父からの
表に僕の名前だけが書かれた茶封筒が郵便受けに入っていたのはつい先日のことだ。差出人は書いていない。
不思議な事に気味悪いとは思わなかった。なんのためらいもなくその封筒を開けると、中から出てきたのが古ぼけたビデオテープ。
父の部屋にあったこれまた古ぼけたビデオデッキを引っ張り出してそれを見た僕はある人物に連絡を取った。
そして今日、その人物と会うことができたのだ。
昔、父が行方不明になったこの洋館で。
父が行方不明になったのは僕が小学生の頃。もう十年ほど前だ。
郊外の洋館に泊まりに行った父は、持って行った荷物ごといなくなった。
その洋館はもうすぐ取り壊しが始まる予定で、作業のために電気を一時的に復旧させてある。ここに来るのも今日が最後だろう。
館の中は別荘として手入れをする前に使われなくなったので、家具などは少ない。
室内にあるテレビとビデオデッキは埃をかぶっていたが、使えるようだった。もし動かなければ仕方がないと思っていたのだけれど。
僕は埃を払うと、持ってきたビデオテープを差し込んだ。
窓の光を遮るためにカーテンを引く。埃が舞って、すえた匂いが鼻をつき僕は顔をしかめた。室内が薄暗くなる。
僕は振り向くと、部屋の中にいるもう一人に目を遣った。
「じゃあ、再生しますね」
声を掛けると、その人物はこくりと頷く。
それを見て僕は再生ボタンを押した。
ウィーンと鈍い音が響き、荒い画像が映し出された。
「すごいなぁ、この洋館」
長髪の男性、津山さんが部屋の中を見回しながらそんな風に言うところから映像が始まっていた。
映っているのは今まさに僕達がいるこの部屋の中だ。
「熊代君が親戚のつてで管理を任された洋館なのよね?」
「うん。とは言っても周りにはコンビニもスーパーもない不便な場所だし、管理会社の人に任せっぱなしなんだけどね」
黒髪の釈さんという女性の質問に対して、頭を掻きながら答えるのは僕の父だ。
「ちゃんと電気や水道は使えるんだろうな? ぼ、僕達が滞在中に止まったりしないだろうね?」
と、神経質そうに質問をしたのは山王寺さん。
「あんたって、相変わらず失礼ね〜。せっかく熊代君がこの洋館に泊めてくれるっていうのにそんな言い方ないでしょう」
今度はパーマをかけた茶髪の女性がたしなめる。彼女は飛鳥さんだ。
ビデオに写っているのはこの五人。大学時代、旅行サークルのメンバーだったそうだ。
ビデオの中の飛鳥さんが言う。
「でもさぁ、サークルの同窓会で五人ともそろってまた旅行に来れるなんてすごくない?」
「みんなもうおじさんおばさんになっちゃったけどな」
津山さんのその言葉にみんな少し笑った。
「熊代君って息子さんいたわよね? 小学生だった? こういうとこ連れてきたら喜ぶんじゃない?」
落ち着いた声で問うのは釈さん。
僕のことだ、とビデオを見るたびになんとなくドキリとする。
「うん。そうなんだ。夏休みに連れてくるつもりなんだよ。周りに自然も豊富だしね。……そうだ。部屋に荷物を置いたら皆で外に出てみないか?」
そんな風に父が提案したところでビデオは一旦途切れる。
今、僕と一緒にビデオを見ているこの人は映っている自分自身の姿を見てどう思っているんだろう。
動くこともなく画面を見つめている姿からは何を思っているのかわからない。
僕はその人物が腰掛けているソファから少し離れたところに立って眺めていた。多分、ビデオはこの辺りから撮られたものだろう。がらんとした空きスペースになっており、恐らく後で家具でも置く予定だったのではないかと思う。壁からも離れているので寄りかかるところもないのだが、ビデオが終わるまでは室内を見渡せるこの位置にいるつもりだ。
一瞬だけ画面に砂嵐が混じり、また映像がはじまった。
映像の中は夜になっている。
部屋の明かりは薄暗く、画像は悪い。音声も不明瞭だが、父以外の四人がそこにいるのはわかる。
