千年ぶりに石像から人間にもどったわたしですが、王子様には興味がないのです。
バシャッ。
誰かが、わたしに冷たい水をかけました。
「やーい、くやしかったら動いてみろ~」
その声からすると、水をかけたのは小さな男の子のようです。だけど、はっきりとはわかりません。
なぜって、わたしは目が見えないのです。
「こらっ、やめなさい、ハンス!」
いたずらな男の子のお母さんとおぼしき女の人の大きな声が、近づいてきました。
「石像なんかにさわって、ばっちいでしょ!!」
がっくり。わたしのことを、かばってくれたわけじゃなかったんですね。
わたしは、ゼラルダ。けれど、わたしの名を知っている人は、今では誰もいません。わたしと話したことがある人も。
だって、わたしはものいわぬ石像なのですから。
はるか千年前、ある魔神様が、わたしに石化の魔法をかけました。野原でお花をつんでいた十六歳のわたしは、立ち尽くしたその姿のまま、今の今まで同じ場所にいるのです。
千年の時を越えて、野原はやがて村になり、町になり、都になりました。今ではわたしは都で一番にぎやかな公園の、目印として活躍しているようです。公園で待ち合わせをする人たちが、よくわたしの前を集合場所にしています。
待ち合わせの目印にするくらいなら、全然かまわないのですが……
「おかーさん、この女の子、どうして石になっちゃったの?」
「きっと、すごく悪いことをして、神様にバチをあてられたのよ。ナナちゃんも悪いことをしてはいけませんよ」
「見てみて、この石像、よく見るとブスなのよ」
「わ、ほんとだ~」
「おい、この石像に泥団子を命中させられたら、メシおごってやるぜ」
「もうこの石像に飽きちゃったよ~。撤去してくれないかな?」
心ないことを言う人たちは、ものすごくたくさんいます。いくつ時代を過ぎても、言われることは大抵同じです。
かと思えば、
「はあ~、キミはいつ見てもかわいいね。公園からボクのお屋敷に持ち帰って、お部屋で永遠に飾っていたいよ」
わたしのことを好いているみたいだけど……気持ち悪い!!
誰も彼も、わたしが何も言わない、反応しないのを良いことに、好き勝手言うのです。
たしかに、わたしはただの石像です。動いたりもしないし、嫌なことを言われても言い返すことすらできません。
でも……心だけは、千年前からそのままなんですよ?
馬鹿にされたり、何かをぶつけられた時、何も感じていないわけじゃない。悲しみや腹立ちには、何年経っても慣れることができないのです。
だけどわたしは、石像ですから。どんなにひどい扱いをされても、耐えるしかないのです。
そう、自分に言い聞かせていたのですが。
「ずいぶん年季の入った石像だな」
聞き覚えのない男の人の声が、すぐ近くで聞こえました。それから、わずかに石の肌が反応します。肩をたたかれたみたいです。
「かわいそうに、まだこんなに幼いのに石像にされてしまったのか!」
幼いですって。わたし、こう見えても千十六歳です。むっとしたわたしですが、次の言葉にびっくりしてしまいました。
「どれ、僕が魔法を解いてやろう」
そしてその男の人は、わたしが何も言えない間に、すらすらと呪文を唱えました。
「あ……!」
わたしの体は、急にぐんとあたたかくなりました。それからめまいがして、わたしは地面にたおれてしまいます。そして、自分の体を見て、さらにびっくり。
わたしは、石像ではなくなっていました。
細くて長い髪の毛も、昔着ていたワンピースも、やわらかい肌も……全てが、はるか昔に忘れてしまっていたものばかりです。それから、周りが見えることも。
うずくまって動けないわたしを、助け起こしてくれる人がいます。見ると、わたしとそう年齢が変わらないように見える(もちろん、十六歳のわたし、という意味ですよ)、整った顔立ちの少年でした。
「大丈夫か。……おや?」
少年は、ふとわたしの左手を見とがめました。
「左手だけ、魔法を解きそこなったな。今、解いてやる……」
「あ、結構です」
わたしは、少年からすっと距離を置きました。
「ありがとうございました。では、これで……」
「待て!」
少年は、逃げようとするわたしの前に立ちはだかりました。わたしは、思わず自由になった右手で、唯一石のままの左手をにぎりしめます。
この少年は、きっとすごい魔法使いなのでしょう。わたしに向かって、偉そうに言いました。
「長いこと石にされたままでは、行くあてもないだろう。僕についてこい」
「いえ、でも……」
「つべこべ言うな!」
強く言われてしまったので、わたしは彼についていくことにしました。
周りから、視線を感じます。特に、女の子たちから。きっと、わたしが少年に不釣り合いだからでしょう。そういえば、彼のいでたちもとても立派なものです。宝石とか、いっぱいついています。
千年前にも、王様とか王子様とか、偉い方々はいました。そしてわたしは、ただの平民でした。
少年についていったら、わたしはどうなってしまうのでしょう?
