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6.彼女の決意

 これまでの研究の成果と言えるのは彼が『歩行』したことだろう。それは私たちにはうかがい知れない彼の意識が確かに存在していることの証でもあると推測している。しかしこの先、より成果を求めるには私たちに不足している『何か』を再考する必要がある。彼の夢に干渉し、彼と親しい以上の関係性のある彼女の存在が彼を現実の世界へと導くものであると期待してはいるものの、現状では彼女の存在が大して意味を持っていないのではないか、という疑問があり不安が募るのも確かである。それは実在する彼女の情報を私たちは全くと言って良いほど持ち合わせていないのが主な要因であると承知している。彼女は一度も彼の病室を訪れたことは無く、母親以外だれも彼女の実態を知り得ない。よって母親の証言通り、彼女は彼を恋愛対象ではなく使役するだけの存在であった可能性が高まる。それで彼が彼女と接してもほぼ反応しない説明が可能となれば、私たちの研究は根本的に考え直す必要があるかもしれない。


 私たちの次なる作戦は、『夢物語』で彼に夢を提供するのではなく、彼が見る夢そのものに侵入・干渉し、世界の主導権を彼に任せるつもりである。それがどの様な世界となるかは想定できない以上、私たちは臨機応変・即時対応が求められることにある。よって皆の心を一つに……という訳にはいかないが、各AIの連携と情報共有度を高め、あらゆる状況の変化に追従する準備に入った。また、彼女の存在意義を今一度確認する必要があると判断した私たちは彼女の計算能力を十二分じゅうにぶんに発揮できるよう不要かつ無駄な領域を排除し許容値の閾値しきいちを高めた。


 彼の夢は散歩の途中のような光景から始まった。——そう、先に説明した、見知らぬ男性が彼に声を掛け、彼が公衆電話を探す話である。ここに登場した男性は私たちが設定した人物ではなく彼が登場させたものである。そして公衆電話を探すというのも彼の設定である。そこで私たちは電話の向こう側、つまり電話を掛けている相手を彼女とすることに。だが、私たちの介入がなくとも相手が彼女であることはほぼ間違いないだろう。


「私、あたし……、私です、あたしよ。わかる……よね?」


 彼女の問いかけに彼は受話器を耳に当てたまま何かを言いたげであるが、また無反応のまま終了してしまう可能性は高い。しかし彼女の声はしっかり確実に彼の脳内変換により本物の彼女となり得ているはずである。前回と違い彼女の姿形すがたかたちはどうであれ音声のみとなった今回はかなり彼の想像力と記憶の援助により懐かしさと憧れが意識に波紋を起こしている、……のではないかと期待したい。


「……、あ……、あっ、うん」


 私たちが初めて認識した彼の声・反応である。直後、彼はゆっくりと首を左右に傾け視線は上目遣いの挙動を見せた。それは何かを思考している動作に思えたが私たちに知る余地は無い。


「ごめんね、遅くなって。もっと早く来たかったのだけど……。声、声が聞けて私、私、なんだかとても……」


「懐かしい気がする。長い……すごく長い間だけど、本当、思い出せて良かった」


 彼女が謝罪から会話に入った理由は私には分からない。「遅くなって」とは何かに彼女が遅れたようであるが筋書きが無いため事情も掴めない。それでも会話が成立しているのでこれで良いのであろう。私から彼女に質問してみたが今は返答する余裕は無いようだ。よって暫くは成り行きを見守ることとした。


「会えたら私、あなたをギュッと抱きしめてしまうかもしれない」


「……、ついさっき、会ったばかりじゃないか。それに……、ちょっと恥ずかしい……よ」


 どうやら彼の記憶では事故の件はすっかり欠落し、彼と彼女が一緒に過ごした最後の時からの数ヶ月を一瞬に感じているようだ。それが夢であるからなのか、本当に記憶に残っていないのか判断は付かないところである。だが電話での会話という状況になったことは私たちにとっては幸運だと言えるだろう。彼にとって彼女の声だけに集中でき、その他の状況を創造する必要が無い分、彼の意識は楽に彼女の声に聴き入ることができる。それと同様、私たちも彼との会話を続けることに能力を多く配分できるため、より注意深く彼を観察できるというものである。


「早く戻ってきて欲しいの。元気になって、話したいことが沢山あって、どれから話そうかって悩むくらい。でも、声が聞けただけ、それだけで十分。あとはあなた次第だから……。待ってる。ずっと待ってるから」


「……、まるで、僕が……、遠くにいるような。いつでも……、会える。いつでも……そばに、いるよ。だから……」


「そうね。あなたをとても身近に感じるわ。でも、貴方の手に触れていても動かないの。貴方の眼は私を見ていないの。貴方の唇は時々動くけれど、それは条件反射的なもの。貴方は私を忘れていない? 私はここ、ここに居るのよ。だから……、早く戻って来て、そこから」


 待て待て待て待て待てっ! もうそれを言ってしまうのか。物事には順序というものがあって、彼に伝えてしまうのはどうなのか。まさか前回の失態を取り戻そうと焦ってしまったか。だが、言ってしまった以上、臨床を中止すべきかどうか判断しなければならない。私たちの意識探査は彼の存在を確認し、情報伝達の可能性を探る。そして彼の意識を現実世界へと導き復帰させることが目的である。それは小さな階段を一歩づつ踏み締めながら行う計画であり、段階を幾つも飛ばしてしまうことは不測の事態を招きかねない。今の彼の状態及び状況は、夢の中ではあるが意識を取り戻しつつあり、彼の言動から、予測通りの反応、つまり彼は自分の置かれている状況を把握してはいない。そこへ行き成り現実を突き付けては混乱が生じるだけである。


「……、何を……、何を言ってるの。意味が分からない。……僕の手が、手がどうしたの? ……忘れる? 何を……」


「貴方は夢を、夢を見ている。ここは現実では……」


 臨床を緊急停止。システムの不具合により私たちは臨床の中止を余儀なくされた。記録の保全は確保済み。これからシステムの点検と再調整を行う予定である。

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