第19話「屍体」
第十九話「屍体」
ただならぬ気配に、一同は慌てて声のほうへ駆け寄った。いち早くたどり着いたゴウカイが思わず声を漏らす。
「なんだってんだ……!?」
ゴウカイはむしゃむしゃと頭を掻いた。遅れて、武蔵、カガネ、ルーナも甲板に上がる。
「凄まじいな。脳天が真っ二つとは。」
そう呟くカガネの視線の先には、海上に浮かぶ、白い、ぶよぶよした、吐き気を催す、巨大な、"デカ"の死体が浮かんでいた。外套膜が縦に裂かれ、その亀裂から真っ青な体液が流れ出ていて、さらには海水を生臭い青色に染め上げている。顔の辺りはなんとか原型を保っており、以前はそれが、その名に恥じぬ巨大なイカの化物であったことが窺えた。
「う、うう」
その光景に、ルーナは口を押えてうずくまった。
「大丈夫ですか。お嬢さん。」
カツミがルーナのもとへ向かい、背中をさする。
「すみません……。なんだかちょっとイカ臭くて……」
「少し休みましょう。お嬢さん、ほら、こちらへ。お嬢さんは、イカの匂いは嗅ぎなれてないでしょうから。」
カツミはそっとルーナの腕を掴み、船室へ誘導していった。
皆、何が起こっているか分からず混乱していたが、そんな中でも、ゴウカイは冷静だった。すかさず、コベラに指示を出す。
「コベラ!!まだ何かがいるかもしれん!!ひとまずここを離れるぞ!!船を出せ。」
「へ、へいッ!!よ~そろ~!!」
コベラもかなり混乱しているようで、返事の声は震えていた。動揺しながら、コベラは操縦桿へ向かった。
「取舵一杯!!」
ゴウカイの声が響く。
船は、再び動き出した。
♦
「しかし、デカが殺されていたとはな。」
カガネは訝しげな表情で呟く。
一度、今後について話し合うべく、一同は船室で円座を組んで座っていた。
「改めて確認するが、この中の誰かが仕留ったわけじゃないんだな。」
ゴウカイが尋ねた。誰も返事はしなかったが、それが肯定の沈黙であることは見て取れた。
コベラが口を開く。
「まあでも、良かったじゃないでスか。村に害をなしてた"デカ"が、捌られたんでスから。」
「よかない!!あいつは……"デカ"は俺が仕留るはずだったんだ!!そのために何十年も費やしたってのに、それが全部漁夫の利されたんだぞ!俺の、俺の努力は水の泡になったってんだぞ!!」
ゴウカイが声を荒げ怒鳴る。しかし、すぐに落ち着いて、「すまん。取り乱すつもりはなかった。」と呟いた。
「しかし、デカが沈られたからってめでたしめでたしとも行かねえ。ヤツを仕留れるほどの怪物が、この海域に現れたかもしれないってことだからな。」
ゴウカイがそう言うと、一同は押し黙った。
またしばらく、沈黙が場を支配する。
「しかし、あそこはひどいニオイだったな。」
カガネの一言ががその沈黙を破った。
「きっと、腐敗が進んでたんだろ。デカが殺されたのは、かなり前ってことだ。」
カツミが答える。すると、ゴウカイが、「いや、そうとも限らん。」と口を挟んだ。
「どういうことだ?ゴウカイっち。」
「クラーケンは深海性の生物でな。浮袋の代わりにアンモニアを蓄えて、浮力を得ているんだ。悪臭はアンモニアの匂いだろう。見たところ、腐敗はまだ始まっていないようだったしな。殺されたのは最近……。そうだな、昨日か一昨日ってところだ。」
「昨日、一昨日……?だとしたら、まだこの辺りにその怪物がいるかもしれないってことですか?」
ルーナはおびえているようだった。
「ああ、そうかもしれん……」
ゴウカイが頷く。その話を聞いて、武蔵が「ほぅ」と発した。
「あのイカの斬り跡じゃがのぅ、ありゃ、刀で斬られたあとじゃ。」
「カタナで斬った!?」
カガネが声を上げる。
「うむ。刀で斬られた痕など、腐るほど見てきたからのぅ。見紛うわけもない」
「カタナだって!? ともすると、デカを三枚下たのは……」
『鬼!?』
一同はどよめいた。
「おいおい冗談きついぜ。 」
コベラが冗談めかして言う。
「いやしかし、そうとしか考えられん。カタナを持っているのは、ウォニガ島に住んでる連中だけだしな」
ゴウカイはなるべく平然を装うようにしたが、困惑の色が隠し切れなかった。
「なあ、ムサシさん。武器は、カタナで間違いないんだな?」
「うむ。」
「そうか。しかしなぜ鬼が……。」
「カタナ……。カタナ……!カタナ……!!」
重苦しい雰囲気の中、カガネが、呪いのようにブツブツと何かを呟き始めた。
「おい!カガネ!」
その異様な光景にゴウカイが声をかける。しかし、その言葉は届かない。
「カタナは美しいだけではなかったのだ。その威力たるや、まさしく神器の如し。その切っ先はクラーケンすらも透き通し、あたかも初めからそうであったような滑らかな断面を映し出す……!もはや神話の域ではないか。霊験あらたかとはまさにこの事……!私の見立てに狂いはなかった。カタナ……。カタナ……!欲しい!ぜひ!ぜひ欲しい!!」
そんなカガネをゴウカイは、「おい!」と一喝した。
「はっ!私は……何を……」
「やっと戻ったか」
「……ああ、面目ない。ゴウカイっちよ。ウォニガ島のことなんだが、今すぐにでも行こう。カタナをこの手に今すぐに。」
「カガネ……。まあ、どっちにせ、初めからそのつもりだったのだ。ウォニガ島へ行けば、何か分かるかもしれんしな。」
「宜しく頼むぞ。」
「ああ、行こうじゃあないか。」
武蔵、カツミも二人の後に続く。
「え、あっしはちょっと……。その……」
コベラは乗り気でないようだった。が、ゴウカイに鋭く睨まれ、「い、行くに決まってるじゃないでスか!」と渋々ついていった。
船は、ウォニガ島へと向かい始めた。
♦
翌日の早朝である。
辺りは再び霧に覆われ、出発時と同じく、足元もおぼつかないような視界の悪さだった。
「島が見えたぞ!!」
カツミの一言で、一同は一気に活気づいた。
「お、ついにか!」
カガネが嬉々として言った。しかし、最も喜んでいたのは、武蔵であった。
「胸が高鳴るのぅ!!」
一行は、足早に甲板へ出た。
霧でほとんど分からなかったが、甲板からは確かに、前方に薄黒い影を見ることができた。影の大きさから、それが、なんとか村が暮らすことができるほどの、小さな島山で有ることがわかる。しかし、やはり植生や建物の有無については知ることはできなかった。
「ほう、あれがウォニガ島か。」
武蔵はそう呟く。ゴウカイは、船を岩壁に寄せるよう指示した。
「よし、では行くぞ。準備はいいか?」
ゴウカイが全員に問うと皆、無言で頷いた。
かくして一行は、ウォニガ島の地へと足を踏み入れることになった。
・・・つづく・・・