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夢語り  作者: 石子
6/13

雨が降る

 まとわりつくような雨が鬱陶しい。

 嫌な雨だ。

 私はゆっくりと雨の中を歩いていた。

 大通りを外れ、大人が譲り合ってようやくすれ違うことができるくらいの狭い道を進んで行く。

 濡れた石畳に足を取られないよう気をつけながら何度か角を曲がった突き当たりにその建物が見えた。

 赤い煉瓦の寂れた建物。どうということのない外観の孤児院。

 年期が入ったドアノッカーを鳴らすとすぐに応答があった。中から若い修道女が顔を出す。

「面会の予約をしていた医師のドーソンですが」

「ええ。どうぞ」

 面会の話は事前に聞いていたのか修道女はすぐに招き入れてくれた。コートに付いた雨粒を軽く払い、私は孤児院の中に入っていく。

 中に入ると子ども達が思い思いに過ごしている。様々な年齢の子ども達が何人かで集まって遊んでいたりするのだが、その中の赤毛の女の子が私に声をかけてきた。

「おじさん、また来たの?」

 あどけない表情で尋ねてくる。誰かと勘違いしているようだ。きっと年輩の人間なんて格好が似通っていて、この小さな女の子には区別がつかないのだろう。

「いや。おじさんはここに来たのははじめてだよ」

 邪険にするのも悪いかと思い、軽く言葉を返した。

 修道女はその様子を少し前で立ち止まって眺めていたようだが、私と目が合うと奥に向かって足を進める。私も女の子にバイバイと手を振って彼女の後に続いた。

「キースのことなんですが。彼はどんな少年なんでしょう?」

 修道女の後ろ姿に向かって尋ねる。少しだけ、歩みが遅くなった。

 キース、というのが私が会いに行こうとしている少年だ。彼には不安定なところがあるらしく、一度会って話をして欲しい、と友人から頼まれた。つまりは精神的に異常ではないか診断してほしいということだと理解している。私の専門ではないが、まぁ、手に負えないようなら専門の医師を紹介すればよいだろう。

「わたしはキースとは話したことがないので……」

 振り向きもせずに修道女は答えた。

 話したことがない? まさかキースは会話すらまともにできないような状態なのだろうか?

 廊下を通り過ぎると小さな塔にたどり着く。そして狭い螺旋階段を上り、案内されたのは一番奥にあるドアの前。隔離されている、という印象が拭えない。

 修道女はそのドアをノックした。

 一瞬だけ、間があったと思う。中から聞こえてきたのはしっかりとした声だった。

「はい。どうぞ」

 声に反応したのか、修道女は私に中に入るのを促すようにドアを開けた。

 事前に写真などを見る機会はなかったので、はじめて彼の容姿を見ることになるが、そこにいたのは金髪碧眼の少年だった。身なりはきちんと整えられている。

 修道女は「お帰りの際には声をかけてください」と言うと、さっさと引き返していってしまった。

「やあ。今日は君に話を聞きにきたんだ」

 高圧的にならないように笑顔を浮かべながら言った。

「はい」

 落ち着いた物腰で頷く少年を見て拍子抜けした。ひとまず会話をするのに支障はないようだ。部屋の椅子に座って話し始める。

「君は、私のことは誰かから聞いているかな? 私は町医者をしているんだが、君に元気がないから会って話を聞いて欲しいと頼まれたんだよ。最近、調子はどうかな?」

 笑顔を保ったままそう問いかける。

 少年は私に向き合うと、ふ、と笑った。

 なんだ?

「本当はね、僕があなたをここに呼んだんですよ」

「それは、どういう……?」

「こんな雨の日って誰かと話したくなるんですよね。僕が事故に遭った日のこととか」

「……事故に遭ったのかい?」

 そんなことは事前に聞いていない。

「この孤児院の前で車に撥ねられたんです」

 言いながら、少年は立ち上がって窓に近寄り少しだけ開いていた戸を閉める。

「雨が激しくなってきましたね」

 外を見ると叩きつけるような雨が降っていた。窓からは私が通ってきた狭い石畳の道が見える。遠くの方は雨で霞んで、まるで帰り道がなくなってしまったかのようだ。

 私は少年がまた椅子に腰掛けるのを待った。

「こんな、冷たい雨の日でしたよ」

 さっきも雨の日には誰かと話したくなると言ってたが、私が来た今日がたまたま雨だったというだけだ。

 孤児院のまわりは先程私が歩いてきたような狭い道が多いのだが、裏庭に面した道は幅が広く、結構な速度で車が通ることもある。

「事故に遭ったのはいつ頃のことかな?」

「もうかなり前です」

 確かに、キースには特に怪我の痕などは見あたらない。

「その事故のことが忘れられないのかい?」

 事故に遭ったショックが大きくて、精神的に不安定な状態におかれているのかもしれない。

「……そうですね。あの時のことはよく覚えてます。僕を撥ねたのは町長の乗った車でした」

「なんだって?」

「運転していたのは運転手でしたけど。でも子供を撥ねたなんて知られたら町長を続けられなくなると思ったんでしょうね。手を回して事故をなかったことにしてしまったんです。酷いでしょう」

