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第1章 風鈴の祈り  第4節 月下の誓い

「……あなた様、生きておられたのですか?」


闇の中、女の声が震えていた。

焚き火の光に照らされたその瞳は涙に濡れ、まるで奇跡を目の前にしたようだった。


真白は息を呑んだ。

自分を“殿”と呼ぶその女の顔が、あまりにも必死だったから。


「えっと……私、殿なんて……」

言いかけた声は、夜風にかき消された。


風が唸り、火の粉が宙に舞う。

その女は、静かに微笑んだ。

「お身体は……痛みませぬか?」

「だ、大丈夫……です」


女はほっと息を吐いた。その頬にかかる髪の間から、傷跡がのぞいた。

浅くではあるが、頬を斜めに走る古傷――それは、戦場に生きる証のようだった。


「名は……?」

「香坂真白。高校生です」

「こう……こうこうせい?」

女の眉がわずかに動く。だが追及はせず、代わりに深く頭を下げた。


「私は鈴音。久武殿に仕える者にございます」

「鈴音さん……」


その名を口にしたとき、真白の胸の奥で風が鳴った。

焚き火の揺らめきが、ふたりの間をゆっくりと照らす。


鈴音の右手が炎の明かりに浮かび上がった。

指先には細かな火傷の痕があり、包帯がいくつも重なっていた。

「……手、怪我してる」

真白の言葉に、鈴音は少しだけ笑った。

「この程度、風が癒してくれます」

けれど、その笑みの裏に隠された痛みは、確かに真白の心に触れた。


沈黙が流れる。

虫の声が遠くで鳴き、焚き火の火がぱちりと弾けた。

鈴音は炎を見つめたまま、小さく呟いた。


「久武殿は……あなた様を見て泣かれました。

 失った殿が、風に乗って帰られたのだと」


「……私は、その人じゃない」

真白は唇を噛みしめた。

「私なんか、何もできない。ただの、どこにでもいる女子高生です」


鈴音は小さく首を振った。

「何もできぬ者が、人を救うこともございます。

 風は、戦の中でも吹きますゆえ」


風が吹いた。

焚き火が揺れ、真白の髪がふわりと舞う。

鈴音の髪飾りの鈴が「ちりん」と鳴った。

その音は、真白の鞄に入った風鈴の音と重なった。


「鈴音さんは……怖くないの?」

真白が問うと、鈴音は少しの沈黙のあと、静かに答えた。

「怖うございますよ。

 けれど……恐れよりも、誇りを捨てる方が、なお怖い」


その声には、確かな痛みと、強い決意があった。

真白は何も言えずに、その横顔を見つめた。


鈴音がふと、空を仰いだ。

雲が切れ、銀の月が現れる。

その光が甲冑の輪郭を照らし、火の粉と混じって、まるで涙のように煌めいた。


「真白殿」

鈴音が真白を見つめる。

「あなた様が、この風に導かれて来られたなら……それは、偶然ではございますまい」


真白の胸に、熱いものがこみ上げた。

ここがどこかも、どうして来たのかもわからない。

けれど、この夜に吹く風だけは、確かに感じることができる。


「……怖い。でも、帰り方もわからない。

 だから、ここにいる間は――できることをしたい」


鈴音は微笑んだ。

その微笑みは、これまで見たどんな笑顔よりも優しかった。

「殿も、かつて同じことを仰せでした。“己の道を風に問うて進め”と。」


真白の胸の奥で、風鈴が鳴るような音がした。

まるで、時を越えて誰かの想いが届いたかのように。


「……鈴音さん、約束しよう」

「約束?」

「この世界で、私ができることを見つける。

 風が導くなら、私はその先に進む。怖くても、逃げない」


鈴音は目を細め、深く頭を下げた。

「承知いたしました、真白殿。

 その風、私も共に感じとうございます。」


真白はそっと立ち上がり、鞄を開けた。

中から取り出したのは、あの青い風鈴。

祖母の形見。

現代の記憶を繋ぎ止める、たった一つの証。


枝の一本に風鈴を掛けると、夜風が吹いた。


「……ここでも、鳴ってくれるかな」


鈴音が微笑んだ。

「きっと、この国の風が喜びましょう」


ちりん――


透明な音が、夜の闇に溶けていった。

月の光がそれを照らし、ふたりの影が静かに重なる。


それは、戦乱の時代に吹く、最初の“優しい風”だった。

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