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「老いぼれの土いじりなど要らん」と宮廷農園を追い出されたので、王妃陛下の薬草茶もすべて持ち帰ります

掲載日:2026/10/01

「老いぼれの土いじりなど要らん。明日からここには、帝国の最新温室を建てる。お前のような前時代的な土百姓は、退職金代わりにそのガラクタでも背負って消えろ」


新任の宮廷管理長補佐、ユルゲン男爵令息が足元へ投げ捨てたのは、三十七年間使い続け、刃の痩せた剪定鋏だった。


敷石に叩きつけられ、甲高い金属音が朝の庭園に跳ね返る。


はあ? 何を言ってるんだ、この若造は。


俺、アロイスは、膝をついたまま泥にまみれた鋏を見つめた。六十歳。今日が三十七年間勤めた宮廷仕えの定年の日だった。


退職の時期は前々から決まっていた。

だからこそ、俺は数年前から医療局や総務局へ「王妃陛下の茶の製法や土壌管理を引き継ぐため、後任の見習いをつけてほしい」と何度も要請書を出していたのだ。だが、上層部から返ってきたのは「雑草を干すだけの仕事に専任の人員など割けない」「代わりなどいくらでも調達できる」という冷淡な却下だけだった。


結局、後任の育成枠すら与えられないまま迎えさせられた定年だった。それでも、後から入る者が困らないようにと、数年かけて育てた土壌の特徴や、調合の基礎をまとめた分厚い引き継ぎ手順書を用意していた。正式な退職届とともにそれを提出するのが、今日の予定だったのだ。


だが、その日を待たずに、ユルゲンは俺を追い払うように言い放った。机の上に置いてあったその手順書を、「こんな泥臭い走り書きなど不要だ」と暖炉の火にくべた上で。


手の甲には無数の擦り傷が刻まれている。指先には、今朝摘み取ったカモミールとビターオレンジの、ほろ苦く乾いた香りが深く染みついていた。爪の間に食い込んだ黒土は、固形石鹸でこすっても完全には落ちない。


それは、やせた粘土質だった宮廷裏の敷地に、三十年以上かけて落ち葉と腐葉土をすき込み、寒風にも病気にも負けない土壌へと育て上げた日々の証だった。


王室薬草園の仕事は、地味で目立たない。


王妃陛下は長年、季節の変わり目になると激しい頭痛と吐き気に苦しまれていた。華やかな外国産の香水や、強い薬を受けつけられない陛下が、唯一ゆっくりと飲み干し、安らかに眠ることができたのは、俺が土から育て、乾燥小屋で一年間寝かせた薬草茶だった。


それだけではない。薬草園で間引いた野草や、剪定した枝葉は、門番や清掃係、城下の施療院へ無償で融通してきた。咳を鎮める茶や、関節を温める湿布に使われる「アロイスの薬草」は、宮廷の暮らしを陰から支えていた。


だが、伯爵家の威光を笠に着て着任したユルゲンにとって、それらは金にも権力にも化けない、泥臭い雑用でしかなかった。


「聞こえなかったのか、アロイス? 貴様がちまちまと薬草を干しているあの乾燥小屋は取り壊す。香水用の輸入薔薇を植えるのだ。貴族院で発言権を得るには、地味な煎じ薬より華やかな薔薇の香油のほうが役に立つ。貴様の手柄面は、もう見飽きたんだよ」


ユルゲンは磨き抜かれた革靴の先で、乾燥のために簀の子に並べてあった銀葉草の束をわざと踏みつけた。銀色の微毛に覆われた葉が泥に潰れ、清涼な香りが靴底から立ち上る。


自分の出世と見栄のため。次期管理長の座を狙う男の浅ましい計算が、その脂ぎった笑みに透けていた。


悔しさで奥歯が軋み、指先がかすかに震えた。だが、声を荒らげて掴みかかるような青臭い歳はとうに過ぎていた。ここで喚けば、職務規定違反を口実に退職金の支給を遅らせられるかもしれない。


