9話
「……なあ、さっきの話だけど」
「ん? どの?」
七海がストローをくわえたまま、こっちを見た。
カラオケの曲間、リモコンいじりながら暇そうにしてたタイミングだった。
「腹筋。さっき、声に力がないって言ってたろ」
「ああ、それ?」
七海はストローを抜いて、コップを置くと、ちょっとだけ体を乗り出してきた。
「歌ってるとき、喉だけで出そうとしてたっしょ? あれだと、音は出ても芯が届かないんだよね」
「……喉じゃダメってことか?」
「ダメじゃないけど、効率悪い。すぐ枯れるし、ブレるし、届かない」
「届かない、ね……」
さっきも言われた。「上手いけど、届かない」って。
その言葉が、まだどっか引っかかってる。
「じゃあ、腹筋があると変わるのか?」
「変わる変わる。ってか、腹筋っていうか、全身使う感じ」
七海は立ち上がって、軽く腰に手を当てながら体をひねってみせた。
この動きが妙に自然で、まるで日常動作の一部みたいだった。
「支えるっていうか、腹から声を上げると、安定感が全然違うんだよね」
「でもそんなガチなこと、ふつうの人ってやってるのか?」
「んー、ふつーに歌うくらいなら、そこまでやらなくてもいいと思うよ?」
七海はあっさり言った。
笑いながら、テーブルに肘をついてこっちを見てくる。
「でもさ、朝倉って、ふつうに歌いたいだけって感じじゃないよね?」
「……は?」
「え、違う? なんか、もっとちゃんと、うまくなりたいって顔してたけど」
「……別に」
「ほんとに?」
七海の目が細くなる。
それは疑ってるんじゃなくて、探ってる目だった。
なにか言おうとして、言えなかった。
理由は……言葉にしづらい。
「別に、いいだろ」
俺はそう言ったけど、自分の声が少しだけ弱かったのを自覚してた。
七海は特に突っ込まず、「ふーん」とだけ言ってストローをくわえる。
ドリンクの残りが少ないのか、ちゅーって音が鳴った。
「まあ、そういう人もいるよね」
そう言いつつ、七海は視線だけこっちに寄越す。
「でもさ」
ストローを指で回しながら、軽い口調のまま、ぽつり。
「歌ってるときの顔、すっごい真剣だったよ」
「……」
「なんか、ただの趣味って感じじゃなかった」
「……だからって、別に理由があるわけじゃねーよ」
「そっか」
七海はそれ以上聞いてこなかった。
追及しない。笑いもしない。茶化しもしない。
ただ、柔らかい目をしてた。
わかってて、わからないふりをするみたいな。
「でも、ちゃんと届くようになったら、もっと楽しくなるよ」
「……かもな」
俺は短く答えて、視線をテーブルに落とした。
七海が言ったことが、変に胸に残っていた。
(真剣に歌ってた、か……)
「てかさ、お前って、どうやって腹筋鍛えてんの?」
俺が聞くと、七海は口をもぐもぐさせながらドリンクのストローをくわえてた。
「ん? 筋トレ?」
「いや、筋トレっていうか……さっき堅かったじゃん。触ったとき」
「あー、あれね」
七海はストローから口を離すと、手でお腹を軽くぽんっと叩いた。
「ふつーにやってるよ、毎日ちょっとだけ」
「どんなの?」
「んー、プランクとクランチと、あと呼吸系のやつ」
「呼吸系?」
「なんていうの、インナーマッスル? お腹凹ませるやつ。歌うとき大事だよー?」
「へぇ……なんか、思ったよりちゃんとしてんだな」
「失礼な?」
七海がむっとした顔をして、ちょっとだけ頬を膨らませる。
「だってさ、ギャルって見た目で筋トレしてるとか想像つかねーし」
「失礼ー。でもまあ、筋トレっていうより、クセになってる感じかな。風呂入る前にいつもやってる」
「習慣化……プロかよ」
「プロじゃないし。てかさ」
七海がぽんぽんと自分の腹を叩いてみせた。
「咲もやりなよー、咲のぷにぷにもそろそろなんとかしないと」
「ええっ!? わたしは無理だよぉ……筋トレとか三日坊主だったもん……」
咲が両手をぶんぶん振って、首まで真っ赤になってる。
「でも咲も歌、リズム感はあるしさ。鍛えたら化けるかもよ?」
「えっ、ほ、ほんとに?」
「うん、あのバランスで歌えるのって、たぶん才能」
「や、やだぁ……ななちゃん褒めすぎぃ……」
咲は照れながらも笑ってた。
七海はにこにこしてたけど、横目でちらっとこっちを見る。
「朝倉もやるんでしょ?」
「……ああ、まあ、やってみる」
七海の声は、あくまで軽かったけど、なんかちょっとだけ本気の色も混ざってるように聞こえた。
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