第一章
◆肆
毎日毎日毎日毎日毎日。今日は月曜。月曜に会議、水曜に会議、金曜に会議と飲み会。月終わりにたまった赤色の棒が月初めには無くなっている。初めの頃は、赤い棒を誰よりものばすことが生き甲斐だった。伸びろ、伸びろ、俺の赤棒。気がつけば赤棒をのばすことが目的となり、妻とは去年離婚。邪魔がいなくなった、これで気にせず仕事が出来ると心のどこかで安心していた矢先、世界中、不景気。俺の首も危うくなっている。JR山手、高田馬場から新宿方面の電車へ乗り込む。満員電車。
毎日毎日毎日毎日毎日。今日は火曜日、昨日は三件契約が取れ五件契約を打ち切られた。いつもの電車に、いつもの定位置で、いつも通りの寿司詰め電車。
毎日毎日毎日毎日毎日。今日は木曜日。JRの新大久保駅に着く手前、痴漢ですという女性の声。ああ、こんな時によくやるな、っと他人事、知らん顔。
毎日毎日毎日毎日毎日。今日は金曜日、いつもの電車がもうすぐしたらやってくる。昨日、ついに言われてしまった。もう、お前は来なくて良いと。どうしてだ、こんなに会社に貢献してきたのにと上司に問い詰めた。「すまない」の一言で終わってしまう。アナウンスが流れる。ああ、この電車に乗って、仕事場に行くのか。何で行かなきゃいけないンだ?今まで俺は何をしてきたンだ?何のために?急に襲われる空虚感。さあ、乗らなきゃ、電車に。プァーンと騒音が鳴り響く。
“うぜー、金曜の朝から飛ぶなよ”
“よりにもよって山手とか、ありえないし”
“中央線でやれや”
“死ぬなら他人に迷惑かけんな”
人々の気持ちがよくわかる。ぐちゃぐちゃになった自分を、今冷静に見つめる。ああ、あっけないなって思った。空気は張り詰めていた。いらいらした空気。遅刻すると、電話する人々、舌打ち。俺が死んでも、誰も悲しまない。
◆伍
「憂~ノートみせてぇ。」
久々に大学に顔を出す。サー席に着くと同時に人が集る。私はプリントアウトしたA四用紙と引き替えに、札を頂く。
「つぅか、憂全然大学来てないのに、どうやってこの情報GETしているわけぇ?」
馬鹿丸出しのしゃべり方。ギャル子、美紀。この質問は聞き飽きた。
「コネだよ、コネ」と適当に答えて買ってきた野菜ジュースとソイジョイをかじる。オハヨーっとぞろぞろ仲間がやってきた。
「マジありえねーよ。」
サークル仲間の健司が私の隣に座り、手を回してくる。鼻や唇、至る所にピアスが付いている。まるでチャラ男、ヤル男君。正直、ヤル男に興味はない。
「どーしたの?」
美紀が食いつく。健司が好きなのだ。
「山手で人身事故あったんだよーありえなくねぇ?おかげで一限遅刻したわー小テストあったのに。」
「マジドンマイじゃね?ってか遅延ならセーフじゃね?」
「てかてか、やべーよ、これ、見る?山手のグロ写真。」
流れをぶった切るのはB型、高広自己中の固まり。
「えーヤダーグロいのきらーい。」とか言いつつ、皆高広の携帯をのぞき込む。彼らの顔はおぞましいほど、至福な顔をしている。私はさっさと朝食を済ませ、席を立った。本当なら、こんな奴らとはつるみたくないけれど、チャラいサークルほど私にとっては良い稼ぎ場所なのだ。電車で死ぬヤツもばかだなーって思いながら、二限の教室へと向かう。
◆陸
「はよーっす。」
いつもの朝。ういーっす、と体育会系の挨拶が飛び交う。私の机は書類で山盛りだった。
「木田さんいいかげん、整理して下さいよ。これじゃあ雪崩れてこっちまで迷惑被りますよ。」
挨拶代わりに一言、メタボ眼鏡の川村だ。
「いいじゃない、嫌なら川村が掃除しなさいよ。あ、上田さん、何か事件はありました?」
ムスッとした川村をよそに、上司の上田の元へ行く
「あー?山手で飛び降り、ウン万人の被害がでたな。」
「そんなんじゃなく。」
「木田ーちょっとこっちこい。」
別の上司、鏑木に呼び出される。
「なんすか?」
「この前の張り込んだ場所なのだが、新しい情報を手に入れた。これから張り込みに、」
「行きます!」
有名大学卒業。どちらかといえば、本来なら現場で働く人種ではないのだろうけど。私はあえて、現場を選んだ。現場で“女だから”となめられないために、わざわざ有名大学に入学し、現場配属を希望したぐらいだ。