案内されたのは、お城でした。少年は、外国からやってきた、ソロモンという名前の王子様だったのです。
ソロモン王子は、侍女に命じて、わたしを風呂に入れさせて、すてきなドレスを用意してくださいました。
「なかなか似合うじゃないか」
王子様は、わたしを見ていいました。今まで見たこともないような、スカートがふんわり広がった、青と白のドレスに、真珠のティアラ。どこのお姫様が着るんだろうというような豪華な衣装ですが、わたしはどこか落ち着きません。ドレスがやわらかすぎるのでしょうか。いっそ、石でできたドレスを用意してもらったら、ほっとするかもしれません。
ソロモン王子が、左手に白い手袋をはめてくれました。
「あの、わたしをどうするおつもりなのでしょう?」
わたしがたずねると、彼は言いました。
「今夜、舞踏会が開かれるのだ。僕の相手役を務めてほしい」
「ええっ!」
びっくりしていると、王子様はわたしをじろりとにらみました。
「勘違いするなよ。僕は、女の子には興味がないんだ。なのに、周りは恋人を見つけろと
うるさいからな。お前にはしばらく、僕の恋人のふりをしてもらう」
「本当の恋人では、ありませんね?」
「残念ながらね」
「それなら、よかったです!」
晴れやかにわたしが言うと、ソロモン王子はちょっとびっくりしたようでした。
「よ、よかった?」
意外だったでしょうか。わたしだって、ソロモン王子を異性として好きだとは思っていないのです。もちろん、魔法使いとしての彼に興味がないといえば、嘘になりますが。
それよりも、わたしには……いつか石化を解かれたらと、千年もの間願い続けてきた夢がありました。
そして夜になり、待ちに待った舞踏会です。
わたしはソロモン王子にエスコートしてもらい、おそるおそる大広間に足を踏み入れました。流れる音楽は、全く聞きなじみのないものです。そこにいる人たちの顔は、一つも存じ上げません。けれど、わたしの関心はただ一つでした。
銀のテーブルにずらりと並んだ、ありとあらゆるごちそう料理!!
キノコのクリーム・スープに、カリカリに焼いたソーセージ。真っ白でふわふわなパンと、金色のバター。香草とエビのサラダに、大きなマスのトマト煮込み。トリとブタの丸焼き、ガチョウのレバーのパテ、チョコレートソースがたっぷりかかったケーキや、リンゴ・イチゴ・その他のベリーいろいろ・カボチャ・レモンのパイ……とても書き切れないくらいです。
王様へのあいさつが終わると、わたしはソロモン王子を置いて、料理のテーブルに突進しました。
石像だった間、もちろん一つの食べ物も口にしたことはありません。お腹はもちろん空きませんが、昔食べた料理の味は鮮明に覚えていて、思い出すたびに辛かったのです。
「いただきます!!」
片手で、ものすごい勢いでお料理をいただいていくわたしを見て、みなさんあきれていたことでしょう。でも、構いません。ソロモン王子には先にお伺いをたてましたし、王様やえらいお貴族様とあんまり長くしゃべっていたら、平民のわたしはきっとぼろを出してしまいます。
そんなことより!!
「ああ、おいしい……!」
口いっぱいに広がる、なつかしい味。舌を火傷してしまうほど熱いスープの嬉しさ。のどを通り抜けるたびに幸せな気分になる、甘いジュース。
「ソロモン王子様、ありがとう……!」
食べ物を味わえる幸せをかみしめつつ、わたしはソロモン王子に感謝したのでした。
いつのまにか、音楽が変わっていました。テーブルにぴったりとはりついたわたしの周りで、みなさんが踊っています。
「キミは、おどらないのかい?」
そう話しかけてきた声には、聞き覚えがありました。
気味の悪い声に、肌がぞわっと逆立つ感覚。あ、これ、鳥肌ですね。
「あれ、キミ……何だか見たことがあるような?」
顔を上げると、巻き毛の青年が、わたしを見下ろしていました。ご立派な身なりからして、彼も貴族なのでしょう。
「どこかで会ったこと、あったっけ?」
「いいえ……」
私はとっさに首を振りました。会ったことは、あります。でも、気づかないで。そう願っていました。
でも、叶わなかったようです。
「そうだ! キミは、ボクが好きになった、公園の石像にそっくりだ!」
彼は、おもむろにわたしの右手をとり、すりすりとなで回しました。
「あの、放してください!」
「こんなところで、キミのような人に出会えるなんて! あの石像がいつの間にか撤去されてて、悲しかったんだよ~。どうか、ボクの愛妾になってください!」
「いえ、お断りいたします!」
わたしは逃げようとしましたが、彼はわたしの手を放しません。
「そんなこと言わないで、お屋敷で大事に可愛がってあげるよ。お人形さんのようにね……って、あれ?」
彼は、わたしの左手にさわり、眉をひそめました。
「何だか、固いな」
そして、ぱっと手袋をとったのです。
固い石そのものの、わたしの左の握りこぶし。それを見たとたん、彼は大声を上げました。
「なんだ? 気味悪い……! 手が石でできてるなんて!」
すごく失礼です。石像のわたしがお好きだったのでは?