「熊代は、み、見つかったのか?」
不安げな山王寺さんの声。その質問に対して残りの三人は顔を見合わせてから答え始める。
「私と釈ちゃんは一階と二階の全部の部屋を見て回ったけど見つからなかったわよぉ。熊代君の部屋ももちろん誰もいなかったし」
大袈裟な身振りをつけて飛鳥さんが言った。その言葉に釈さんも同意する。
「一応、大きなクローゼットとか人が隠れることができそうなスペースも覗いてみたんだけど」
言いながら、彼女は首を横に振る。
「ま、まさかそんなところにはいないだろ? 散々呼びかけてるんだ。し、死体にでもなって押し込められてたりしてない限り、そんな不自然なとこにいるわけないよ」
言って乾いた声で笑う山王寺さん。彼なりの冗談だったようだが、他の誰も笑わなかった。
「いや。熊代は人を驚かすのが好きだったからな。どこかに隠れてるうちに眠っちまったってこともあるかもしれない。もしかしたら、俺達がこうやって探してるのを見て楽しんでるかもしれないぞ」
津山さんが明るい声を出す。場の雰囲気を和ませようとしたのだろう。だが、釈さんはそれをやんわりと遮った。
「でも、熊代君は人を心配させるようなことはしないと思うわ」
「そうよね〜。もしかして散歩中に怪我でもして戻って来れなくなってたりして。あんた達、外を探してきたんでしょ?」
「ど、道路の方にはいなかったよ。車も僕達がここに到着してから動かされてないみたいだしね。つ、津山はどうだったんだよ?」
皆の視線が津山さんに集まる。
「ああ。昼間に皆で裏の崖を見に行ったろ? そっちを探してみたんだけどなんにも見つかんなかった。なくなった荷物が岩場に引っかかってるってこともなかったしさ」
「でもあの崖、切り立ってて下の海も波が高かったし……。まさか足を滑らせて落ちたなんてことないわよね?」
釈さんのその言葉に、部屋の中はしんと静まり返った。各々がその可能性を考えているのだろうか。
父がいなくなり捜索願いを出した際、警察が出した結論は「海に落ち、沖に流された可能性が高い」だった。人里離れたこの洋館から車を使わずに理由もなく歩いて町に向かったとは考え難い。荷物を持ったままいなくなったことは多少不審に思われたが、崖の足場が崩れた形跡もあったそうだ。自殺したのではないかという話まで持ち上がり、結局うやむやのままに年月だけが過ぎた。
「まさか。俺、崖の下ものぞきこんでみたけどさ。落ちたんならなんか証拠があってもよさそうだろ?」
「そうよねっ! もっかい皆で探してみましょ」
「ええ。さっきは熊代君の部屋も軽く覗いただけだったし、何かなくなってる物とか置き手紙みたいなものがないか確認してみた方がいいわね」
「そ、そうだな。み、皆で回ればさっき見落としたことも発見できるかもしれないしな」
どこから探そうかと言い合いながら部屋を出て行く四人。
その後ろ姿を映し出したところでビデオは終わっていた。
たったそれだけの映像。
父の姿をビデオの中だけでも見れたことは嬉しかったが、最初は意味のない映像だとしか思わなかった。しかし何度か見るうちに気付いた。
「あなたは父が行方不明になった理由を知っているんじゃないですか?」
僕は静かに語りかける。
ビデオが終わってもじっと画面を見つめている人物に。
「……なぜ?」
彼、の発した言葉は少し掠れていた。
「父が行方不明になった時、荷物も一緒になくなっていました。でも、父を探しているこの時点で皆はそれを知らなかった」
彼、……津山さんは黙っている。
「あなたはこのビデオの中で、父の荷物がなくなっている事を知っていた。……僕も母も未だに父が帰ってくるんじゃないかと思って待っているんです。無駄だとわかっていても。でも、そろそろ気持ちにけじめをつけなければなりません。そのつもりで、ずっと手がかりになるかもしれないと思って置いていたこの洋館も取り壊す事にしました。……教えてくれませんか、何があったのか」
