51話
土曜日の夕方、窓の外はすでに橙から群青へと変わり始めていた。
部屋の照明はいつもより強めに点け、机の上にはノートパソコンとマイク、スタンドライトが整然と並んでいる。
昨日までに散らかっていた漫画やプリントはすべて片づけ、背景には白い壁だけが映るように調整してあった。
スマホの通知が震える。画面を見ると七海からのメッセージだった。
『緊張しててもいいから、楽しんでやりなよ。智也なら絶対できるって』
続けて咲からも。
『初配信楽しみにしてるから。がんばって!』
たった数行なのに、不思議と胸の奥が軽くなる。
二人が裏で支えてくれているのだと思うと孤独な部屋が少しにぎやかに感じられた。
時計はもう19時55分を指していた。あと5分。
深呼吸をして、配信ソフトの「配信開始」ボタンにカーソルを合わせる。心臓が嫌になるくらい大きな音を立てていた。
カウントダウンを確認して、ついにボタンを押す。
画面に自分の姿が映り、視聴者数が「1」から「5」、「15」と増えていく。
「えっと……こんばんは。いつも動画を聴いてくれてありがとう。今日は登録者1万人を記念して、初めての配信をやってみることにしました」
声が思ったより硬い。笑顔を作ろうとしたが、頬が引きつっているのが自分でもわかった。
コメント欄に最初の文字が流れる。
《おお、きた!》
《はじめまして!》
《声緊張してる?》
「緊張してるけど、せっかくだから歌を楽しんでいけたらと思ってます。最後までよろしく」
序盤の同接は100人ほど。
うちのクラスが30人ちょっとだから3クラス分。つまり1学年相手にしていると思うと身体が硬くなる。
拙い挨拶を終え、マイクに近づく。指先がわずかに震えている。
最初の曲を流す。
伴奏が始まると同時に喉の奥にある緊張が一気にほどけていくような感覚があった。
声を乗せると、部屋の中に響く音がモニター越しに広がりコメントが次々に流れる。
《声きれい~》
《え、初配信でこれ?》
《落ち着いた歌い方だな》
同接がじわじわと増えていき200を超えた。
画面の右側がどんどん賑やかになっていく。
息継ぎを丁寧に入れると、不思議と声が安定していくのを感じた。
1曲目を終えると、拍手の絵文字がいくつも並ぶ。
動画を投稿していたときは、反応が返ってくるのは何時間も、何日もあとだった。
だけど今は、モニタの向こう側に聞いてくれている人がいるのだとという実感がひしひしとわいてくる。
そのリアルタイムの温度が、想像していたよりもずっと強く胸に届いてきた。
「ありがとうございます。緊張してますけどなんとか歌えました」
曲が終わって流れていたコメントに再び目を通す。
普段見ている配信者は曲の合間でコメントに答えたりしているが、俺はそこまで器用なことはできない。
《マイクなに使ってる?》
《どのくらい練習してるの?》
全部拾おうとすると目が回りそうになる。いくつかを選んで答えた。
「マイクは……あんまり高いやつじゃないです。初心者なんで」
冗談めかして言うと、《好感持てるw》とコメントが返ってきて少し笑ってしまった。
続けて2曲目。今度はボカロカバー曲。リクエスト欄にも名前が上がっていた曲だ。
歌い始めると、コメントの流れがさらに速くなる。
《きた!》
《この曲好き!》
《うまっ》
視聴者数は200に。数字が伸びていくたびに心臓が跳ねる。
終盤、高音をきれいに伸ばしきる。
《鳥肌》
《リピートしたい》
歌い終えると、喉の奥が少し熱い。マイクを少し下げ水を口に含む。
「ふぅ……ありがとうございます。すごいコメントの量で、正直追いつけてません」
まだ緊張は残っているかが普段のように話せるようになってきたのがわかる。
《自然な笑顔になった》
《最初よりリラックスしてる》
なんて指摘され画面越しに赤面しそうになった。
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