12回婚約破棄された令嬢、13人目の王子に「破棄しない」と言われて処理方法がわからず泣く
「リゼッタ、お前との婚約を破棄する!」
学園の卒業パーティー会場に、第一王子アレクの声が響き渡った。
シャンデリアの光がきらめく華やかなホールが一気に静まり返り――
――らなかった。
「はいはい、お静かに。では整理券の3番でお待ちの方、こちらの窓口へどうぞ」
ホールの端に設置された受付カウンターの向こうで、公爵令嬢リゼッタは事務的に番号札を読み上げた。
カウンターには『婚約破棄受付窓口』と達筆で書かれた看板が掲げられている。
「ちょっ……なんだこれは!?」
アレク王子は目を見開いた。
「あら殿下。整理券はお持ちですか?」
「整理券!? いや、俺は今お前に婚約破棄を……」
「はい、承知しております。本日の婚約破棄のご予約は4件入っておりまして、殿下は3番目でございます。現在2番の方の手続き中ですので、あちらの椅子でお掛けになってお待ちください。お茶とお菓子をご用意しております」
「よ、4件!?」
アレクが振り返ると、たしかにパイプ椅子に座って順番を待っている貴族の男が二人いた。一人は整理券を握りしめて膝をがくがく震わせている。
「あ、第二王子のベルント殿下もお見えですね。4番でお待ちください」
「う、うん……」
アレクの弟ベルントが大人しく椅子に座った。こちらはリゼッタの従姉との婚約破棄を申し出に来たらしい。
「おい、リゼッタ! 俺は第一王子だぞ!? 順番待ちなどさせるな!」
「殿下、大きな声はお控えください。他のお客様のご迷惑になります」
「客!?」
「なお、割り込みをされますと次回以降のサービスに影響が出ますのでご了承ください」
「次回以降!? 婚約破棄に次回も何もないだろう!」
「殿下。わたくし、これで12回目なんですの」
リゼッタはにっこりと微笑んだ。疲労の色は一切ない。完全にプロの顔だ。
「じゅ、12回……?」
「ええ。最初の5回くらいはわたくしも泣いたり取り乱したりしておりましたが、7回目あたりから『あ、これ業務フローを整備した方が効率いいな』と気づきまして」
「業務フロー……」
「さ、2番の方。こちらの書類にご記入をお願いいたします」
リゼッタは目の前に座っているマリウス侯爵令息に紙を差し出した。
「え、えっと、この『婚約破棄理由』の欄は……」
「該当するものに丸をつけてください。『1.真実の愛を見つけた』『2.聖女が現れた』『3.前世の記憶が蘇った』『4.相手が悪役令嬢だと判明した』『5.その他』からお選びいただけます」
「……ほ、ほぼ全部当てはまるんですが」
「複数選択可です」
「あの、『6.なんとなく雰囲気で』っていう選択肢はないんですか」
「2回目の改訂で削除しました。あまりにも多かったので」
アレクは唖然としてそのやり取りを見ていた。
「リゼッタ、お前……何をやっているんだ」
「業務改善です、殿下。以前は婚約破棄のたびにホール全体が騒然となり、パーティーが台無しになっておりましたでしょう? せっかくの卒業パーティーですのに、他の生徒さんが可哀想ではありませんか」
たしかに、窓口の向こうではパーティーが普通に続いている。ダンスを楽しむ者、食事を楽しむ者、みんな平和そのものだ。
「あ、すみません。ここの『破棄後の慰謝料』の欄なんですけど」
「はい。金額をご記入ください。なお、公爵家との婚約破棄の相場は金貨300枚からとなっております」
「さ、300!? 高くないですか!?」
「わたくしの父が公爵ですので。嫌でしたら婚約を継続する選択肢もございますが」
「……300で」
「ありがとうございます。では、こちらの誓約書にもサインをお願いいたします。『今後リゼッタ嬢およびその関係者に対し、悪評の流布、社交界での妨害行為、およびやっぱり復縁したいという泣きつきを行わないことを誓います』」
「やっぱり復縁したいという泣きつき!?」
「8回目と11回目の方がやりました。迷惑でしたので条項に追加いたしました」
マリウス侯爵令息は震える手でサインした。
「はい、手続き完了です。マリウス様、長らくお疲れ様でございました。今後のご多幸をお祈り申し上げます。出口は右手でございます。なお、帰り際に1階のカウンターで粗品をお受け取りください」
「粗品まであるの!?」
「タオルと石鹸のセットです。新生活にお役立てください」
マリウス侯爵令息は呆然としながらも、律儀に粗品を受け取って去っていった。
「さ、3番でお待ちのアレク殿下、どうぞ」
「……」
アレクはふらふらとカウンターの前に座った。
もはや最初の勢いは完全に消え失せていた。
「では、こちらの書類にご記入を……」
「待て」
「はい?」
「俺は……お前にこんな書類を書かされるためにここに来たんじゃない」
「存じております。婚約破棄をなさりに来たのですよね。ですので書類を……」
「違う! いや違わないが、違う!」
アレクは頭を抱えた。
華やかなホールで、衆目の中、高らかに婚約破棄を宣言する。それは王子として、男として、最高にカッコいい場面のはずだった。
なのに今、自分は整理券を握りしめてパイプ椅子に座り、受付窓口で書類を書かされようとしている。
なんだこれは。こんなはずじゃなかった。
「殿下、どうなさいました? 顔色が悪いですよ。体調不良でしたら別日に予約を取り直すことも可能です」
「予約を取り直す……婚約破棄の予約を取り直す……」
アレクは遠い目をした。
「なぁリゼッタ。一つ聞いていいか」
「どうぞ」
「お前は……悔しくないのか? 12回も婚約破棄されて」