「あの、木田さん、」
弱々しい、えっと名前は忘れた、ヒョロ男がやってきた。
「何?私これから現場に行くんだけど。」
「ちょっとだけ。あのですね、●●会社の社長が昨日亡くなりまして。」
鞄に必要な物をぶち込む。
「だからー?」
机を漁る、雪崩発生。でも気にせず出口へと歩く。
「それがですね、昨日●●会社が倒産しまして。」
「あっそう、ご愁傷様ね?」
「で、なんとライバル会社も倒産したんです。」
出口までくると振り返り、
「だから?何が言いたいの?」
「いや、なんというか、怪しい感じがしましてそれであの・・・」
「おい木田ー行くぞ。」
鏑木に呼ばれ、私は最後まで話を聞くことなく、車に乗り込んだ。
◆質
毎日毎日毎日毎日。今日は金曜日、夜。朝の騒動で電車は大幅に遅れたけれど、夜になるとダイア通りに運行していた。俺はホームに立って、電車を待つ。これから家に帰るのだ。アナウンスが流れる。ライトを付けた電車が来る。ドアが開く、乗り込む。今は満員電車でも息苦しくないし、人とぶつかり合うこともない。高田馬場で降り、西武新宿線に乗り換えようと上り階段にさしかかった時、俺はこれ以上進めなかった。“何か”が俺の足をつかんではなさないのだ。黒いモヤモヤの固まりが、路線を埋め尽くしている。
「なんなんだ、おまえ、離せ。」
足にまとわりつくものをふりほどこうと必死になった。よく見ると、人の手が俺の足首をしっかりと握っている。黒い靄に目を向けると、無数の目がこちらを見ている。身の毛がよだつ。
「おい、離せ!俺はお前らなんかと違うんだ!」
線路から次々と手が伸びてくる。助けてくれ、と声を出しても誰も気づいてくれない。おい、そこのお前、俺が見えるか?ちょっと助けてくれ。そう声を荒げても、無視されているかのように。無数の手が俺をまとい、ズルズルと路線に引き込んでいく。
「お困りですか?」
下半身が黒い靄に飲まれかかった頃、白いスーツを着た男性が、俺を見つめて話しかけてきた。
「たったすけてくれ!」俺は片手を伸ばした。
「助けても、いいですよ。しかし、亡くなったあなたに、何が出来ますかね?」
「なんでも、なんでもするから、早く!!」
視界が段々暗くなる。
「いいでしょう、約束ですよ。」
男性は俺の手をつかみ、靄から救い出してくれた。振り返るともやが恨めしそうにこちらをみている。
「助かった、いやいや、ホント、ありがとう。」
「礼には及びません。それでは早速、働いてもらいます。」
改めて、男性を見た。背の高い、二十代過ぎた顔立ちの良い男性。ホストっぽいような、金持ちのお坊ちゃまポイような。
「働く?」
「そうです、働くのです。我々はあなたのような優秀な人材を捜しているのです。」
優柔な人材。生きているうちに聞きたかったな、と思いつつ、男性の後に付いていった。
品川駅に降りる。
「仕事です。あそこにあるホテルにある男性が泊まっています。その男性を殺してきて下さい。」
突然の言葉に俺は男性を見た。笑顔で俺を見つめる。
「簡単です、今あなたは死んでいるので捕まりませんし。この男性です。この男性に会いたいと思えば直ぐに行けますから。」
ポケットから取り出した写真には、見覚えのある顔が写っていた。そう、俺が勤めていた会社の会長だ。
「嫌ならいいんです。あなたの身を“彼ら”に差し出せば良いだけですから。」
男性の笑みに悪寒を感じながら、
「でも、人を殺したら地獄に・・・」
「大丈夫、死んでわかったでしょう?天国や地獄なんて、無いってことが。」
俺の肩に手を置き、じっと目を見つめられた。
「期待していますよ。」
次の瞬間には、会長の部屋に居た。すやすやと、女と一緒に寝ている。ぶくぶくに太ったハゲオヤジ。幸せそうに、明日の心配なんかしていないような寝顔に、怒りがこみ上げてきた。俺たちがどんなに苦しい思いをしているか、知らずに。いい女と毎晩こうヤリやって、旨い酒と飯を食って。俺は会長の太い首に手を掛け、ぐっと力を入れた。苦しそうな声がしたが、しばらくすると静かになった。
ヤった。初めて人をヤったんだ!
