第1話「宮本武蔵、地獄へ罷り越す」
時は戦国、世は乱世。ここに、斬って斬って、我が世の春を謳歌した一人の漢がいた。
漢の名は、宮本武蔵。
彼が言わずと知れた天下一の武士であることは、読者諸賢のご存じの通りである。
そして彼は今、正に決闘の最中にいた――――。
「主が、宮本武蔵か。」
夏夜の涼しさが、草原を満たしている。
草木のなびく音に乗って、『男』の声が武蔵に届いた。
「うむ、いかにも。して、お主は?」
「…………。」
不気味なほどの静寂。相手からの応えは無い。
「答えぬのか」
武蔵の声は、虚しく闇夜に吸い込まれるのみであった。
「そうか……。」
武蔵はそう言うと、腰に収めてあった刀を抜く。
愛刀『和泉守藤原兼重』
その刃が、月光を鈍く反射した。
「お主は抜かぬのか?」
そう言って、武蔵は刀を青眼に構えた。
「…………」
やはり、沈黙。
「沈黙は肯定と受け取るぞ。」
そう言い放ち、刀を上段に構える。
「いざ!」
掛け声が、戦いの火ぶたを切った。
その刹那!
驚くべきことに、武蔵は愛刀『和泉守藤原兼重』を、躊躇なく男に向かってぶん投げた!
愛刀を投げるなど、武士にとっては言語道断。さらには不意打ちだ!! 恥ずべき行為である。
しかし、武蔵はそれを平然とやってのけた。
「ガハハハッ、負けこそが一番の恥よ!!」
『和泉守藤原兼重』は回転しながら、男の急所をめがけ飛んで行く。
その切っ先が、男の腹を裂いた。
「うぐッ!」
男は、『和泉守藤原兼重』を腹に受け、その場にうずくまる。
「いま介錯してくれる!」
そう言って、武蔵は男に歩みより、二本目の刀を上段に構えた。
「地獄で待つがよい!!」
その時であった!
男が、懐から八卦鏡を取り出し、こちらへ向ける。
「なッ!!」
武蔵は咄嗟に地面を蹴った! しかし、時すでに遅し。
男の八卦鏡が、光を放つ。
見たことのない、まばゆい光が辺り一面を照らした。
だんだん、意識が朧になっていく。
男が血を吐きながら、にやりと笑ったのが見えて、武蔵の意識は途絶えた。
――― 第一話「宮本武蔵、地獄へ罷り越す」 ―――
気が付くと、武蔵は何か、暗く、じめっとした場所で寝そべっていた。
――――樹海。
最も近いのは、その単語だろうか。
「そうか。ここは……地獄か。」
徐々に記憶がはっきりしてきて、その結論に至る。
多くのことを思い出した。
あの男のこと、決闘のこと、そして、その結末……
辺りが、月明かりで照らされている。
「もう終わりとはのう……。
しかし、地獄とは森であったか。」
武蔵は不思議と落ち着いていた。
何か、いろいろなしがらみから解放された、そんな気分であった。
「うーん、しかし、何か違和感が。」
意識して、瞬間的にわかる異変。
「な、何ィ!?」
武蔵は気が付いた。自分が全裸であることに。
布一つ、身にまとっていないことに。
つまり、モロダシであったことに。
しかし、さすがは武蔵。なんたる適応力か。
「これはまた奇ッ怪な! ……しかし、気にしている場合でもあるまいて。まずは、人気がござる所まで降りてみよう。」
全裸であることはさらさら気にせず、人里を探して歩みを進めた!
野外で全裸になることの解放感が、むしろ武蔵を落ち着かせていた。
♦
深い森の中、一人の女が、草木をかき分けながら、獣道を疾走する。
彼女は何かから逃げているようだった。
「グゥアルァアアア」
背後から、獣の呻くような声が追ってくる。
「ハァ、ハァ、ハァ」
彼女は、息を切らしながらも走りつづけていた。顔を恐怖で歪ませながら。
走らなきゃ……。もし、奴らに掴まったら私は……。みんなのように…………。
彼らのことを思い出し、胃から酸が込み上げてきた。
吐き気に耐え、彼女は必死に走った。
しかし、やはり森の夜道は彼女に険しすぎた。女は木の幹に足をぶつけ、派手に転ぶ。
「キャ・・・!」
後ろを振り返ると、小柄で緑色の肌をしたケダモノが数匹、こちらを見つめていた。
『ゴブリン』だ。
「ヒッ!!」
女性は、思わず声を上げる。
ゴブリンはお構いなしに近づいてきた。
「い、いや……!!」
女は這いずり逃げようとするも、ゴブリンに足を掴まれてしまう。ゴブリン達は、嫌がる彼女を見て、ジュルリと舌なめずりをした。
「許して……お願い…………」
「ユ、ゥルィシテ、オネガイ…………ギャハハハハハハハ!!」
ゴブリンたちは、女の言った言葉を憎たらしく反芻して、笑った。
その中の一匹が、彼女の上着を裂き始める。
女は恐怖の余り目をつむった。
――――ごめん、みんな。ごめん……ごめんなさい。
♦
「おや?何やら音が」
辺りを散策していると、木々のなびきとは明らかに異なる、ガサッ、ゴソゴソッという音が聞こえた。
「どれ、人かもしれぬ。」
音の鳴る方へ向かうと、やはり人がいるようであった。
「おおい!誰かいるのか?」
「キャーッ!いやっ!やめて!」
女の声だ。
声を頼りに、森を進む。
草木をかき分けた先に、女と、数名の子供のような影が見えた。
女は、服を脱がされ、今にも犯されそうである。
「おい!だぁいじょうぶかぁ?」
「だ、誰?助けに、来てくれたの……?」
死んだ目をしていた彼女が、瞳の輝きを少し取り戻した。
助けが来たんだ!助かった!やった!