僕は津山さんから目を逸らさずに言った。
「……あの日、夕飯前に散歩でもするかって二人で外に出たんだ。……俺がふざけて崖の近くで君のお父さんを押してしまって。もちろん軽く押しただけで崖から落とそうだなんて考えていなかった。なのに、急に足場が崩れて……」
津山さんはポツリポツリと話す。
「もちろんすぐに助けを呼ぼうとしたよ。でも……崖の下にはもう何も見えなくて……怖くなった。俺がわざと殺したと思われたくない一心で熊代が部屋に置いていた荷物も崖から捨てたんだ。自分から姿を消したように見えるだろうと思って。俺はどうかしてたんだ」
そう語る津山さんの顔には後悔の色が浮かんでいた。きっとこの人もずっと苦しんできたんだろう。そう、思う。
怒りみたいな感情は湧いてこなかった。やはり父は死んでしまったんだな、とただそう思った。
「そうですか。話してくれてありがとうございます」
はじめて津山さんと目が合った。
父がいなくなった時から、僕の回りの時間はとてもゆっくりしか進んでいかない気がしていた。この人の時間も止まっていたのだろうか?
そんな風に思った時に、急にビデオの方からキュルキュルという耳障りな音が聞こえてきた。
画面には何も映っていなかったが再生をしたままだったことを思い出す。
津山さんがビデオデッキに駆け寄って慌てて取り出したテープは、奥に絡まってしまったようでテープがぐちゃぐちゃになってはみ出していた。
「これ、ダメだな。もう見れないかもしれないよ」
困ったような顔で僕にそれを見せる津山さん。
残念だけど老朽化していたのだろう。仕方がない。それに……
「僕、そのビデオを見れただけでよかったと思ってるんです。あの……。これを届けてくれたのは津山さんじゃないんですか?」
ビデオが届いてからずっと考えていたのだ。誰が、これを郵便受けに入れたのか。
これを見れば犯人がわかることを知っていた人物。となると、津山さんしかいない。
しかし、意外にも彼は首を横に振った。
「違うんですか?」
他に思い当たる人なんていない。でも、津山さんが嘘をついているとも思えなかった。
すると、彼は僕がいる辺りを指差した。
なんだろう?
僕はつられて周りを見るが何もない空間が広がっているだけだ。
僕が困惑しているのがわかったのか、津山さんは口を開いた。
「このビデオ。君が立ってる辺りから撮られたものだ」
確かに。それは僕も思っていたことだ。
「結構近くから撮られてるのに誰もカメラの事を気にしていないと思わなかったか?」
続けて津山さんが言う。僕は素直にうなずいた。
多分、誤って録画状態になっていたのを気付かずこんな映像が撮られたんだろうと解釈していたんだけど。
「俺達がここに来た時と全く変ってないんだ。この部屋。つまりはその場所にカメラを置く台なんてない。床に置いて撮られたものではないしな」
津山さんはテープが伸びてしまったビデオを残念そうに撫でながら半分は独り言のように言う。
僕はただ、言葉の続きを待った。
「あの日、ビデオカメラをもって来ていたのは熊代だけだった。ここに着いた時に、新しく買ったんだって嬉しそうに見せびらかしてたよ。今度息子を撮りたいから今日は試し撮りをするってね」
え?
「でも、さっきも言った通り俺は熊代の荷物をすべてあの時捨ててしまったんだ。ビデオカメラも中に入っていたテープも一緒にね」
「じゃあ……」
「これはあるはずのないビデオだったんだよ」
僕の目を見据えてそう言った津山さん。
「これのお蔭で前に進めそうな気がするよ。罪は償わなくてはな」
父がいなくなった理由がこの人にあるのだから、僕はこの人を恨んでもいいはずなのに。……何故だかそんな気にはならなかった。
「僕も。前に進みたいと思います」
不意に、いたずらが成功した時に嬉しそうに笑っていた父の顔を思い出した。