ただならぬ興奮が全身を駆けめぐる。なんなんだ、この感じ!まるで仕事始めの若かりし気頃の俺みたいだ!
「今日面白いこと言われたよ。」
「何を?」
IとDはとっくに仕事を終えて、バスローブで身を包んでいた。俺はドンペリを取り出し、グラスに注ぐ。
「霊にさ、“人を殺したら地獄に堕ちる”って。」
IとDは顔を見合わせ、爆笑した。
「それは傑作だね。自殺しておいてよくそんなことが言える。」
「人間は死んでも愚かな生き物だと今ここに証明されました、チャンチャン。」
楽しげにIはモルツを一気飲みした。
「そういえば、あたしも面白いことあったよ。今日ね、新宿でいつも通り仕事をしてね?今回のターゲットは組の団長でね。誰に打たれたかはしらないけどいつも通り、ヤったんだ。」
「ふーん。それで?」
「そしたらねー、逃げる前に警察に見つかっちゃってさー。もう彼らびっくり。だってね?確実に死んだ相手が歩いて逃げようとして居るんだよ?」
三人は腹を抱えて笑った。
「そしたら?」
「勿論依頼主は捕まったよ、でも今頃死んでるんじゃないかな。」
◆捌
私は今日起きた不可解なことが頭から離れず上司の上田をいつもの居酒屋に連れ出し酒におぼれた。上田は酒を飲まない、たばこも吸わない。寂しい独身だ。
「ありえないすよー、死んだはずの人間がね、立って逃げようとするんですよー?」
呂律がうまく回らない。それでもジョッキの生ビールを一気飲みしながら、愚痴る。
「わかったわかった。その話はもう五度目だ。」
枝豆をつまみながら、上田は私をなだめる。
「だっておかしいとは思いません?」
しわだらけの上田の顔が、ため息混じりに口を開く。
「世の中には、お前には理解できないことだってあんだよ。」
バンっと机を叩く
「そんなもん、ありませんよ!断じて!全ては科学でしょーめーされます。」
やめとけという上田をよそに店員を呼び止め、生を追加した。
「じゃあお前が言う科学ってヤツで証明してみろや。」と言う、上田の言葉にムスっとする。証明できないから困っているのに。矛盾している自分にも、全てを見据えたような上田の態度に苛つく。
「・・・そういえば、昔もこんなことがあったな。」
ぼそっとつぶやく上田に食いついた。何だ?その昔ってのは。嘘だとぶん殴るからな!・・・とはさすがに上司には言えないが。まぁまてまてと嬉しそうに私を見る。上司のくせに、私より下手な上田。しかし、それは還暦を迎えようとしている大人の対応、ならぬ戦略だったのかもしれない。なんだか負けた気がして更に苛つく。
「いつだったかな、確か十年前、俺の上司がある事件の張り込みをしていた時だ。その日は偉く雨が降り注いで、視界も悪い夜だった――」
――ある二人の男が拳銃の密売をしていると目をつけた俺の上司はやっとの思いでそいつらのしっぽを捕まえ、尾行していた。横浜にあるとある倉庫に入っていった二人の男の後をつけてった。たった一人でな。
「一人で後をつけてたんですか?かなり無謀な上司っすね。」
「まぁな。いわゆる一匹狼でね。俺は車で待機させられていたよ。」
ふう、と一息ついた。店員が生ビールを運んできたので、泡が消えないうちに頂く。上田は相変わらずちまちまと肴の枝豆を食べる。
――銃声が聞こえて、俺は慌てて上司が居る倉庫に向かったよ。そしたら二人の男が倉庫から飛び出して逃げようとしてた。俺は全速力でそいつらを追いかけた。追い風が吹いて顔に雨が当たって視界が悪くてよ。俺はそいつらを見失しなっちまった。慌てて車に戻り、無線で仲間を呼んだ。して、上司の姿が見当たらねぇかえら奴らが出てきた倉庫に急いで向かった。上司は倉庫の真ん中で、倒れていた。
ビールを飲む手が止まる。ぐっと息をのむ。
