episode1
一方その頃。
自宅に戻った天音は、脇目も振らずまっすぐに二階の自室に向かって階段を駆け上がった。
「お帰り~。次郎の奴は元気していた?」
階段を駆け上がる音で、二人が帰ってきた事に気がついた母親が台所から声をかける。だが、天音の耳には届かなかったようだ。代わりに天音の後に続く琴音が答えた。
「う、うん。元気そうだったよ。お母さんによろしくって」
「全く、次郎ったら放っておくと連絡一つよこさないんだから。どうせ部屋なんか、ゴチャゴチャでスラム状態になっていたんじゃないの?」
「あはは……」
さすが小山田の姉、するどい読みである。
適当に話を切り上げた琴音は、天音と共に共同の自室に戻った。
自室に戻った天音は、一目散にパソコンを立ち上げる。そして、検索エンジンを使って何かを調べ始めた。
「確かさっき見たサイトに……」
天音が開いたサイトは、先程小山田の家でも見ていた『猿でも書ける小説道場』と言うサイトであった。ここは、小説家を目指す人たちの為にサイト主である『類人猿』氏が小説の書き方を分かり易くレクチャーしている手解きサイトである。ちなみに、類人猿氏は小説家を二十年目指し続けている大ベテランのアマチュアだ。
見てなさいよ次郎おじさんめ。この天音さんにかかれば、出来ない事なんて無いんだから。小説なんてチョチョイのチョイよ。
画面を凝視しながら、天音は一心不乱にサイトを読み漁り始める。
そんな天音の横にちょこんとしゃがんだ琴音は、体育座りで天音を見つめた。
「ふむふむ。『まずはモチーフを決めましょう。モチーフとは、創作のきっかけとなる「書きたいもの」と「書きたいこと」のことを言います』か。確かここはさっき読んだわね。次はと……」
「ねぇお姉ちゃん。お姉ちゃんが書きたい小説ってどんな小説なの?」
琴音の質問に、天音は良くぞ聞いてくれましたと言わんばかりの満面の笑みを見せた。
「そうねぇ、月並みだけど恋愛小説でも書こうかしら。やっぱり女の子の永遠のテーマって恋愛だと思わない? 現実では起こり得ない燃えるような激しい恋愛を書くの! キャーッ!」
自分で自分を抱きしめながら、天音は唇を突き出すと顔を真っ赤にして叫んだ。一体どんな恋愛を想像しているのだろうか? 気になる所である。
琴音は、ほうっと息を吐くと期待に潤ませた瞳で天音を見つめた。
「恋愛小説かぁ。次郎おじさんの小説も楽しみだけど、お姉ちゃんの書く小説も楽しみだなぁ。どんなお話?」
「バカねぇ。それを言ったら楽しみが減っちゃうでしょ」
「それもそっか」
ニシシと白い歯を見せて笑う天音。
てヘっと舌を出す琴音。
二人は顔を見合わせ、クスリと微笑む。
性格は正反対の天音と琴音だが、二人は妙に馬が合う。彼女達は、何をするにも何処に行くのも常に一緒。端から見ても微笑ましいくらい仲の良い姉妹であった。
「なになに? 『書きたい小説が決まったら、次はテーマとメッセージを決めましょう。テーマは「表面的なもの」。メッセージは「内面的なもの」を指します。テーマ性の低い作品には、低い評価しかつきません』。うーん、何だか段々と難しくなってきたわね」
天音は腕を組みながら首をかしげる。琴音も釣られて首をかしげた。
「小説を書くのに、テーマとかメッセージとか、そんな難しい事を考える必要があるのかなぁ? 自分が書きたい事を書くだけじゃ駄目なの?」
「そうねぇ……」
天音は顎に指を当てると、うーんと考え込む。
「誰にも見せない、例えば自分だけが楽しむ日記のような小説を書くならそれでも良いと思う。でも、せっかく書いたなら他の人にも読んでもらいたいって思うのが普通でしょ。そう考えると、一人よがりの小説を書いてもしょうがないわよね。作者の私が『何を伝えたいのか』をあらかじめ明確にしておかないと、読み手には伝わらないだろうし」
コクリと琴音は頷く。
「自分の書いた小説を芸術作品だとか言って崇高な物にするつもりはさらさら無いけど、読み手がいる以上、テーマとかメッセージ性はやっぱり必要な気がする。読んだ後に『だから何?』と言われるのも癪だしね」
「なるほどー。お姉ちゃんって凄いね! そんな事まで考えているなんて!」
うんうんと琴音は感心したように頷く。
「いやいや、私じゃないし。このサイトの主である類人猿さんの考えだから。それにしても、やるわね類人猿。猿のくせに中々するどい指摘だわ」
「本当、お猿さんなのに凄いね」
本人の知らない所で、酷い言われようである。
「さてさて、しっかりと勉強して面白い小説を書くわよ~! 次郎おじさんなんかに、絶対負けないんだから」
「お姉ちゃん、ファイト!」