表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

『光孝天皇正装のプレスマン』速記談1005

作者: 成城速記部

 陽成天皇が、物の怪のせいで御病気が重くなっていらっしゃったとき、皇太子をお定めになっていらっしゃらなかったので、外伯父の基経公が、親王たちのもとを訪れ、どなたを皇太子にし申し上げるべきか見定めようとなさったところ、親王たちは、急いで正装したり、円座を用意したり、慌てふためいて基経公をお迎えになったのに、仁明天皇の第三皇子のもとを訪れたときは、破れてはいたが御簾の中で、縁が破れてはいたが畳にお座りになり、もとどりを二つに結い、プレスマンを持った正装で、基経公をお迎えになり、静寂不動の御様子であったので、基経公は、この親王こそ帝位にふさわしいとお思いになって、宮中にお連れ申し上げようと、輿を御用意し申し上げたところ、天皇だけがお乗りになることができる鳳輦の輿に乗ろうとおっしゃって、最初に御用意した葱花の輿にはお乗りにならなかった。

 この、皇太子を定める公卿の会議において、源融左大臣が、みずから皇位に就こうというお気持ちを持って、昨今の天皇の皇胤といえば、私などもおりますが、と申し上げなさったが、基経公が、皇胤といえども、源氏性を賜って臣籍降下された人が皇位に就かれた例はない、と一蹴されたので、それ以上何もおっしゃれなくなることができなくなくなってしまった。



教訓:藤原基経は、仁明天皇の第三皇子が即位した後、史上初の関白に任ぜられた。プレスマンのおかげだと思われる。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