――上司の名前を叫んで駆け寄ったよ。近くには拳銃が転がっていたからね。こりゃあヤベェなって。だが俺の期待を見事に裏切ってくれた。上司はキズ一つ無く、気絶していて居ただけだったんだよ。
なんだ、と一瞬思った自分が怖い。
――目を覚ました上司の手を肩に回し、車の所まで運んだよ。したらよ、「天使に助けられた」って上司が言い出したんだ。
「天使?」
思わず吹き出しそうになる。止まっていた手を動かし、ビールをごくごく飲む。
――ああ、俺も最初は何言ってんだ?頭おかしくなったのかって思ったよ。でも冗談言うような上司じゃねぇし俺はなにも言い返さず、ひとまず車に乗せ車を走らせた。しばらく上司も俺も口を開かなかったんだが、上司が見てくれと言うんで、バックミラー越しに上司を見たんだ。そこにはよ、銃弾が通ったような穴がスーツとワイシャツに開けられていた。だが上司の身体には傷一つ無かった。「やっぱり、俺は天使に助けられた」って。上司は淡々とそのときの状況を話し始めた。二人の男に銃口を向け、逃げ出す二人を追いかけた。途中男等が二手に分かれて逃げてしまい、仕方なく上司は片方の男を追った。と、次の瞬間背中からバンッッとヤられりまった。そのまま倒れ込み、ああ終わったなって思ったそうだよ。二人の男が倉庫の外へと逃げ出す姿を見ながら。自分の生暖かい血を感じながら薄れていく意識の中、ふと、耳元でささやく声が聞こえたんだと。
ラストオーダーになりますが、いかがなさいますか?という店員に話を邪魔され、大丈夫、お茶を二つお願いしますと言い、再び話を聞く。まるで私はおとぎ話に聞き入る子供のようだったかもしれない。いつになく、真剣に、だが顔は上機嫌に話す上田にやはり苛立ちつつ、残りのビールを一気に飲み干す。
――「あなた、まだ生きたい?」って。小さな女の子のような声だったそうだよ。ああ、これが天使かなって思ったらしいね。上司は言ったんだ「ああ、生きたい。あいつ等を捕まえずにあの世に行くなんてまっぴらだ」って。すると女の子の声が「わかった。じゃあ助けてあげる。」って言ったらしい。するとふっと眠気が襲い、目を閉じた。継ぎ目をさました頃には俺の血相を描いた顔があったって。
店員が持ってきたばかりの熱いお茶をズズズっとすすり、一息つく上田。
「やっぱ茶はうまいな。」
「で、今回の事件と何か関係が?」
「さあ、関係有るかはわからねぇが、そいつも生き返ったんだろう?もしかしたら“天使”のお陰かもな。」
「納得いかないですね。その上司はまだ居ます?」
「三年前に亡くなったよ。若い頃のツケがまわったそうだ。」
はぁとため息をつく。上田が伝票を持って立ち上がったので、居酒屋を後にした。今日も上田が奢ってくれた。私から誘ってもいつも上田が奢ってくれる。私は“奢られるのが好きではない”と告げても、
「嫌ならお前の部下達にたんと奢ってやれ。」と捨て台詞を吐いて帰って行った。後ろ姿がどこかかっこいい、なんて思わないから。クソジジィ覚えていやがれ。棺桶にしっかり飲み代いれとくからな。
・・・天使、か。そんなもの、存在するはずがない。明日、アイツの元に行ってみよう。どうして生き返ったのか。聞かなきゃ。
◆玖
ここは、夢の中。私はよく夢の中で“意識する”事が出来る。もしかしたら自分が持っている能力のせいかもしれない。私は透明人間になったかのように、客観的に夢の中の情景に目をやる。そこには白いスーツを着た男性と、“普通のサラリーマン”が電車に乗ってどこかへと向かっていた。白スーツ男性の顔は、夢だからか、うまく顔が見えない。二人はどこかの駅で降りた。白スーツの男性が普通のサラリーマンに何か話している。サラリーマンは少し動揺していた。シーンがぱっと変わり、目の前には女と一緒に寝ているデブオヤジが居た。隣には先ほどのサラリーマンが恨めしそうに見つめて立っていた。視線を変えたとたん、今度は苦しむデブオヤジがいた。私はオヤジにまたがり、両手で首を絞めている。ぶよぶよの首元に汗がにじみ出る、みしみしと骨がきしむ音がする。いやだ、手を離したい、そう思ってもはなせない。デブオヤジの目が開く、白目になりながらこちらをにらむ。