俺は静かに膝の泥を払い、背筋を伸ばした。


「……承知いたしました、ユルゲン様。本日付で退職し、第十二薬草園と乾燥小屋をお引き渡しいたします」


「ふん、物分かりだけはいい老いぼれだ。さっさと私物をまとめて出ていけ!」


鼻を鳴らして去っていく派手なマントの背中を見送り、俺は敷石に落ちた剪定鋏を拾い上げた。胸ポケットから使い古した亜麻布を出し、泥をそっと拭う。冷えた鉄の重みが、手のひらに沈んだ。


王都の西外れにある自宅の門をくぐると、台所の煙突から柔らかな薪の煙が立ちのぼっていた。


引き戸を開けると、香草と根菜を煮込む湯気が鼻をくすぐる。妻のエリーゼが、鍋の木べらを止めて振り返った。


テーブルには、塩漬け肉と蕪を煮込んだスープ、そして俺の大好物である焼き立ての黒麦パンが並んでいる。三十七年間の勤続をねぎらうための、彼女なりのささやかな祝宴だった。


「お帰りなさい、あなた。お疲れ様でした」


その穏やかな声を聞いた瞬間、胸の奥に淀んでいた鉛のような憂鬱が、わずかに緩んだ。


だが、定年を迎えた喜びよりも、明日からの暮らしに対する現実的な不安が頭をもたげる。退職金として規定どおり受け取れるはずの金貨二百枚は、確かにまとまった額だ。だが、近所には八十、九十を過ぎても矍鑠と生きている老人が大勢いる。年金が満額支給されるまでの数年間も含め、この先二十年、三十年と続く暮らしを思えば、浮かれて散財などできるはずもなかった。


「エリーゼ、すまない。予定より早く引き継ぎを切り上げてきた」


俺は椅子に腰を下ろし、ユルゲンの横暴と、用意した手順書を燃やされたこと、そして薬草園や乾燥小屋を取り壊すという話を手短に伝えた。


エリーゼは驚く風もなく、静かに頷いて、温かいハーブティーを俺の前に置いた。庭のミントと乾燥リンゴを合わせた、いつもの素朴な茶だ。陶器の温もりが、冷えた指先をじんわりとほぐしていく。


「悔しいけれど、これでよかったのよ。あの人たちは土の匂いも、季節の風も知らない。……さあ、ご飯を食べたら、明日の準備をしましょう」


「明日の?」


「ええ。宮廷を出るなら、きれいさっぱり片をつけないと。あなた、正式な退職届と引き継ぎの受領印をまだ総務局に出していないでしょう? 曖昧にしておくと、あの手の人たちは都合のいいときだけ頼ってくるわ」


妻の言葉に、俺ははっとした。腹を立てたまま道具をまとめて去るだけでは、後から何を言われるかわからない。


夕食を終えた後、俺は長年使い込んできた机に向かった。真鍮のランプに火を灯し、王室薬草園の業務規程帳をめくる。


そこには、こう記されていた。


『専属管理人が退任する場合、園内の土地および常設設備は宮廷に帰属する。ただし、管理人が独自に品種改良した原種苗、門外不出の乾燥調合レシピ、および納品前の個人保管在庫は、管理人の私有財産として保全される』


さらに、王室医療局と結んでいた「特定薬用茶の専属供給契約」は、薬草園ではなく「調合技師アロイス個人」の名義だった。王妃陛下が召し上がる茶は、俺が私財と休日の時間を使い、自宅の納屋と乾燥小屋で仕立て、熟成させていたものだ。

宮廷が後継者をつける予算すら惜しみ、俺個人の裁量と善意に甘えきって丸投げしてきた結果が、この契約の形だった。


ユルゲンは「私物をまとめて消えろ」と言った。


ならば、言葉どおりにさせてもらおう。


俺は使い古した羽根ペンを取り、淡々と書面を仕立てた。


一つ、第十二薬草園の明渡し届。


一つ、アロイス名義の薬草調合契約の解除通知書。


一つ、乾燥小屋に保管している「私物、すなわち個人管理の熟成茶葉および原種苗」の引き取り請求書。


翌朝、俺は荷車を引いて宮廷へ向かった。規定に従い、乾燥小屋から蜜蝋で封をした素焼きの壺を運び出す。王妃陛下のために三年かけて熟成させていた秋摘みの茶葉も、棚に残った壺を一つずつ荷車に載せた。