彼の声を聴いて、みなさんが振り向きました。わたしの左手は、みなさんに見られてしまいました。
「化けもの……!」
「魔女だわ、きっと。ソロモン王子をたぶらかしたのね!」
「捕まえろ!」
湧き上がる恐ろしい怒号の中、ソロモン王子がこちらに駆けてこようとするのが遠くに見えました。でも、彼はあまりにも離れています。あっという間にわたしは一人で、衛兵に囲まれてしまいました。
衛兵は、刀を構えます。怖くてたまりません。今のわたしは、石のように固くないのです。刀で貫かれたら、痛いにきまっています。
わたしは、左手をしっかり隠し、目をつむりました。
その時、誰かが私の前にさっと降りてきて、黒いマントで包んでくださいました。
『この子に触るな』
みなさんが震え上がるほど、恐ろしい声でした。でも、わたしはなつかしさしか感じません。
見上げると、おそろしい顔の大男が、わたしに微笑みかけていました。
『ゼラルダ』
「はい」
わたしには、彼が何者か、よく分かっています。
彼は、わたしに石化の魔法をかけた魔神様です。
決して、悪意があって魔法をかけたわけではないことを、わたしはよくわかっていました。千年前、野原で花をつんでいたわたしの前に現れた魔神様は、戦いに負けて、ひどく弱っていました。あと一歩、心臓を奪われてしまえば完全に敗北し、永遠に復活できないというところまで追い詰められていたのです。
わたしには、魔神様がとてもかわいそうに思えました。そこで、何か助けることはできないかと申し出た時__魔神様は、自分の心臓を守ってほしいと言いました。千年の間、石の中に心臓を守り続け、再び強大な魔法を取り戻すまで待っていてほしいと__。
「千年経って、力を取り戻したのですね?」
『そうだ。長いこと辛い思いをさせてしまい、すまなかった』
「いいんです」
わたしは首を振りました。そう、石像となって魔神様の心臓を守ると言ったのは、他でもないこのわたしなのですから。
「お返しする時がきたのでしょうか?」
魔神様は、うなずきました。そこでわたしは、左手を魔神様に差し出します。ゆっくりと、魔神様が、石化の魔法を解いてくださいました。
やわらかくなった左手を開くと、きらきらと光り輝く真っ赤な宝石が現れました。魔神様は、宝石を受け取り、黒く長い服の中に差し入れます。
『ありがとう、ゼラルダ』
魔神様は、丁寧にお礼を言いました。
『どんなお礼をしてやればよいだろう?』
「えーっと……」
わたしは答えに迷いました。たくさんごちそうを食べたいという一番の願いは、もうかなってしまったからです。
「ゆっくり考えてもいいですか?」
そう聞くと、魔神様はうなずきました。
『ゼラルダのために、家を用意した。そこで過ごしながら、じっくりと決めるがよかろう』
「わーい!」
家、というのがいいですね。お城に来てから落ち着かなかったので。
でも__ソロモン王子が近づいてきました。
「どこに行くんだ」
彼に対して、すごく申し訳ない気持ちになります。彼は恩人なのに。
「ごめんなさい、お役目を全うできなくて……。わたし、魔神様と一緒に参ります。このお城にいては迷惑になると思いますし……」
「それなら、ボクのお屋敷においで~!」
手を伸ばしてきた貴族の彼を、魔神様が無言で払います。それから、ソロモン王子をじっと見つめ、魔神様は言いました。
『若き魔法使いよ、お前とはいつかまた会うこともあろう。だが今は、ゼラルダと別れのあいさつをするがよい』
わたしは、あわててスカートのすそをつまみ、あいさつをしました。ソロモン王子が何かを言おうとします。でも、その時すでにわたしは、お城の外に飛び出していました。お城の屋根がはるか下に見えるほど上空を、魔神様と二人で歩きます。
魔神様は、夜空の中でわたしに言いました。
『あの魔法使いと、どんな話をした?』
「大したお話はしてないです!」
本当のことです。わたしと大広間に向かう間、ソロモン王子は妙に静かで、わたしの方をあまり見ませんでした。
魔神様は、わたしが落っこちないように優しく支えながら、じろじろと顔を見てくるのです。
「あの……わたしの顔に、何かついてますか?」
『いや。……うれしかったのだ』
それを聞いて、わたしも千年間で一番、うれしい気分になりました。
「あの野原でしたお話の、続きをしましょう。時間はたっぷりあるのですから!」
何しろ、わたしは千年待った女です。




