大淀城にて
ここは大淀城。静かな夜に耳をすませば波の音が聞こえる場所である。東の方角には穏やかな伊勢の海、そして目と鼻の先には伊勢最大の湊である大湊があり、志摩国も近い。
シオンは妻や家来たちを連れて大河内城を出てここに移ってきた。
この城は数年前にトモノリが築城し、大きな濠が城下町を囲んでいる。城の中心部は小高い丘にあり、海の監視もぬかりない。
「海が近くて開放感があっていいね!」
と引っ越してきた時は暢気な感想を抱いたシオンだが、すぐにそれは不安感に変わる。
「開放感があるってことは、敵から見たらウェルカムな状態てこと……?」
と気づいたのだ。狙いやすい位置。だからこそトモノリも立派な濠をつくったのだ。
そして何よりも志摩が近いということ。クキは元々志摩の者だという。真っ先に志摩を取り返したいと思うだろう。もしクキが先に志摩を攻略したら……そこを拠点に次々と船で襲来する未来が見える……!
「しばらくは九鬼は来ないでしょう」
不安がっているシオンにホシアイサエモンノスケが言う。
「大丈夫かな…?」
「織田も三好のことが気がかりで大軍を投入できないでしょうし、九鬼軍だけでは我らに対抗する力はありません。来るとすれば、三好のことが落ち着いた後かと思われます」
「じゃあ、それまでにきちんと作戦を考えて準備しよう」
しかし、シオンは結界をはらなければならない。
(実際の戦闘は家来たちに任せて結界をはることに専念したい。そもそも結界が破れなければ戦わずに済むんだし)
「ねえ、今のうちに考えて指示を出しときたいから、地図か何か欲しいんだけど」
あいわかりました、とホシアイサエモンノスケが地図を拡げる。
「わかりやすいように、我らの手駒の武将たちの名と織田や九鬼の主だった武将たちの名を記した札を用意してございます」
そう言って地図の上に小さい札を置いていく。大淀城付近には「鈴木」「中北」「安西」。海の上には「九鬼」。
「クキはこの字でクキと読むのか……九つの…何だ? この字はどういう意味なんだろう?」
シオンは少しずつではあるが伊勢国の文字を勉強中だ。難しいが面白い言語だと思っている。
「オニですね」
ホシアイサエモンノスケは手を休めずに答える。
「オニ? オニとは何だ?」
「鬼は鬼ですね」
「オニとは……?」
「あらためて訊かれると、難しいですね。強くて怖くて時々人に災いをもたらすもの。ああ、我が国の言い伝えでは地獄の閻魔大王の下っ端という話もありますね。まぁ、そんな事よりも作戦を…」
変な事を気にする御所様だな、と不思議に思いつつもホシアイサエモンノスケは残りの札を並べつづける。それを眺めながらシオンは動揺を禁じ得ない。
(人に災いをもたらす怖いものとは…ゴブリンじゃないか?オニとはゴブリンなのか。しかもこの世界のゴブリンは地獄の魔王の使いだと?? オニとはゴブリンの進化系?)
地図の北の方に「織田」と書かれた札を最後に置くとホシアイサエモンノスケは居を正した。
「どうぞ、この地図と札をお使いになってお考えください」
「あ、ありがとう」
シオンは「織田」の札に目を落とす。
(ゴブリンが頼ったというこのオダ。一体何者なんだ?」
「サエモンノスケ、オダってどんな奴か聞いたことある?」
「それがしも噂程度しか存じませんが……。織田は自分のことを第六天魔王と称しているそうです。不遜な男なのでしょう」
その言葉を聞いて慄いてしまった。
『ダイロクテンマオウ』
六番目に強い魔王という意味か。はたまた第六世界の魔王か。とにかく魔王だ。
(オダは魔王で、クキは魔王の使役である最恐ゴブリン???)
「とんでもない奴らと戦うことになった……!」