乾燥小屋に俺の私物が残っていないことを確認してから、役所の窓口へ向かった。公証人の前で書類に正式な受領印を押してもらい、写しを二通作成する。一通は王宮総務局の文書課へ、もう一通は医療局の保管庫へと確実に収めた。


感情的な罵倒には、制度と事務手続きで返す。


三十七年、組織の理不尽と付き合ってきた老人の、静かで堅牢な境界線の引き方だった。


一週間後。十月の澄み切った秋空が広がっていた。


冷涼な朝の空気が肺を満たす。我が家の小さな庭の片隅では、ミゾソバの花が薄紅色の露をまとっていた。


午前十時を回った頃、静かな住宅街に車輪の音が響いた。我が家の粗末な木の門の前に停まったのは、王室直属の白百合の紋章が刻まれた白塗りの馬車だった。


中から降りてきたのは、王宮総務局長と侍従長、そして顔を真っ青にして小刻みに震えるユルゲン男爵令息だった。


戸を開けると、先頭に立っていた白髪の老紳士――侍従長が深々と頭を下げた。


「アロイス殿。突然の訪問をお許しください。……本日は、王妃陛下より緊急のご用命を携えて参りました」


背後ではユルゲンが脂汗を垂らして立ち尽くしている。その手には、先日敷石へ投げ捨てられた古い剪定鋏が、絹の布に包まれて恭しく握られていた。


「……何事でございましょうか、侍従長様」


「ユルゲン男爵令息が、退職に際して貴殿を不当に侮辱し、薬草園の常設設備を無断で取り壊そうとした件についてです。今朝、王妃陛下がひどい頭痛の発作を起こされました」


侍従長の声は、刃物のように冷ややかだった。


「陛下は毎秋、気圧の変わり目に激しい頭痛を起こされます。乾燥小屋で一年間熟成させた『秋摘みのビターオレンジと銀葉草の茶』を召し上がることで、ようやく吐き気が鎮まり、深く息をして眠ることができておられました。ところが今朝、ユルゲン殿が差し出したのは、帝国の温室で育てた薔薇の花びらを浮かべただけの、香料の強い湯でした。陛下はそれを口にされ、かえって気分を悪くなさったのです」


「そ、それは……! アロイスが乾燥小屋の茶葉を、王妃陛下の分まで余さず持ち去ったからで……!」


ユルゲンがかすれた声で叫んだ。だが、侍従長の一瞥で、その喉は凍りついた。


「見苦しいぞ、ユルゲン殿。アロイス殿が提出された契約解除通知書と私物の引き取り請求書には、総務局と医療局の正式な受領印が押されている。貴殿が『ガラクタを背負って消えろ』と罵り、園の明け渡しを求めた時点で、あの茶葉は規定に基づき、アロイス殿が持ち帰られたのだ」


侍従長は、静かに続けた。


「それを横領だと騒ぎ立て、医療局への相談もなく乾燥小屋を解体しようとし、引き継ぎの手順書まで破棄した。さらに貴族院への根回しのために予算を大幅に前借りして薔薇苗を発注した。……何より、何年も前からアロイス殿が後任の育成を求めていたにもかかわらず、現場を軽視して人員を割かなかった医療局と総務局の怠慢も含め、王妃陛下は厳しくお怒りです」


侍従長は懐から紫の封蝋が押された親書を取り出し、読み上げた。


「王妃陛下のお言葉を伝えます。『あの素朴な陶器の壺に入った、朝露の匂いがする茶だけが、わたくしに深く息を吸わせ、眠りを与えてくれる。民の痛みを癒やしてきた誠実な手仕事を解さず、見栄のために庭を荒らす者に、宮廷の土を踏む資格はありません』……と」


ユルゲンはその場にへたり込み、両手で顔を覆った。


宮廷管理職からの即時解任。予算超過分の弁済。さらに、男爵家への無期限の謹慎処分。虚飾と見栄で塗り固めた男は、自らの振る舞いで自滅したのだった。


「アロイス殿、どうか……あの茶を分けてはいただけないだろうか。そして、もし許されるなら、薬草園の統括顧問として戻ってはくださらぬか。これからは宮廷としても専任の見習いをつけ、貴殿の技術を公に後世へ残せるよう、十全の待遇を整えるつもりです」


