第4章 風、疑いの影
第一節 風向きの変わる朝
秋が近づき、空の色が深くなり始めた頃。
真白たちが滞在する城下では、ざわめきが絶えなかった。
「……兵糧が、減っている?」
報告を受けた真白は眉をひそめた。
鈴音が紙を差し出す。
「倉庫を調べました。帳簿と実数が合いませぬ」
久武が険しい顔で続けた。
「内部に間者がいるやもしれませぬ。
……殿、これが敵国からの書状。城内に内通者が潜むとあります」
真白は一瞬、言葉を失った。
風が、冷たく頬を撫でていった。
第二節 疑いの風
夜、月が白く輝いていた。
鈴音は火の灯を手に、真白の部屋を訪れた。
「殿……久武殿は、わたくしを疑っておられます」
真白の胸がざわついた。
「鈴音さんを? どうして……?」
「火傷の跡を見られました。
敵国の紋が焼き印のように残っていると……。
昔、捕らえられた折の傷ですが、彼らにはそれが“証”に見えたのでしょう」
真白は拳を握った。
「そんなの……信じない」
鈴音はかすかに笑った。
「殿がそう仰ってくださるだけで、わたくしは救われます」
風鈴が鳴った。
けれどその音は、いつもより少し短く、寂しかった。
第三節 影の密書
翌日、久武が真白に書状を差し出した。
「殿、この文を……ご覧くだされ」
封を切ると、中にはこう書かれていた。
“元親の側近、鈴音。
敵国より賄賂を受け、情報を流す者なり”
真白は息を呑んだ。
「こんなの、信じられない……」
「ですが、敵の動きが妙に早い。
戦の布陣も、城の動きも、何故か知られている。
誰かが風に乗せ、言葉を運んでおるのです」
「風を疑うの?」
「いいえ、殿。人の心が“風を歪めている”のです」
真白は言葉を失い、紙を握りしめた。
風が窓を叩いた。
まるで、何かを告げようとしているかのように。
第四節 試される信頼
夜更け。
鈴音が城を出ようとしていた。
「鈴音さん、どこへ行くの!」
背後から真白の声。
鈴音は振り向いた。
その瞳には迷いと決意が入り混じっていた。
「確かめねばなりませぬ。
この疑いが真実か、虚か……この身を賭してでも」
真白が駆け寄る。
「行かせない! あなたを失いたくない!」
鈴音の手が、真白の頬に触れた。
「殿。風は、束ねようとしてはなりませぬ。
風は流れてこそ意味を持つ。
だから、行かせてください」
真白は震える手で、鈴音の手を握った。
「……必ず、帰ってきて」
「ええ。風が導く限り、必ず」
鈴音は闇の中へ消えた。
第五節 嵐の兆し
翌朝、空が曇り始めた。
久武が走り込んできた。
「殿! 鈴音殿が敵地へ――!」
「知ってる! 止めたけど、行ったの!」
真白は立ち上がった。
「追うのですか?」
「……違う。信じる」
風が、静かに真白の袖を揺らした。
「信じることは、風を止めないこと。
彼女が帰る道を、風で守る」
久武は深く頭を垂れた。
「ならば、我らも信じましょう。殿の風を」
その瞬間、空が裂けるように雷鳴が響いた。
雨が落ち、風が荒れ狂う。
風鈴が激しく鳴った。
鈴音の名を呼ぶように――。
第六節 風、帰る
夜、雨が止んだ。
城門が軋み、ずぶ濡れの鈴音が戻ってきた。
真白は駆け寄り、抱き締めた。
「鈴音さんっ!」
鈴音は微笑んだ。
「敵の文は、罠でした。
久武殿の兵を分断し、我らを疑わせるための――」
久武が膝をついた。
「……疑って、すまなかった」
鈴音は首を振る。
「疑いがあるのは、信じたい証でもあります。
人は、風を見失って初めて、それがどれだけ温かいかを知るのです」
真白は静かに頷いた。
「風は見えない。でも、確かにここにある。
それが、私たちの絆なんだね」
風が、二人の間を通り抜けた。
その音はまるで、安堵の息のようだった。
第七節 風の影を超えて
夜明け。
真白は城壁の上に立ち、東の空を見つめていた。
雲の切れ間から、淡い光が差し込む。
「鈴音さん……風って、どこまで届くのかな」
鈴音は隣に立ち、答えた。
「心が届くところまで、殿」
真白はそっと目を閉じた。
――風は、まだ止まらない。
遠くで、旗がはためいた。
その音が、次の戦と、次の希望を告げていた。