嬉しさで涙があふれた。
――――村の兵士が私たちの帰りが遅いのを心配して探しに来てくれたのかな?
涙でぼやける眼をこすって、彼女は男の姿を見た。
「え……」
絶句、するしかなかった。
上半身も下半身も丸出しの、中年の男が、こちらへ近づいてきているのだから。
あの、煩悩の塊であるゴブリンですら下半身は布で隠しきっている。
なのに、この人は……。
「あ……あのう、助けて……くれませんか?」
女は恐る恐る男を見上げた。
そして、この男に助けを求めたことを後悔した。
「なんと!これは地獄の小鬼かッ!! 強さはいかほどか、手合わせ願いたい……」
などと言いながら、恍惚とした表情でゴブリンを見つめているのだから。
男は続けて、満面の笑みを浮かべ
「鬼と戦えるとは! 心が躍る……ッ!!」
女性は思った。……あぁ、こいつは、ダメだと。
しかし、彼女は藁にも縋る思いであった。
「あのう……。」
彼女はまた声をかけるが、武蔵には聞こえていない。
彼はゴブリンだけを見つめながら、拳法の構えのような体制を取った。
「ぐぎゃーーー!!」
ゴブリンが、鳴き声を上げ一斉に男へ襲い掛かる。
「ああ、危ない!!」
女性は思わず目を両手で覆った。
グギッ!グチャ!グッチャァァァアア!
あぁ、終わった。
最後の頼みの綱も、もう失われた。
女の中で、なにかが壊れた。
無気力に包まれ、目を覆っていた両手を下す。
「…………え?」
グッチャァァァアア! グチャチャチャァ!! ブッチャァァァァ!!! ブリュ!! ブチチッ!
肉が裂け、骨がつぶれる音。
臓が飛び出し、血が噴き出す音。
その音の主は、あの全裸男ではなかった。
ゴブリンの頭がVの字に割れ、血を流して倒れる。
続けて、男の背後のゴブリンの腹から突如、腐った果実を潰したような音。ゴブリンは口から血を吐きながら倒れた。
そして、前方から襲い掛かってくるゴブリンには足蹴り。
そのゴブリンは吹き飛び、幹にぶつかって動かなくなった。
「……。」
女性はその光景をただただ呆然と見ていた。いろいろなことが起きすぎていて、とても整理しきれなかった。
そうこうしているうちに、武蔵は最後のゴブリンを投げ飛ばした。
「ハァ、ハァ……」
「えっと……。大丈夫ですか?」
女は声をかけた。武蔵は、ようやく女の存在に気付いた。
「ん……?何者じゃ?お主。」
「私は……ルーナ。ルーナ・ロシェット……。ええっと、『聖職者』をしている者です。」
「る、るぅな、ろしえっと?」
「はい、ルーナ・ロシェット」
人と話し、少し落ち着いた彼女は、目の前の状況を理解し始めた。
全裸の男と、ほぼ全裸で話している!
「あの、その恰好は……。」
ルーナは、目を手のひらで覆った。
「ああ……これか。拙者にも、よくわからなくてな……。いきなりここにいたんじゃよ。ここは、地獄なんじゃろ?」
「地獄……?」
ルーナは、目をそらしながら言う。
「そうじゃ。お主も地獄にいるということは、咎人なのかの?。」
「地獄って……。ここは『暗黙の森』という場所です。」
「暗黙の森とな……?」
聞きなれぬ言葉に、武蔵は首を傾げた。
「はい。えっと、貴方のお名前は?」
「拙者か……拙者は宮本武蔵というものだ。」
「ミヤモト……。あまり聞かないお名前ですね。もしかしてっ、外国から来たのですか?」
「外国……もしや、ここは海外なのかの?だが、確かに……」
武蔵は、ルーナの体をジロジロ見つめ出した。
「なっ!」
「ふむ、金色の髪に……、碧い瞳……。なるほどやはり、ここは海外であるか。」
「互いに裸だという自覚はないのかしらん……!!でもやっぱり、海外ってことは、別の大陸からやってきたんですね!でしたらこの大陸の"ギルド"のことはご存知ではないでしょう?」
「ぎるど……、ぎるどとは一体?」
「冒険者の集まりですよ。魔物の素材を買い取ってくれたり、仕事を受けたりできます。もし行く当てがないのなら、ギルドに行くことをおすすめしますよ」
「では、案内を頼もうかの」
「もちろん!」
「それと、るぅなというものよ、何か、食べるものは持っておらんかの。」
「食べるもの?」
武蔵はの腹がグーと鳴った。
「うむ、腹が減っては戦はできぬ。」
「では、すぐそこの村で何か食べていきましょう。ギルドはありませんが、宿くらいならあります。」
「それでは、すぐに参ろうか。」
歩き始めた武蔵を、ルーナが静止した。
「ちょちょちょ!ちょっと待ってください。」
「む……?どうしたのだ?」
「……その、服着ませんか?」
ルーナにそう言われ、武蔵はようやく自分の恰好を思いだした。
「おお、そうじゃったな。すっかり忘れておった。さて、どうしたものか。」
「では、ご飯の前に防具屋ですね!」
「おお!そうか、かたじけない。」
武蔵が笑顔で答えると、ルーナもつられて笑った。
「……そうだ!大事なこと、言い忘れてましたね!」
「む?」
「助けてくれて、ありがとうございましたッ!!」
二人は防具屋へと歩み始めた。
・・・つづく・・・
(もし、この作品が三話ほどまで書いてみて人気がでそうでしたら連載を続けていこうと思いますので応援のほどよろしくお願いいたします。)