リゼッタは一瞬きょとんとして、それからくすりと笑った。
「最初は悔しかったですよ。1回目は三日三晩泣きました。2回目は枕を殴りました。3回目でお酒を覚えました。4回目で般若心経を暗唱できるようになりました」
「般若心経」
「5回目で悟りを開きかけましたが、6回目でまた戻りました。7回目で業務フローを思いつき、8回目で書類を整備し、9回目でカウンターを設置し、10回目で粗品を導入し、11回目で誓約書を追加し、今回12回目で整理券システムを実装いたしました」
「お前のPDCAサイクルが怖い」
「ありがとうございます。次回はオンライン予約システムの導入を検討しております」
「次回があるのか……」
「備えあれば憂いなしと申しますので」
アレクはしばらく黙り込んだ。
そして、書類をカウンターに押し返した。
「……やめた」
「え?」
「婚約破棄、やめる」
今度はリゼッタが目を見開いた。
12回の婚約破棄受付業務の中で、初めての展開だった。
「しょ、少々お待ちください。キャンセルの書類がございませんので……」
「書類はいらない」
「で、ですが手続き上……」
「手続きも何もない。俺はお前との婚約を破棄しない。以上だ」
「ちょ、ちょっと殿下、イレギュラーな対応はシステムの根幹に関わりますので……!」
初めて動揺したリゼッタに、アレクは思わず吹き出した。
「お前、12回婚約破棄されても平気な顔してたのに、破棄しないって言ったら動揺するのか」
「だ、だって、想定外です! マニュアルにないんです!」
「知るか」
「殿下、お気持ちは嬉しいですが、殿下にはフローラ嬢という真実の愛の方が……」
「1時間前に振られた」
「え」
「振られたからやけくそで婚約破棄しようと思ったけど、お前の受付窓口見てたら何もかも馬鹿馬鹿しくなった」
「やけくそで婚約破棄しないでください!?」
「あとお前が面白すぎて好きになった」
「理由が軽い!!」
「12回も破棄されてめげずに業務改善する女を好きにならない男がいるか?」
「います!! 12人いました!!」
「そいつらは全員馬鹿だ。俺もその馬鹿の一人になるところだった」
リゼッタは口をぱくぱくさせた。完全にフリーズしている。
受付窓口のプロフェッショナルが、たった一言の「やめた」で機能停止した。
「ていうかお前、窓口設置するほど優秀なら、なんで12回も婚約破棄されるんだ?」
「……それは、わたくしの顔が地味だとか、愛想がないとか、事務的すぎるとか……」
「事務的すぎるのは今よくわかった」
「うるさいですね!?」
「でも俺は好きだぞ。このカウンター越しに見るお前の顔、めちゃくちゃ可愛い」
「カウンター越し限定!?」
「冗談だ。いつでも可愛い。結婚してくれ」
「今度はプロポーズ!? 順番が! 段階が! 書類が!!」
「お前の書類なんか知らん」
アレクはカウンターを乗り越えて、リゼッタの手を取った。
「ま、待ってください! プロポーズ受付の書類がまだ……!」
「ない。作るな。書類なしで答えろ」
「む、無理です! こういうの慣れてないんです! 破棄されるのは12回やったので慣れてますけど、求婚は経験値ゼロなんです!」
「じゃあ今から経験値を積め。答えは?」
「あ、あの、えっと……その……」
リゼッタの頬がみるみる赤くなっていく。
12回の婚約破棄を事務処理してきた鋼の精神が、たった一回のプロポーズで完全崩壊した。
「……はい」
蚊の鳴くような声だった。
「聞こえない」
「はいって言いました!! もう!!」
ホール全体に響き渡るほどの大声で、リゼッタは叫んだ。
パーティー会場が一気に静まり返り――今度は本当に静まり返った。
そして、割れんばかりの拍手と歓声が沸き起こった。
「「「「おめでとうーーー!!!」」」」
リゼッタは真っ赤な顔を両手で覆い、カウンターに突っ伏した。
「あああぁぁ……これ、婚約破棄よりずっと恥ずかしいです……」
「慣れろ。これから毎日こうだ」
「毎日プロポーズされるんですか!?」
「お前が受理するまで毎日する」
「今受理しました!! もういいです!!」
カウンターの向こうで、4番の整理券を持ったベルント第二王子がおずおずと手を挙げた。
「あの……僕の婚約破棄はどうなりますか……?」
「「「本日の受付は終了しました」」」
リゼッタの専属侍女たちが、いつの間にか『本日の受付は終了しました』の札をカウンターに立てていた。
「そ、そんな……」
ベルント王子は泣きそうな顔でパイプ椅子に座り込んだ。
* * *
その後。
リゼッタの婚約破棄受付窓口は、第一王子との婚姻を機に惜しまれつつ閉鎖された。
しかし、あまりにも画期的なシステムだったため、王宮の総務課に正式に『婚約関連手続き窓口』として引き継がれることになった。
リゼッタが作成したマニュアルは全53ページに及び、後にこの国の行政改革の礎となった。
婚約破棄の手続きが面倒くさくなりすぎた結果、この国の婚約破棄率は激減し、「面倒だからこのまま結婚しよう」というカップルが急増した。
なお、リゼッタは王妃となった後も、王宮内のありとあらゆる業務にマニュアルと書類と受付窓口を導入し、この国の行政効率を爆発的に向上させた。
アレク王は妻の有能さに惚れ直す日々を送り、「俺が婚約破棄しなくて本当に良かった」と毎日のように呟いたという。
そしてアレク王がリゼッタへの日々のプロポーズをやめることは、生涯なかった。
リゼッタが「もう受理済みです!」と怒るまでがセットである。
――なお、ベルント第二王子の婚約破棄は翌日無事に受理された。
粗品はタオルと石鹸のセットだった。




