32話
ステージを降りて、控え室に戻った瞬間、足元から崩れ落ちそうになった。
マイクを返して、ドアをくぐって、椅子を見つけた瞬間崩れ落ちるように座る。
限界だった。
水を手に取って、無言でラベルを剥がす。キャップを開ける指先が震えていた。
一口、喉に流し込む。
乾いた喉が、水を吸う音が聞こえる気がした。
「……あぶな。まじで座ってなかったら倒れてたでしょ」
七海の声が近づいてきて、肩をぽん、と叩かれる。
その距離感が妙に優しくて、息を吐く余裕ができた。
「いや、マジで……足ガクガク」
「うん、見えてた。ちょっと足震えて」
「最悪じゃん」
「最っ高にカッコよかったけど?」
七海は、からかうような声で笑った。
でも、その目だけは冗談じゃなくて、ちゃんと俺を見ていた。
ステージの残像が、まだ瞼の裏に焼き付いてる。
ライトの熱、音の渦、観客のざわめき。全部が一つになって、胸の中でぐるぐると渦巻いていた。
「……歌ってた時、怖かったけどさ。途中から無我夢中で俺の歌を聴け、みたいにハイになってた」
「うん。でもちゃんと声になってた。気持ちになってた。ぶっ刺さったよ」
「……そっか」
言葉の重みが、あとからじわじわ染みてくる。
誰かの言葉にこんなふうに救われるなんて、思ってもみなかった。
「あのさ」
声がして振り返ると、咲が立っていた。
控えめな声だったのに、妙にはっきり聞こえた。
「……すごい、かっこよかったよ」
その言葉は短くて、飾り気がなくて、でも真っ直ぐだった。
「ありがとう」
自然に口から出てきたのは、その一言だった。
咲は少し照れたように微笑んで、控えめに空いている椅子に腰を下ろす。
椅子がギシリと鳴った。
それを合図にしたように、誰も何も言わなくなった。
静かだった。
言葉のいらない静けさが、ただそこに流れていた。
時間が少し経って、気づけば水のボトルは半分以上空になっていた。
ステージのざわめきは、次の出し物の歓声に塗り替えられている。
でも、俺の鼓膜には、まだあの音が残っていた。
ふとポケットに手を入れると、飴の包み紙が指先に触れた。
昨日、咲からもらったやつ。
歌う前に口に入れたあれの味が、まだ少しだけ舌に残っていた。
「今日ってさ」
俺が言うと、七海と咲が同時に顔を向けた。
「文化祭……二日目、なんだよな」
「そだね。あと半日あるよ」
「……昨日、正直あんま楽しめなかった。リハとか準備ばっかで」
思えば、ただの観客としてこの文化祭にいた時間は一度もなかった。
だけ今なら、少しだけその景色を見てみたくなった。
「だったら……見て回ろっか」
咲が俺と七海を見る。
「屋台もあるし、展示とかも。あ、わたし行きたいのあって」
「……俺も付き合うわ」
「おっけー、じゃあまずアレ。チュロス。絶対チュロス」
七海がさっそく立ち上がる。
咲も席を離れて、鞄の中をごそごそ探しはじめた。
さっきまで張り詰めていた空気が、やわらかくほどけていく。
ステージに立った俺から、ただの朝倉智也に戻っていくような。
廊下の向こうから、次の出し物のアナウンスが聞こえてきた。
誰かの笑い声。ジュースのこぼれる音。ギターの音色。
俺たちはその音の中へ、ゆっくりと歩き出した。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
よろしければ☆で応援してもらえると、とっても嬉しいです٩(ˊᗜˋ*)و




