしまう。
あいつ、底が知れないと感じていたけど、やっぱりとんでもない奴だったんだ。
そんな奴に、私はおもちゃにされてしまっている……
そのことの恐ろしさを、改めて認識する。私はあいつにどう弄ばれてしまうのか。怖くて考えたくもなかった。
「奴の『干渉』は凄まじい能力だ。奴がその気になれば、世界は滅びるしかなかっただろうな。師と私で挑んだが、全く敵わなかったよ。私は足手まといだったがな……」
そう言って遠い目をした彼女は、少し悲しそうに見えた。
「……まあそれは良い。ところで、信用しないわけではないのだが、一応見せてはくれないか。男の姿というやつを。いつでも変身できるのだろう」
突然の提案だった。あまりのことに、あいつのことすらも頭の片隅に追いやってしまうくらい動揺してしまう。
「えっ……今、ここで……ですか?」
「そうだ。何か問題でも?」
「いや、だって、その、服が……」
今変身したらキモいことになってしまう。だって、この間トイレで考えて嫌気がさした恰好そのままじゃないか!
「なに。私以外誰も見てはいない。恥ずかしがることもないだろう」
「……着替えを持ってきてからじゃダメですか?」
「それでは時間がかかるな。却下」
「…………」
逆らえないプレッシャーをひしひしと感じた私は、泣く泣く変身した。
……自分で自分は見えないが、今の俺は間違いなく女装をした男の恰好だ。服がぱつんぱつんに張る感触がある。くっ。これだけはしたくなかったのに。
俺のことをじっと見るイネアさんの視線に耐えきれず、顔を背けてしまう。
「ほう。わかってはいたが、素晴らしい気力だ。これならばいけるか」
そしてやはりというか、彼女は可笑しそうに笑い出した。
「それにしても――あーはっは! 予想以上に面白い恰好だな!」
「ああ、くそっ! だから変身なんてしたくなかったんだ! もう戻りますよ、俺は!」
すぐに再変身して女に戻る。一気に心が乱れてしまった。
「くっく……しかし、変身の度に着替えなければならんというのは不便だな。よし、今度便利な服を用意してやろう」
「便利な服、ですか」
「ああ。ちょうど良いことに、男のときは魔力が全くないし、女のときは魔力がある。それを利用しよう。普段は男の服で、お前の魔力に反応して瞬時に女の服に変化するような服を作れば問題ないだろう」
「そんなものを作れるんですか!?」
そんな便利なものがあったとしたら、もう一々人目を気にしながら着替える必要はなくなる。ありがたいことだった。
「私を誰だと思っている。任せておけ」
彼女は自信満々に胸を張った。
「さて、ユウ。さっきの変身でお前の身体に関して十分な情報が得られた。私にわかることを教えてやる。どうやらお前は何も知らないようだからな。知りたいだろう?」
私は強く頷いた。能力が目覚めて以来、自分で自分のことがわからず、もやもやしていたのだ。知ることが出来ることなら何だって知りたい。
「まずは前提からだ。魔力とはこの世界の常識では、魔素を受け入れる能力のことだと言われているな」
私はこくりと頷いた。そのようにアリスから聞いたことがある。
「だが、それは狭義の意味に過ぎない。広義の意味では、魔力とは外界の要素を自己の内に取り入れて利用する力、気力とは自己の内の要素を外界に取り出して利用する力のことだ。慣習上、魔力とか気力とか呼んではいるが、実際はもっと抽象的な力のことを指すというわけだ」
「そうなんですか」
「そうだ。この二つの力のベクトルは真逆であり、互いに反発し合う。したがって、魔力が強いほど気力が、気力が強いほど魔力が抑えられ、弱くなってしまう。ここまではいいか?」
私が頷くと、彼女は続けた。
「見たところ、お前は女のとき、お前の奥底で核となっている男の部分から生命力などを常に供給されることで活動している。女の身体それ自体に生命力はないというわけだ。だからなのか、お前の女の身体には、普通の生物なら必ず持っているはずの、生命力を操る機能そのものがない」
「じゃあ、私のこの身体は操り人形みたいなものなんですか」
「そういうことになるな」
何だか不思議な感じだ。私は今、こうして普通に息をして、動いているのに。そういった生命活動全てが、男の私に依存しなければ成り立たないだなんて。
「生命力とは、自己の内部要素で最も基本的なものだ。それを操る機能がなければ、自己のどんな内部要素も操ることは出来ない。外界に取り出されることもあり得ないから、気力が全くないということになる。そして、気力がないゆえに、魔素といった外部要素を全く弾くことなく受け入れることが出来る。女の身体の魔力が異常に高いのはそのためだ」
彼女はそこで一拍間を置いてさらに続ける。
「一方でお前が男のとき、女の部分は引っ込んでいるから何も供給する必要はない。男の身体が持つ高い供給能力は、そのまま外界へ放出する能力へと転じることになる。したがって、男の身体は気力が非常に高くなる。そしてそのために、外界の魔素などをことごとく弾いて寄せ付けないのだ。男の身体の魔力がゼロ、つまり魔力計で検出出来ないほど弱いことは、これで説明がつく」
なるほど。謎が解けたような気がした。偶然だと思っていた男女での魔力値の乖離には、そういう背景があったのか。
そこで彼女の顔つきがより真剣なものになった。私も息を呑んで彼女の言葉を待つ。
「――大事なのはここからだ。魔力と気力は反発しあうと言ったな。そのために、一人の人間が強い魔力と気力を兼ね備えることは出来ない。人間の限界というものだ」
「人間の限界……」
彼女は頷く。
「ところがお前は、二つの身体を持つことでこの限界をまがいなりにも突破してしまった。これは凄いことだぞ、ユウ。お前の能力は、お前自身が考えているような、ただ変身出来るというだけのつまらないものでは決してない」
私の能力が、つまらないものじゃない?
