始まり
【さぁ次はどこへ行こう】
〜第一章〜
新緑の木々が風に揺られ、心地よい音を響かせる中、長期入院をしていた長谷部彰人は、次の検査までの時間を潰すため大学病院内の散歩道を一人歩いていた。
病院内は至る所に人がいるが、彰人の話し相手となるような同年代の患者は皆目見当たらなく、いるとしたら記憶も朧げな老人達である。当初は話し相手にもなっていたが、おじいちゃんおばあちゃん子でもない彰人には距離が遠く、次第に自ら離れていった。
そんなこんなで、彰人の病室が個室であることも相まって、彰人は一人で散歩をする以外特にやることもなくなっていた。
しかし始めてみれば散歩も案外悪くない事に気がついた。
今まで知る由も、知ろうともしなかった、風や鳥の囁きが今となっては心地よい。
気付いたら彰人は散歩が日課となっていた。
検査を終え病室へ戻ろうとするなか、彰人は今日発売の少年誌を買うため内接したコンビニへ寄った。
こうも刺激がない日々が続くとコンビニで買う少年誌が心の癒しとなっていた。
入ると少年誌はすぐに見つかった。
コンビニには様々な雑誌が各誌2部づつ置いてある。しかしそこで買う人はなかなかいないらしく、いつもどの雑誌も2部まるごと残っていた。
件の少年誌はと言うと全く手もつけられず2冊ともそこに居座っていた。
やっぱり同年代の患者はいないか、そう彰人はため息をつき、少年誌を手に取ろうとしたところで横にある雑誌が1部しかないことに気がついた。
自分以外にここで買う人がいるんだな、彰人は1部減った雑誌に手を伸ばし表紙を見る。
大きな文字で書かれたフレーズが目に飛び込んできた。
『見にゆこう、まだ知らない景色を
見にゆこう、僕らの世界を』
ありふれたフレーズだ。しかしどうにも気にかけてしまう。
ーーー気付けば彰人は少年誌と一緒に写真集をレジに持っていっていた。
彰人は病室に戻ると早速買った写真集を開いていた。
何か面白いものがあるかもしれない、自然とページを捲る手に期待が宿る。
エアーズロック、ウユニ塩湖、富士山。
ふむふむ、確かに綺麗な景色ではあるが、どれも教科書で見るようなありふれた景色だった。
ページを捲れども捲れども何か彰人を感嘆させるような景色は紙上に広がっていなかった。
そもそも旅行といえば小中の修学旅行しか浮かばない彰人は絶景とは無縁であったから、写真集にあまりピンと来なかったのも無理はない。
特に何か目新しいものを発見するでもなく、彰人は写真集を閉じた。
まぁそんなものか。
外では木々が揺らめいている。
自然と少年誌に手が伸びていた。
少年誌も終わりに差しかけた時、病室をノックする音が聞こえた。
「お父さんだ、ちょっと看護師さんと一緒に彰人に話があるんだが」
父親は名乗ると返答も待たずに扉を開けて入ってきた。相変わらず我ながらデリカシーのかけらもない父親だ。
その後ろには彰人の担当看護師の三島さんが控えていた。
どうしたんだろう、特に今日はこれといった検査もしていない。両親ら勢揃いで来るほどのことは起きていないはずだが...
と思うと、父親が口を開いた。
「すぐに本題に入って悪いんだけど、彰人には相部屋に移ってもらいたい。なんだか個室数が足りなくて困っているらしいからな」
同伴していた三島さんが頷く。
「そうなんですよ...急に入院患者さんが増えてしまって、それも個室を要する方が...」
正直遠慮したい。
確かに同年代の友人は欲しいが、同部屋になりたいとは思わない。
なにせここまで一人で入院生活を送ってきたのである、今更誰かと相部屋と言われても気が進まない。
それに、もし年を召した患者と同室になれば、寝る間もなく話し相手にされること必至である。
できれば断りたいところである。が、
「相部屋の人は彰人と同年代の女の子だそうだ」
予想外の同室相手に動揺する。
いやそれはまずいだろ、なに年頃の女の子の同室に同年代の男をあてがおうとしているんだこの病院は。
「そ、それは正直まずいんじゃないの?ほら、男女同室とか、俺はいいけど相手の子は良くは思わないんじゃないの?それに男子エリアと女子エリア分かれてるし」
「相手の子は良いといっているらしいぞ。それに移動する先は一般的な病気の未成年用エリアで、男女の区別はないそうだ」
なかなかに肝が据わった女の子だな...
と言うかそんなところあるなら最初からそこに入れればよかったのに。
「それにずっと一人でいてもつまらないだろう、同い年の子であればじいさんばあさんより話が弾むと思うし」
そこまで言われると...
まぁそれもそうか。相手は女子であるが、十分に彰人の話し相手や遊び相手となる。どうせこの鬱屈とした個室にいてもその子と交流する機会なく、一人になるだけだ。
動機としては申し分ない条件だ。
「ならいいよ、いつ移動すればいいの?」
父親の顔がやや明るくなる。
「明日の朝に移動するらしい。荷物まとめはお父さん達も手伝うから」
そういうと両親はそそくさと彰人の荷物をまとめ始め、三島さんは手続きをするためか部屋を出て行った。
明日か、彰人は不安と期待が絡まる心持ちで父親と共に荷造りを始めた。
翌朝、彰人は外に聞こえる鳥の囀りで目を覚ました。
まだ三島さんが検温に来るまでは少し早い、彰人はベッドに併設したテーブルの上に手を伸ばし少年誌を手に取ろうとする。
しかしそこには何もなく、手は空を切るだけだった。
そうだった...昨日全て荷造りしたんだった
彰人はベッドから身を起こし視線を外へ向ける。
外では朝早いおじいさんが散歩をしていた。
特に何をするとでもなくただ外を眺めているとノックをする音が聞こえた。
「三島です。朝の検温に来ました」
「どうぞ」
いつも通り体温を測り、健康診察を受け、今日の予定を確認する。
「今日の部屋移動なんですが、15分したら向こうの部屋に移動します。朝食は向こうについてからとってもらう感じですね」
そういうと、三島さんは荷物を玄関口に運び出し、外へ一旦出て行った。
できるならば朝食は早めに取りたかった、と思いつつスリッパを履く。
彰人は朝早く起きてしまったせいか空腹気味だった。
15分後、戻ってきた三島さんに連れられるようにして長い間いた病室を出た。
ふともといた部屋を振り返る。
誰もいなくなった部屋はどこか寂しげであった。
エレベーターを一つ上り、少し行くとその部屋はすぐに見つかった。
緊張する。
三島さんがノックをした。
「看護師の三島です。同部屋となる長谷部さんがいらっしゃいました」
「どうぞ」
三島さんに目で促され、一度の深呼吸ののちに扉を開けると、開け放たれた窓から差す太陽の光に包まれるようにして彼女はベッドに座っていた。
自分の顔を鏡で見たらそうであっただろうか。
ベッドに座っていた彼女は緊張した面持ちで口を開いた。
「初めまして、これから同部屋となる村中凛です。よろしくお願いします」
窓から細い風が部屋に吹き込んできた。