終わりの始まり(4)
「いらっしゃいまーせぇー!」
語尾の伸びる元気な声に迎え入れられ、そして暖房が効いた店内の温もりに少しばかり安堵した。
師走のこの時期だからか、それともこの外観のせいかそれほど客はおらず、奥では若い女の子たちがスマホを弄りながら話に華を咲かせ、手前の席では老夫婦がコーヒー片手に笑い合っている。
「テーブルがいいですか? カウンターにしますか? 僕が選んでもいいですか?」
選びたいのだろうか?
そんな招かれ方初めてだったのと、言った本人はなぜだが心底嬉しそうに笑いかけるから、拍子抜けしてしまって、お任せしますと伝えると、カウンター席のど真ん中に案内された。
「これはサービスですよー」
相変わらずニコニコと笑う彼は、コロコロしたあられが乗った小皿とゆっくりと湯気を昇らせる湯呑みを差し出してくれた。
「ありがとうございます」
熱すぎずぬるすぎず、程よい温もりのお茶が体全体に行き渡るように広がり、冷え切っていた節々もゆっくりと感覚を取り戻す。
「メニューをどうぞー!」
相変わらず元気な店員、他に人はいないのかとカウンター奥へ視線を向けると、若い男が手元の本に視線を落として座っているのが見えた。
「ホットコーヒー1つ下さい」
「はーい! お客さん初めて来たの?」
「え? そうですが」
一通りのメニューを確認後、早くこの賑やかな店員が離れてくれることを祈って、無難なコーヒーを注文したのに、離れるどころかまた瞳をキラキラさせてこちらを見つめてくる。
「初めまして記念日だね! ちょっと待っててね!」
そうして店の奥にいるもう1人の店員へ注文と、初めてだと嬉しそうに話していた。
あぁ、店を間違ったな。
やはりチェーン店的なところへ行くべきだった。賑やかだろうが私へ干渉することも無かったはずだ。
今更やっぱりいらないなんて出ていくほど強い精神の持ち主じゃないし、そんな強いやつならいつまでもメソメソしてないな。
一瞬でも落ち着いていたはずの気持ちがぶり返し、あの時この時ともう取り返せない日々をまた思い起こしてしまう。
「お待たせ致しましたぁー!」
感傷に浸り始めた俺へ、やはり店の雰囲気に似合わない元気な声が後ろからかかる。
目の前にゆったりと湯気を昇らせる茶色い陶器に入った黒く光るコーヒーが置かれた。その奥には小瓶に入った茶色や白色の角砂糖が置かれ、その横には透明の小さな水差しのようなものが置かれ、真っ白な液体が入っていた。
「これは初めましてサービスですよー、良かったら食べてね!」
コーヒーの横に置かれたのはソーサーと同じ大きさの真っ白なお皿に乗った、半分に切られたホットケーキだった。
「ありがとうございます」
「ごゆっくりー」
改めてお礼を述べると彼は嬉しそうに満面の笑顔を浮かべ、トレーを抱いて離れて行った。
陽気な子だなぁ。
鬱陶しいなんて思ってしまっていたけれど、きっと彼は感情が素直に表情や態度に出てしまうだけの人なのだろう。
そう思うと、雪も昔はそうだったなぁなんてやっぱり気持ちが沈んでいく。
これからどうやって生活していくか。
いつまでも母親に頼りっぱなしもいけないだろう。でも俺は接客業という不規則なシフトで働いている訳で、今更やめてサラリーマンになんてなれる歳でもない。
彼女はどうやって両立していたかな。専業主婦だからそんな考えはーーーー。
そこに思い至ってまた俺はなんて見下した考えをしているんだと、情けなくて馬鹿で仕方ないと、大きな溜め息をついた。
「魂抜けちゃいそうですね?」
いつの間にか目の前にいる陽気な彼は、カウンター越しに座っていて何やら編み物をしていた。
小さな手がさらに小さな針を持ち、赤い布と緑の布を縫い合わせていく手付きが規則的に動き、あっという間に編み込まれていく。
「すみません、ちょっと色々あって疲れてて」
「ホットケーキ食べた?」
「え?」
会話のキャッチボールなんて甚だ無視の彼は、あっという間に編み上げた巾着袋を手元に置いて、私の目の前に置かれたホットケーキを指さした。
「あなたの魂疲れてる。甘い物食べて力つけなきゃ!」
お腹が減っていない訳では無い。かといって甘いホットケーキが食べたいかと言われれば、一人だとなおさらいらないと思ってしまう。
これが小雪やそれこそ雪と一緒ならば、食べる? なんて勧めてあげることができるのに。
あーー。だめだ。
少しでも心を休めようなんて考えたからいけなかったのか。どうにも複雑な感情が余計にフォークへ手を伸ばしてくれない。
「どーして食べないの? ホットケーキ嫌い? お腹いっぱい?」
無邪気に尋ねてくる彼にはきっと悪気はないのだろう。だけど俺は今そんな心境じゃない。
あんまりにもしつこく言ってくるから、ここはいい加減はっきり言ってやらなきゃわからないんだろうな。
そう思って口を開いた時、奥の部屋で注文品を作る以外ずっと本を読んでいた店員が、彼の襟を摘み引っ張った。
「みーちゃん、ダメだよ押し付けちゃ。サービスなんだからお客さんの自由だ」
「だってぇ、とってもとっても美味しいのにもったいないよ」
冷静に引き止めてくれる店員にもめげず、みーちゃんと呼ばれた彼は、頬をふくらませ反抗する。
「だってだって」
「ダメだよ。みーちゃんも残り食べていいから静かにしてなさい」
「やったー!」
ぴょんぴょん飛び跳ねるようにして店の奥に引っ込んで行ったみーちゃん。周りにいる客はそんな様子を気にもせず、相変わらずのんびり過ごしている。
「すみませんね、あの子ホットケーキに目がなくて」
「いえ “子どもなのに” お手伝い偉いですね」
「まぁ好きでやってますからね」
どうぞ、とコーヒーのお代わりを注いでくれた店員は、ここの店主だと簡単に自己紹介してくれた後、ふいに俺の手元を見つめた。
「素敵な指輪ですね」
店主の視線を追って自分も視線を落とす。
左薬指にはまった結婚指輪と、小指にも同じデザインの指輪がもうひとつ、無理やりはめたのがわかるほどくい込んでいた。




