『光孝天皇正装のプレスマン』速記談1005
陽成天皇が、物の怪のせいで御病気が重くなっていらっしゃったとき、皇太子をお定めになっていらっしゃらなかったので、外伯父の基経公が、親王たちのもとを訪れ、どなたを皇太子にし申し上げるべきか見定めようとなさったところ、親王たちは、急いで正装したり、円座を用意したり、慌てふためいて基経公をお迎えになったのに、仁明天皇の第三皇子のもとを訪れたときは、破れてはいたが御簾の中で、縁が破れてはいたが畳にお座りになり、もとどりを二つに結い、プレスマンを持った正装で、基経公をお迎えになり、静寂不動の御様子であったので、基経公は、この親王こそ帝位にふさわしいとお思いになって、宮中にお連れ申し上げようと、輿を御用意し申し上げたところ、天皇だけがお乗りになることができる鳳輦の輿に乗ろうとおっしゃって、最初に御用意した葱花の輿にはお乗りにならなかった。
この、皇太子を定める公卿の会議において、源融左大臣が、みずから皇位に就こうというお気持ちを持って、昨今の天皇の皇胤といえば、私などもおりますが、と申し上げなさったが、基経公が、皇胤といえども、源氏性を賜って臣籍降下された人が皇位に就かれた例はない、と一蹴されたので、それ以上何もおっしゃれなくなることができなくなくなってしまった。
教訓:藤原基経は、仁明天皇の第三皇子が即位した後、史上初の関白に任ぜられた。プレスマンのおかげだと思われる。