衝撃だった。
私はこれまでずっと、彼女の言う通りこの能力のことを見下げていた。事実、役に立ったことなどほとんどないし、これからもあるとは思えなかった。一応平原でのサバイバルのときには役に立ったけど、あれはあくまで例外だ。
むしろこんなおかしな能力があることが世間にばれたら、どんな厄介なことに巻き込まれてしまうのか。その心配ばかりしていたのだ。
それが、まさかそんな風に言われるとは思わなかった。
「確かに、お前の能力は強くはない。一つの身体だけ見れば、せいぜいが人間のレベルに過ぎないのは事実。私の師や、ましてウィルといった化け物には力では勝てないだろう。だがお前は、ある意味で正反対の性質を持った二つの身体を使い分け、互いに補完し合うことで、人の限界を超えて多くの物事に触れ、身につけることが出来る素質がある。その成長性は捨てたものではない。まさに人間を超えられる器なんだ。お前はな」
私は彼女の話すことに、ただただ圧倒されていた。
私が人間を超える存在になり得る!? この私が!?
驚くのはそればかりじゃなかった。彼女はもう一つ付け加える。
「それにこれは勘だが、私も気付いていないような秘密がまだその身体にはあるような気がする。お前が彼らに対抗できる可能性が万一あるとすればそこだろうな」
私は戦慄した。今はか弱いだけのこの身体に、そんな恐ろしい可能性が秘められているというのか。あのウィルにいいようにされずに対抗できる可能性が、ほんの少しでもあるというのか。
それは希望であると同時に、末恐ろしいことでもあった。
そしてふと思い当たる。
『僕は人間の形をした化け物だ。そして、お前もいずれはそうなる』
あいつが、確かにそう言っていたことを。
『神の器』。あいつがなぜこの能力をそのように呼んだのか。
あいつは、きっと見抜いていたんだ。
本当に役に立たない能力なら、あいつは間違いなくそんな風には呼ばない。あいつとは少ししか話していないけど、それくらいのことはわかる。
確かにオーソドックスではない。一見するとふざけた能力だ。だけどこの能力も、あいつのそれのようにこの世の条理を覆すような能力だったということなのか?
――ああ。ダメだ。頭が混乱する。とにかく初めて判明したことが多すぎるよ。整理には時間がかかりそうだ。
「ああそうだ。フェバルのことなのだがな……実は、私もよく知らないのだ」
「そうなんですか!?」
意外だ。これだけ事情通ならフェバルのこともある程度は知っているのかと思ったけど。
「ああ、残念ながらな。師は口をつぐんで大事なことは何も教えてはくれなかった」
そう言って一つ溜息を吐くと、彼女は続けた。
「……ただ、それでも私にとって師が大切な人であることに変わりはない。だから、私はフェバルを助けよという師の言葉に従うとしよう――そうだな。私に出来る手助けと言えば、これくらいだ」
イネアさんは立ちあがった。右手がぱっと光ったと思うと、そこから光り輝く白い剣が飛び出した。
それは、まさにあの絵と同じものだった。その剣を私に突きつけて彼女は言った。
「ユウ。ここで気剣術を学んでいけ。お前ならきっとものに出来る。必ず役に立つはずだ」