第3章 風、炎を渡る
第一節 戦の跡に立つ
戦が終わった翌朝、霧は消え、代わりに焦げた土の匂いが野に残っていた。
真白は静かにその匂いを吸い込みながら、戦場跡を歩いていた。
焦げた旗、倒れた馬の影。
そのすべてが「命の残響」だった。
鈴音は腕を吊りながら、その後ろに控えていた。
久武は無言で兵の整列を見守る。
「これが……戦のあと、なんだね」
真白の声は風に混じって小さく震えていた。
鈴音が答える。「ええ。勝っても、残るのは静けさと……重みだけです」
真白はその言葉を噛み締めるように、膝を折った。
血に濡れた土を両手で掬い、
指の隙間から、風に流れるように落とした。
「この土が……誰かの涙になるなら、私はもう二度と、同じ朝を迎えたくない」
その瞬間、風が吹いた。
真白の髪が翻り、風鈴の音が遠くでかすかに鳴った気がした。
第二節 久武の試し
「殿」
背後から低い声。久武重治が歩み寄る。
「兵らは、殿の采配に異を唱える者もおりませぬ。だが……」
「だが?」
「“風の如く戦う”と申されても、戦とは流れを読むものではなく、掴み取るもの。
優しさは美徳にあらず。情けは身を滅ぼしまする」
真白は顔を上げた。
久武の目は鋭く、まるで鉄のようだった。
「……それでも、誰かを守るために戦いたいの」
久武は眉をひそめる。「守るために戦う者は、必ず誰かを失う」
「それでも、風は吹く。止められない」
沈黙の中、久武の唇がかすかに動いた。
「――では、見せていただこう。“風の戦”とやらを」
第三節 炎の村
その報せは昼過ぎだった。
「南の村が焼かれております!」
真白たちは馬を走らせた。
山を抜けた先に、赤い煙が空を覆っていた。
炎が燃え盛る村。
泣き叫ぶ声、崩れる屋根。
真白は駆け出した。
「水を! 桶を運んで!」
兵たちが動揺しながらも従う。
炎の中、子どもを抱えて逃げ遅れた母親がいた。
真白は迷わず駆け寄り、倒れた梁を押しのけようとする。
「殿、危険です!」
鈴音の声が響く。
だが、真白は叫んだ。
「ここに人がいるの! 放っておけない!」
腕が焼けるように熱い。
煙が目を刺す。
けれど、真白の瞳は一瞬も揺れなかった。
ようやく母子を救い出したとき、
風が、炎の中を走った。
――ごうっ、と音を立てて、炎の向きを変えた。
まるで、真白の声に応えるかのように。
鈴音が目を見張った。
「……風が、殿を導いている……!」
第四節 命の風
火が鎮まり、夜が訪れた。
真白は傷だらけの手で包帯を巻きながら、久武の前に立った。
久武は静かに言った。
「殿。あの場でなぜ、民を優先された」
「守りたいから」
「兵を危険に晒してまでか?」
真白は、拳を握りしめた。
「誰かが泣くのを見たくない。
でも、それだけじゃだめ。守るためには、風を読んで動かなくちゃ」
久武は沈黙した。
やがて、深く息を吐くと、
「……ならば、この久武、殿の“風”を信じてみよう」
その言葉に、真白の胸が熱くなった。
「鈴音殿の言う通り、風は敵にも吹く。だが、味方にも吹く。
その風を感じ取れる殿が現れたなら――この国は変わるかもしれぬ」
第五節 夜風の誓い
焚き火が小さく燃えていた。
真白と鈴音は並んで座り、夜空を見上げていた。
「……あの村の子、助かってよかったね」
「ええ。殿の風が、炎を逸らしたのです」
真白は苦笑した。
「そんな都合よくいくわけないよ。でも……信じたくなるね」
鈴音は微笑んで頷いた。
「信じることが、風を呼ぶのです。
殿はきっと、まだ見ぬ“風の国”を吹かせるお方」
その言葉に、真白はそっと頷いた。
「だったら……私はその風になる」
風が草を撫でた。
焚き火の火が揺れ、鈴音の瞳の中で赤く光った。
「風は炎をも越える」
真白が呟いた。
その声は、夜空に吸い込まれ、静かに消えていった。