深々と頭を下げる侍従長に、俺は静かに首を横に振った。


「侍従長様。王妃陛下のお身体に必要な茶でしたら、持ち帰った分をすべて無償でお納めいたします。長年、私の拙い茶を愛してくださった陛下への、最後の感謝です」


俺は納屋から、蜜蝋で丁寧に封をした素焼きの壺を抱えてきた。


金泥の飾りもない、ただの土の壺だ。だが、その中では茶葉が一年かけて外の湿度と温度に馴染み、香りを蓄えている。


「……しかし、宮廷へ戻ることはできません。私は三十七年間、あそこで十分に勤め上げました。これからは、自分のための土を耕したいのです」


侍従長は壺を両手で受け取ると、俺の目をじっと見つめた。やがて、穏やかな笑みを浮かべる。


「……承知いたしました。職人の引き際を邪魔することは、誰にも許されません。ただ、王妃陛下はこうも仰せでした。『もし宮廷を出るのなら、城下で待つ民のために、その知恵を使いなさい。そして、宮廷の外からでも、あなたの意志を継ぐ若い者を育ててほしい』と」


侍従長は懐から、もう一枚の書状を取り出した。


それは、長年にわたる施療院への貢献を認める王室医療局公認の「民間薬草調剤所の開業許可証」だった。あわせて、退職金の満額支給を確認する書類と、王妃個人からの終身助成金の目録も添えられていた。


「これで、あなたを縛る者は誰もいません。あなたの土を、あなたの庭を、お作りなさい」


馬車が走り去り、我が家の庭に静けさが戻った。


俺とエリーゼは顔を見合わせた。


ユルゲンが持ってきた剪定鋏は、泥をきれいに洗い流してから油を差し、道具箱に収めた。総務局との手続きもすべて終わった。宮廷との金銭や契約の貸し借りも、これで清算された。


「……これで、本当におしまいね」


「ああ。本当の、始まりだ」


俺は納屋から砥石を出し、井戸水をたっぷりとかけた。


三十七年間使い続け、刃のこぼれた剪定鋏を砥石に当て、ゆっくりと滑らせる。シュッ、シュッ、と規則正しい音が秋の庭に響いた。傷んでいた刃先が少しずつ整い、鈍い銀色の光を取り戻していく。


手入れを怠らなければ、道具は持ち主の手に馴染み、何度でも生き返る。


満額支給された退職金と、手元にある開業許可証。これがあれば、大それた店を構えなくても、この家の庭に小さな乾燥室を造れる。近所の腰や膝を痛めた老人たちへ、手頃な値段で薬草茶を届けることもできる。

そしてもし、土いじりを愛する若い者が門を叩くなら、俺が三十七年かけて培ったすべてを、今度こそ惜しみなく手渡していけばいい。


九十を過ぎた爺さんや婆さんが、縁側に腰掛け、湯気の立つ茶を飲みながら深呼吸する姿が目に浮かんだ。


「あなた、お昼は何にする? 残ったスープを温め直すわね」


「ああ、頼む。……午後からは、裏の畑の土をすき直そう。十月のうちにいい落ち葉を集めておかないと、来年の春の芽吹きに間に合わないからな」


澄み渡る十月の青空を見上げ、俺は大きく息を吸い込んだ。


湿った黒土の匂いと、干し草の甘い香りが、胸の奥深くまで満ちていった。



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薬草園を潰したのは罪だけど、そもそも定年で辞める予定だったのだから後継者がいたのでは? 主人公を連れ戻す必要性がないと思います。 後継者がいなかったのなら、王妃陛下も数年後には茶葉が切れて苦しんだので…
1人に頼って居た時点で、この阿呆が出てこなくても、そのうちこの部署は終っていただろうね。
一度薬草園が潰されてしまったのでは再度造り直さないといけないと思うけど、後任の庭師はどうするの? 今回貰った分の薬草が終わったら陛下の分が無くなるよね 後任が決まるまでは働いて貰わないと王宮が困るけど…
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