 私は返事に窮した。

 本当だろうか? 実は私は町長とは旧知の仲だ。

 キースが嘘をついているようには見えないが、人に注目されたくてそんなことを言っている可能性もある。

 慎重に対応しておいた方がいいだろう。

「そうだね。君はどう思っているんだい?」

 どうとでもとれる質問に対してキース少年は私が聞きたい答えを返してくれた。

「僕は、もう今更そのことを誰かに伝えて大事おおごとにするつもりはないですよ。ただ、僕のことが忘れ去られてしまうのが嫌なだけです」

 なるほど。事故の真偽はわからないがやはりキースの言動は人に構ってもらいたいというところからきているのだろう。

 一度事故のことも調べてみた方がいいな。



 私は腕時計をちらっと見て、そろそろ帰ることにする。

 キースは一通り事故のことを話すと満足したのか、後は他愛ない話をして時間を過ごしたのだった。

 私はキースに別れを告げて、部屋を後にする。

 来るときに通った廊下を逆に歩き玄関ホールに入ると、ちょうど最初に私を案内してくれた修道女がそこにいた。

 帰る時は一声掛けるように言われていたな。

 そう思って彼女にお礼も兼ねてあいさつをする。

「さっきはありがとう。ところで、もう少し色々とキースと話をしたいので、日を改めてお伺いしますよ」

 私がそういうと、修道女は曖昧な表情を私に向ける。

「そうですか……」

 言いながら玄関まで私を見送りに出てくれた。雨がひどければ傘を借りようかとも思ったが、小降りになっている。

 私はそのまま雨の中に足を踏み出したのだった。




 狭い石畳の道を歩き、私は雨の中、孤児院へと足を進める。

 手慣れた様子で修道女が迎え入れてくれ、私はキース少年に会うことができた。

 キースは落ち着いた物腰で、会話に支障はないようだ。精神的に不安定で話もできなかったら困るな、と思っていたのだが。

 挨拶の後、彼が話したのは自分が町長の車に撥ねられたという事故のことだった。

 人の気を惹きたいのだろうと思い、しばらくその話につき合う。思った通り、一通り私に話をすると落ち着いたようで、後は他愛ない話をして過ごし、時間をみて私は帰ることにした。

 しかし、事故のことも調べて改めてキースに会いに来た方がいいだろうな。そんな風に思いながら私は来た道を戻って玄関に向かう。

 帰る前に修道女に声をかけておこう。

 きょろきょろと辺りを見回していると、子ども達の話し声が聞こえてきた。

「今日もあの人達来てたわね」

「うん。雨の降る日にはいつも来てるよね」

「ええ。奥の塔の方へ行って、しばらくしたら帰って行くのよね」

「塔には誰も住んでいないし、ボク達は立ち入り禁止って言われてるのに」

「そうよね。何しに来てるのかしら?」

 一人は年長の赤髪の女の子。もう一人は幼い男の子だ。彼女らが話しているのを聞いて、それが私のことだろうかと思い当たるのに少し時間がかかった。いや『あの人達』と指していたので一人でここに来た私のことではないかもしれないが。

 その子達は私がここにいることに気付いていないようだ。

 声を掛けて聞いてみようかと思ったその時、後ろから呼び止められた。

「ドーソンさん、お帰りですか」

 先程の修道女だ。

「はい。しかし、もう少し色々とキースと話をしたいので、日を改めてお伺いしますよ」

 子ども達の方が気になったが、とりあえず私は修道女にそのように告げた。それに対して彼女は少し微妙な顔をしたが、すぐに無表情に戻った。

「そうですか」

「ええ」

「でもね、キースはもう存在していないんですよ。この孤児院にいたのは十年以上も前。ある日突然姿を消してしまったんです。不自然なくらい突然に」

 なんのことだか一瞬理解できなかった。彼女は何を言い始めたんだ?

「でも人の口に戸は立てられないもので、後々、キースは車に撥ねられて死んでしまったことが噂になりました。その車には当時の町長が乗っていたことも。キースが死んだこと自体を事件ごと一切無かったことにしてしまったんでしょうね」

 キースも町長に撥ねられたということは言っていた。しかし、死んだとはどういうことだ? 私はさっきまでキースに会っていたというのに。

「しばらくして、キースを訪ねて雨の日にやってくる人たちが現れました。誰も住んでいないあの塔に。理由はそれぞれですが、友人や親戚に頼まれてキースに会いに来たと。その顔ぶれがね、町長をはじめ彼の運転手や警察官、この孤児院の以前の院長、そしてお医者様。……それだけの人間が集まれば孤児ひとりをいなかったことにするのも可能だったでしょうね」

「え?」

「ドーソンさん。私やこの孤児院にいるみんなにはキースのこと見えないんですよ」

「ちょっと待ってください。見えないってどういうことですか?」

 部屋まで案内してくれたのは彼女ではないか。

「キースがいなくなってからすぐに彼らは行方不明になりました。そして雨が降る日はこの孤児院を訪れます。ここの院長だった人ですら、まるで初めてここに来たとでもいうように。それに彼ら……いえ、あなた達は年を取りません。時間が進んでいないんです。もちろんキースも、ずっと少年のままのようです」

 まさか。

 私をからかおうとしているのだろうか。

 頭の奥がジンジンする。

 修道女が一歩前に出る度、私は後ずさるようなかたちで扉に近づいて行く。

「私は、ここに来たのは今日が初めてなんですよ!?」

 私のことをじっと彼女はみつめる。

「いつもわたしがあなたをキースの部屋まで案内しているんですよ。何度あなたはここに来たかしら?」

 この人は何を言っているんだ?

「あなたはキースの失踪に手を貸してしまった。わたしにはわかりませんが、きっと不思議な空間に捕らわれてしまっているんでしょう。他の方達と同じように」

 私はいつの間にか孤児院の外に追いやられていた。

「わたしがこんな事を言ったことも、次に来た時には覚えておられないんですわ。何もできないわたしのちょっとした罪の告白です。何のお役にも立てなくてごめんなさいね」

 何を言って……

「気をつけてお帰りください」

 彼女の、その言葉を最後に私の目の前で扉が閉められた。




 私は孤児院に向かって雨の中、細い石畳の道を……


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