31話
暗幕の裏、ライトの熱がじわじわと背中を焼いていた。
喉が、乾く。息が、浅くなる。
ステージ袖で待機していた俺に、マイクが手渡される。
コードレス。重さはほとんどないはずなのに、指先に汗がにじむ。
「続いてのステージは──」
MCの声が、スピーカーを通して流れてくる。
客席のざわめきが、少しだけ静かになる。
「──三年二組、朝倉さんによるステージです」
その一言で、空気が変わった。
一部の生徒が、ざわっと声を上げるのがわかる。
「え、朝倉って……」
「本人じゃん……マジ?」
言葉の波が、客席を這っていく。
視線が、舞台に向かって一斉に注がれるのを感じる。
「行け」
背中を押したのは、七海だった。
いつもの調子で笑っていたけど、その目だけは真剣だった。
深く息を吸って。俺は、ステージに足を踏み出した。
ライトの熱が、真正面から襲ってくる。観客席は逆光でよく見えない。
けれど、ざわつきは確かに耳に届く。
ギターの音源が流れ出す。
七海がPA卓から、タイミングを合わせてくれてる。
その頼もしさを背に受けながら、俺はマイクを持ち直した。
初めてだ。ネット越しではない、誰かの前で、声を出すなんて。
イントロが流れ出す。
ギターのフレーズが空気を震わせるたび、胸の奥が締めつけられる。
音が、来る。
いよいよだ。
後戻りは、もうできない。
息を吸った。
でも、喉がひりついて、呼吸が浅くなる。
身体中の血が暴れて、指先までざわついていた。
──いけ。
心の中で、叫ぶようにして踏み出した。
そして、歌い出した。
最初のフレーズ。
声が震えた。
マイクを通して返ってきた自分の声が、ひどく心許なく感じた。
観客のざわめきが止んでいく。
無数の視線が、まっすぐ刺さってくる。
怖かった。
正直、逃げ出したかった。
だけど、客席の隅で、咲が見えた。
小さく、でも確かに、俺にうなずいていた。
何も言わず、何も求めず、ただ聴いてくれているその姿に、
俺は、喉の奥から絞り出すように、次の言葉を重ねた。
2フレーズ目。
今度は、声が乗った。
空気を切り裂くように、真っ直ぐに響いた。
ステージの天井が遠くなっていく。
観客の顔がぼやける。
けれど、音だけは、はっきりとそこにあった。
サビに入る。
今まで何百回も歌ってきた曲。
でも今日だけは、違っていた。
(届け)
願うように、叫ぶように、俺は歌った。
知らない誰かにじゃない。
ここにいる誰かに届いてほしかった。
気づけば、腕が震えるほど力が入っていた。
マイクを持つ手の汗が、滑っていくのがわかる。
それでも、止められなかった。
ここまで来た。
ここでやらなきゃ、何のために立ったんだ。
最後のフレーズ。
肺の奥まで空気を入れて、すべてをぶつけるように歌い切った。
その瞬間、会場に静寂が落ちた。
数拍の間。
そして──拍手。
パラパラと、最初は控えめだったが、すぐに大きな音の渦になった。
俺は、息を吐いた。
震える指を、そっと下ろす。
目の前の光が、滲んで見えた。
ステージを降りると、袖で七海が待っていた。
「おつかれ。ちゃんと死なずに帰ってきたな」
「……ああ。歌ってよかった」
マイクを返し、深く息を吐く。
拍手の余韻が、まだ鼓膜の奥に残っていた。
控え室へ向かう途中、ちらりと客席のほうに目をやった。
一番後ろの列。
人の波から少し離れて、ぽつんと立つ制服姿が目に入った。
顔まではよく見えない。
ただ、その場から動けずにいるように見えた。
体育館を満たす拍手の音の中、その姿だけが、やけに静かだった。
誰かが立ち止まっていた。
でも、俺はもう、そこへ戻るつもりはなかった。
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