「オボエテイロヨ。」
バッと起き上がる。息が荒く、私は全身に汗をかいていた。夢とは思えないリアルな情景に、心臓はバクバクと音を立てて鼓動する。冷蔵庫から冷えたコントレックスを一気飲みする。ピンクのボトルキャップを閉め、冷蔵庫にしまう。携帯を開くと、時間は2時を回っていた。嫌な夢を見たな、また見たくないなとおもいつつ再び床についた。
◆拾
『I、仕事だ。』
あたし達を世話してくれるマスターからの、久々の依頼。あたしたちは“この世に存在する証明書”と引き替えに不定期に与えられるマスターの仕事をこなす。それさえ守ればどんなことをやってもかまわない。マンションだってマスターが与えてくれた。
「イエス、マスター。」
返事はこうと決まっている。電話を切ると、早速ドアがノックされた。毎回変わる黒スーツでサングラスを掛けた男性から、封筒を受け取る。そこには今回のターゲットの情報と、動き方がおおざっぱに書かれている。
『山田宗一郎。新宿区●●ビル地下二階。午前十一時。赤いドレス。警察乱入後、ヤる。』
箇条書きの文章と、ターゲットの写真が同封されている。それを頭に焼き付けたら、即座に燃やす。これも決まり。クローゼットから赤いドレスを取り出し、シャワーを浴びる。現場までは先ほどの男性が送り迎えをしてくれる。仕事の時は極力姿を外部に漏らさないようにするためだ。香水を全身に振りまき、赤いドレスに身を包む。Aは昨夜仕事をしていたらしい、まだ眠っている。Dはいつもの所にいっているみたい。あたしは誰も居ない部屋を後にした。
午前十一時を過ぎた頃、警察が乱入。あたしは車の中から様子を覗う。
「don't drop the ball」いつもの冷たい台詞を合図に、私は黙って車から降りる。
まっしぐらに●●ビルへと向かう。警察官をかき分け、地下二階の部屋に入る。その間に、誰も私のことを気にとめない。薄暗い室内から、ターゲットを見つけ出し、額に手を当てる。
「おはよう、山田宗一郎さん。」
大男がゆっくりと、目を開ける。おおぉう、と情けない声。手をさしのべ、身体を起こしてあげる。
「あとは、知りませんから。」
あたしは仕事を終えさっさと出口に向かう。ターゲットは裏口から逃げようとする。と、そこに一人の女性が部屋に駆け込んできた。残念ね、宗一郎さん。女性とすれ違う、チラとこちらをみた・・・ような気がした。
「止まりなさい!」
女性はターゲットに銃口を向ける。気のせいか、と思いつつ真昼の太陽が差し込む地上に戻る。
◆壱拾壱
「こんばんは。」
夢のせいで結局寝付けなかった私はバイト先のコンビニ立ち寄った。夜中の三時。
「こんな夜遅くに、どうしたの?」
薫先輩。私が憧れる、正確に言えば恋心を抱いている男性。好青年で頭が良く、誰にでも優しい。少女漫画にでてくる“理想の男性”そのものだ。
「変な夢見ちゃって。寝付けなくって遊びに来ちゃいました。」
誰も居ないコンビニ。夜が一番楽で、一番稼げる。しかし女の私はこの時間帯は働けない。
「女の子が出歩く時間じゃないだろ、ほんと、危ないんだから。気をつけろよ?」
先輩は私の頭に手を置く。へへへっと甘える。幸せだ。
「控え室に入ってな。」
「そうさせていただきまーす。」
猫かぶりだな、っとおもいつつ今更キャラ壊せない私は“イタイ子”を演じる。控え室には仲間が持ち出した漫画や雑誌が山ほど有る。
