え、決定権そっち?
(クキ?……誰なんだ。オダの家臣かな……?)
皆の様子を見て会議の流れが変わったのは何となくわかるのだが、シオンはクキが何者なのわからない。
席が近いキタバタケ家臣の一人にこっそり訊いてみることにした。
「あの、クキとは……?」
「お忘れで? かつて志摩国にいた不逞のもの。クキの横暴に困った志摩衆たちに請われて我ら北畠が叩きのめしたのです。残念ながら逃がしてしまい行方知れずでしたが……織田に泣きつくとは……九鬼め」
「そのクキとかいう人がオダの家臣になって攻めてくる可能性があるのですね?」
「ええ。九鬼は我らに対して復讐心を持っているのでしょうが、返り討ちにしてやりましょう、大河内御所様」
答えてくれたキタバタケ家臣は闘志がみなぎっているような表情だ。この人だけではない。他の家臣たちも早く戦いたくて仕方がない様子だ。違う世界からやって来たシオンとは感覚が違いすぎる。
(クキの相手はやる気がある人たちに任せて自分はゴカササヤマに引きこもりたい。海からも遠いし)
シオンは自分ファーストな人員配置になるようにするため、さりげなくトモノリに提案する。
「ノロが言うようにクキはいずれ侵入してきます。南部の各城に家臣の皆さんをふりわけて備えましょう。
というわけで、まずは私をゴカササヤマに……」
「お待ちください!」
「…え?」
制止したのはさきほどのノロだった。
「五箇篠山は我ら野呂一族にお任せください!」
「え、ええ」
五箇篠山の城主はノロである。ノロが五箇篠山を守りたいのは当然ではあるが…
トモノリを見るとウンウンと頷いている。
「あいわかった! 五箇篠山は野呂に任せる。常に南部を見張り何か騒ぎがあればすぐに駆けつけてくれ」
あっさりと決定してしまった。
「あの、私はどうしたら……?」
「始めに言ったように、大河内は木造城じゃ。木造城を落とした後、大河内を木造城主にする。そこで織田に睨みをきかせよ」
「え、その、まだ落としてもいない城ですし、そこに入れと言われても、困るというか…」
「だから、落とした後に入れと言っておるだろう。落とすのはお前じゃ。木造攻めの総大将は大河内にしようと思っておる」
「……はい?」
「総大将は大河内じゃ」
なんということか。どこかの城に籠ってやり過ごそうと思っていたのに。初っ端から戦線に行かされるとは。
なんとかしてこの危機を逃れたい。シオンは冷や汗をかきながら地図上に視線をはわせる。
五箇篠山城は入れない。阿坂城は雲出川に近いから入りたくない。大河内城はトモノリが入りたいと言っている。
残るは細頸城か大淀城。そのどちらかに籠って戦が終わるまで結界をはって呪文を唱えるのだ。
「すみません! 私がコツクリを攻めるのはちょっと……それよりもクキと戦いたいと思っております。ですから私を海側にあるホソクビかオオヨドに行かせてください!」
シオンは涙目になりながら訴えた。
「クキは海側から攻めてくるでしょう。私はクキとの戦いに備えるためにホソクビかオオヨドで待機したい……」
シオンはクキの件を口実にして総大将の役目を回避しようとしているのだ。
「ど、どうしたのじゃ、大河内……」
トモノリがとまどっている。家臣たちもとまどっている。キタバタケ一門のジェネラル大河内御所が涙ながらに訴えているというこの状況。何かがおかしい。いつもの大河内御所ならば喜んで総大将を拝命しただろう。こんな人物ではなかったはずだ——。と皆が訝しんだ。
皆の視線が自分に集中したことで場の空気が変になったことをシオンは感じとった。
(ど、どうしよう)
「大河内はかつて九鬼を逃がしてしまったことを余程悔しく思っているのでしょう。大河内の好きにさせてください、父上」
そこへ助け舟を出したのはトモノリの息子、御本所。さっきまで一切口を開かず座っているだけだった太った男だ。
「う、うむ。本所がそう言うのなら」
なんとトモノリはあっさり翻意した。最終的な決定権はトモノリではなく御本所にあったのだ。
「というわけで、細頸と大淀、どちらがよい?」
トモノリに訊かれ、少し迷ったが大淀城を希望した。雲出川から遠い大淀城の方が幾分かマシかなぁ、という深くない考えによるものだった。
※ちょっとだけ考証的な話
織田氏に仕える以前の九鬼氏の動向は、一次史料がなく不明です。
織田氏につくまでの経緯は諸説あります。
1.嶋衆と合戦し敗れ志摩を逃れた。後に織田についた。
2.国司北畠にとりいり志摩支配のお墨付き貰い、それを盾に志摩衆を従わせ、従わない者は次々と攻略した。後に北畠を裏切り織田についた。
1の説もその経緯は諸書によって話が違って…
・北畠に従わない嶋衆と合戦になった説
・嶋衆の掟を九鬼が守っていなかったから合戦になった説
などなど…
wikipediaにある「嶋衆が北畠を頼り、北畠が嶋衆を支援し九鬼を攻めた」という話は「九鬼御伝記」という文書にある話が元ネタのようです。
どの説も後世の文書に書かれているものであり、真実はわかりません…