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夢語り  作者: 石子
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私、愛されています

 まさかね。

 何度も頭の中でそう繰り返す。

 何にも不安になることなんてない。この人はこんなにも温かく私を支えてくれてるじゃない。

 今は悲しみが強くてちょっと変なことを考えてしまうだけ。

 大丈夫。そんなはずはない。



「咲子、また思いつめてるんじゃないだろうな? 何度も言うようだけど君は悪くないんだよ? 自分を責めたりしたらダメだからね」

 あなたにそう声を掛けられてハッと私は顔を上げた。やさしい私の夫。にこりと微笑むあなたと目が合う。

 カフェオレを淹れてきてくれたようだ。

「ありがとう」

 お礼を言って、カップを受け取る。カップの暖かさに少しだけほっとした。

 あなたもそのまま向かいのソファに腰掛けたけど、その穏やかな瞳から、私はなんとなく目を逸らしてしまう。

「智樹が死んだのは事故だったんだ。誰も悪くない」

 私を見て、諭すようにそう言ってくれるあなたの顔を、やはりちゃんと見れなかった。

 智樹。

 私たちの子どもの名前。生後一年も経っていなかった。あの子の命が絶たれてしまったのは、私のせいだと何度も何度も後悔している。

 そんな私の心を見透かすように、あなたはいつも私のそばにいる。

 確かに事故だったのかもしれない。

 部屋の中を動き回って何でも口に入れる年頃だった智樹。いつでも様子を見れるように近くにいたし、口に入れてしまいそうな物が無いよう掃除にだって気を使っていたのよ。

 それなのに。

 ちょっと目を離した隙にぐったりとしていた智樹に慌てて近寄って様子を見ると、誤ってマニキュアを飲んでしまったようだ。ふたが開いたマニキュアの入れ物を小さい手に握っていた。赤い色の液体に興味をそそられて飲んでしまったんだと思うわ。

 しばらく前から化粧品入れの中に見当たらなくて探していた物。

 急いで病院に連れて行ったけど、そのまま智樹が目を覚ますことはなかった。

 乳幼児にはマニキュアなどの化粧品は毒性が強いということは知っていた。だからこそ智樹の行動範囲にそういうものが間違って落ちていないように気を配っていたのに。

「……わかってるわ。でも、私がもっと気を付けていたら防げたかもしれないもの」

 今さら仕方のないことだってわかってはいても繰り返しその事を思ってしまう。

「咲子。あの赤いマニキュアは家具の隙間に落ちてしまっていたんだろ? 見つけられなくても仕方がない場所だったんだよ。たまたま智樹が見つけただけで」

 …………。

 あなたは一切私を責めなかった。

 今まで一度も私を責めることなんてなかったかもしれない。



 そういえば、と以前飼っていた犬のクロのことを思い出す。

 人懐っこい犬で、私もあなたもとても可愛がっていたわよね。

 あなたの帰りが遅い日が続く時なんかは、「私にはクロがいるから別に寂しくないわよ。私の一番はあなたじゃなくてクロね」なんて冗談交じりにちょっとした嫌味を言ったりもしていた。

 あなたは笑顔で、「ひどいなぁ。じゃあ、僕は二番目かな?」とかよく言ってたのよね。

 そのクロが私の不注意で死んでしまった時も、私は責められなかった。

 私がきちんと庭に繋いでおかなかったから、夜中に抜け出してしまったようで、翌朝にクロがいないことに気付いた。私と一緒にあなたも探してくれて、交番にもついてきてくれた。動揺してる私に代わって、「黒い子犬で、首輪は鮮やかなオレンジ色です。犬種は……」って、的確に説明してくれてた。よく覚えてる。

 数日後に、川に落ちて溺れたらしい犬の死体が川下に流れ着いたって、警察の人が連絡くれて、確認に行ったらやっぱりクロだった。

 見つかっただけでも幸運だったと言われたけれど、もちろん私もあなたもショックを受けた。

「クロが死んでしまったのは辛いけど、君のせいじゃない」

 やはり自分のせいだと落ち込んでいる私に、あなたはそんな風に声を掛けてくれた。

 あなたは、いつも私を支えてくれているのよね。



「咲子。辛い時にはいつでも僕を頼ってくれればいいからね」

 カフェオレを一口飲んで、カップをテーブルに置いたタイミングを見計らうかのように、あなたが言った。

 それに対して私は笑顔を返す。

 うまく笑えたかしら。不自然な笑顔になってない?

 ねぇ、あなた。

 私、智樹が間違って飲んだマニキュアの色が「赤い」色だったなんて一言も、あなたに言ってないのよ。どうして知ってたのかしら? 床にはこぼれてなかったし、病院に連れて行った時に智樹はマニキュアを握りしめたままだったから病院のごみ箱に捨てたの。あなたが見る機会はなかったはずよ。

 それにね、私、整理整頓が苦手だってあなたも知ってると思うけど、化粧品だけはきちんと整頓してるのよ。

 あなたが持ち出して、私が気付かないように、智樹の目に付くように、それを置いたんじゃないかって……。

 まさかね。

『私、今はあなたよりも智樹の方が大事かも。智樹のこと世界で一番愛してるわ』

 少し前にそんな風に言ったことがあるけれど、やっぱりあなたは笑顔で「子どもには敵わないなぁ」なんて言ってたわよね。

 そうね。あの時、病院に駆けつけてくれたもんね。その時に病院の先生と話したりしてたから、色のこともたまたま話に出たのかもしれないしね。



 でもね、クロのこと。

 泳ぎが得意だったクロが溺れるなんて、変だなぁ、って思ったの。流れの緩やかな川だったし。誰かがいたずらで、クロの事を橋の上とかから川の真中に突き落としたんじゃないかって、嫌な想像ばかりしちゃったわ。

 それは今となってはもう確認のしようもないけど……。

 ねぇ、あなた。

 どうしてクロの首輪がオレンジ色だって知ってたの?

 あれ、クロがいなくなった日のお昼に衝動買いしちゃったのよ。

 ピンクっぽい色だった首輪が汚れてきてたから。買った首輪を早速付けてあげたの。

 あの日、あなたの帰りが遅かったからその事言いそびれちゃって。そして、次の日の朝にはクロがいなくなったんだから新しい首輪を見ることはなかったはずよね。

 ううん。でも、あなたがあの日遅く帰った時、家に入る前に庭にいるクロの首輪を見たのかもしれない。外は暗いけど、犬小屋のあったあたり、ちょうど街灯の光があたるから、目立つオレンジ色は判別できたのかもしれないもの。

 あなたがクロを連れ出して、川に突き落とすまでの間に間近で首輪を見たから色が印象に残っていた……、なんて、考えすぎよね。



「僕はいつでも君のそばにいるからね」

 穏やかな夫の言葉。

 まさかね。

 何度も何度も頭の中でそう繰り返す。

 そうだ。そんなことあるはずないわ。

 何にも不安になることなんてない。この人はこんなにも温かく私を支えてくれてるじゃない。

 今は悲しみが強くてちょっと変なことを考えてしまうだけ……よね。

 そんなはずはない、わよね?


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