「どうぞ。」
先輩がホットココアを差し出してくれた。優しい気遣いに心がキュンッとする。俺は仕事中だから、と直ぐに控え室から出て行ってしまった。他の連中ならさぼるのに、やはり薫先輩、バイトとはいえきちんとしているなーっと益々惚れてしまう。彼女はいないとバイト内では話題だが、以前綺麗な女性と歩いている薫先輩を見たことがある私は、淡い希望をもちつつ、どこか諦めていた。出来るなら、薫先輩と付き合えたらなって思うけど。別に容姿がいいわけじゃないし、家庭的な女性でもないし。薫先輩は、私のことどう思っているかなんて“侵入”すれば直ぐわかることなんだけれども、もし“何とも思っていない”という情報を手に入れてしまったら、死ぬまでその情報が消えない。それは初恋の男性だけで十分だと思い、“侵入”せずに今に至る。私は頂いたココアを飲み干し、自分のロッカーからバイト用のダサイロゴ入りジャンパーに着替えた。
「暇なんで、手伝って良いですか?」
髪を結わえながら薫先輩の隣に立つ。
「ありがとう、でも小林さんは非番だから。」
「暇なんです。迷惑でなければ。」
薫先輩はニコリと微笑みかけ、小林さんはまじめだね、と頭を撫でてくれた。ああ!幸せ!
私は積極的に女子トイレ、男子トイレを掃除した。日頃なら面倒臭がってやらないのだけれども。四時を過ぎる頃になると段々空が明るくなってくる。
「そういえば、小林さんの名前、なんて読むの?」
専用の機械で床磨きしている薫先輩。
「あ、言ってませんでした?」
「うん。」
機械を止め、元の場所に戻す。
「憂瑠々(うるる)って言います。でもみんなには憂って呼ばれてます。」
「へぇ、珍しい名前だね。」
「そうなんですよー。両親が変わり者で。嫌なんですよね、自分の名前。」
「どうして?」
「なんかバカっぽいじゃないですか。もっとまともな名前が良かったです。ミキとか、マユとか。」
ははっと薫先輩が笑った。
「でも、僕は好きだな、憂瑠々って名前」
好きという言葉に反応する、少し顔が赤くなっていると思う。恥ずかしくて薫先輩の顔をまともに見られない。
「でもどうして憂って呼ばれてるの?」
「嫌だったんです。だから初めの1文字、「うい」って読めるから。最近多いじゃないですか?天使ちゃんとか、ピカチュー君とか。そういうノリの名前っぽいから。」
自分でも何言ってるんだろう、と思いながら、口が勝手にぺらぺらとしゃべり出す。
「そっか。でももったいないよ。せっかく良い名前付けてもらったんだから。・・・よければ憂瑠々って読んでも良いかな?」
えっと思わず声を出してしまった。
「ごめん、嫌だった?」
「全然、全然平気です!」
心臓がバクバクする。もしかしてこれって脈有り?
「よかった。じゃあ憂瑠々、今日も学校あるだろう?外もだいぶ明るくなってきたし、混む前に変えると良いよ。」
気がつけば五時を回っていた。薫先輩との幸せなひとときはあっという間に過ぎてしまう。私は今日見た夢のことなんかすっかり忘れて、心臓を高鳴らせながらコンビニを後にした。“憂瑠々”と呼ばれた先輩の言葉を脳内でリピートし、不気味にニヤけながら自宅へと帰る。
このこと、美紀に話さなきゃ。
毎日毎日毎日毎日。今日は何曜日?俺は嬉々とした気分で電車のホームに立つ。アイツ等はあれ以来姿を見せない。山手の電車内をぐるぐると回る。目をギラギラさせて、“仲間”を探す。生きていた頃、さんざん俺をコケにした奴らを。今の俺は、無敵なんだ!
今日は何曜日?今日は楽しい金曜日。
さあ、おいでおいで。
疲れた背中を押してあげよう、
ぽんと押せば
今日も止まる、山手線。
毎日毎日毎日毎日。俺は疲れた背中を押す仕事。
今日は何曜日?今日は金曜日。
今日も誰かが電車を止めるよ。