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8話

「……上手いじゃん」


 七海が、マイクをテーブルに戻しながら言った。

 その言い方は、わりとあっさりしてて、真顔だった。


 ちょっと意外だった。

 正面から褒めてくる感じでもなければ、茶化してくる感じでもない。

 ただ、評価として「上手い」とだけ出された感じ。


「……は?」


 俺は思わず間抜けな返事をしてしまった。


「いや、普通に歌えてたし。音も外してなかったし」


「……なんだよ、急に」


「んー、でもさ」


 七海が少しだけ首を傾ける。

 目線はまっすぐ俺に向けられてた。


「上手いけど……なんかこう、届いてこないっていうか?」


「……は?」


 今度は声に出た。思わず。


「届いてこない?」


「うん、上手いけどさ。音としては合ってるけど、なんか薄い」


「はあ?」


 いやいや、待て。

 上手いって言ったよな?

 褒めたよな?

 なんで一言でひっくり返すような言い方するんだよ。


「じゃあ、どう歌えば届くんだよ」


「そこまでは知らなーい。朝倉の中で答え見つけて」


「……お前な」


 七海はにやにやしてる。

 言われたこっちはムカつくけど、論理的に否定できないのが余計に腹立つ。


 そのまま俺が黙り込んでると、七海は机の下から身を乗り出してきた。


「ていうかさ、そういうとこなんじゃないの?」


「何がだよ」


「力が入ってないっていうか、なんかこう……真ん中が抜けてる感じ」


 言いながら、七海の指先がじわじわと俺のほうへ伸びてくる。


(え、ちょ、おま――)


 七海が急に前かがみになって、俺の腹を指でつついた。


「腹筋、ないね」


「は?」


「やわっ。声に力ない理由、そこかもよ」


 いきなりのことに硬直した俺を見て、七海はさらに続けた。


「私はちゃんとあるからね?」


 そう言って、自分の腹をトントンと叩く。

 制服の上からでも分かるくらい、締まってる感じがある。


「試してみていいよ?」


「いやいやいやいや」


「いーじゃん、遠慮しないで」


「遠慮っていうか……お前が言ったんだからな?」


「うん」


 おそるおそる、指先で七海の腹に触れる。

 ぴた、と。


(か、硬っ……!)


「……すげぇな」


「でしょ?」


 七海が得意げに胸を張る。


 その瞬間、何か思い出したようにニヤリと笑って咲の方を向いた。


「ちなみに咲はぷにぷにだよ」


「なっ……!? ななちゃんっ!?」


 咲が顔を真っ赤にして抗議の声を上げる。


「ほんと、昔から柔らかいんだよねー。お腹も、二の腕も」


「や、やめてよもーっ」


 咲が七海の肩をぺしぺし叩く。


 七海は笑いながら、俺の方を向いて――にやり。


「試してみる? 咲のお腹」


「は?」


「さわってみなよー、違いがわかって面白いよ」


「いや、それセクハラだろ……!」


「いーから、どうぞ?」


 七海がぐいっと俺の背中を押す。

 咲は「えっ、ちょっ、や、やめ……」と焦ってる。


 おそるおそる、手を伸ばしかけたその瞬間――。


「ちがっ……! ばかっ!」


 咲が顔を真っ赤にして、両手でお腹を隠しながら後ろへ逃げた。


 七海は爆笑してるし、俺は何やってんだ状態だし。


 でも。


(……なんか、悪くないな)


 俺は思った。


 少し前の自分なら、こんな空気に耐えられなかった。

 逃げてたと思う。歌うことからも、人と関わることからも。


 でも今は、ほんの少しだけ。

「楽しいかも」って思えた。


(まだまだだけど、続けたら……)


 自分がちょっとだけ、進めてる気がした。

最後まで読んでいただきありがとうございます!

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