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終わりの始まり(3)

 彼女の笑顔が見たいと、そして今までの最低な発言や態度、その全てを謝罪した上でもう一度笑ってもらおうと必死に走った。

 小雪が生まれてから、俺はこんな風に何度走って帰っただろうか。



「雪……」


 毎日家に帰ることが憂鬱で、けど夫となり父となった以上、それが責任だと思ってたから諦めて帰宅する日々。


 そもそもそんな考えが間違いだと、なぜ思わなかったのだろうか。


 テーブルの上に置かれていたのは品数の多い夕食。全てに丁寧にラップがかけられていた。


 そんな料理に手をつける前に受けた電話。

 何を持っていけばいいのか、小雪の荷物はどれか、こんな簡単なこともわからない自分に情けなくなって泣きたくなるけれど、今はそれどころじゃないと、とにかく寒くならないようにタオルをぐるぐる巻き付け、自分の上着に包み込むようにして家を飛び出した。





 やっと彼女に労いの言葉をかけてやろうと思った頃には遅かった。


 そこには穏やかに眠る彼女の姿があって、今にも『驚かせてごめんね』って起きあがりそうなのに全然起きてこない。


「雪」


 腕の中ですやすや眠る我が子の温もりとは正反対、冷たく硬い彼女は静かに眠る。


「どうしてそんなに薄着なんだよ」


 シャツにカーディガンを着ただけの彼女はそれでも穏やかに眠っている。


「ご主人様ですか?」


 恰幅が良くて大きく丸い顔に食い込むようにかけた丸メガネが印象的な男。けれど職業柄かそのオーラは力強く、嘘を許さないと構えられているように感じた。


「はい」

「奥様は体調を崩されていたりしましたか? 例えば熱が高いか、または何か持病などお持ちで?」

「持病は……無かったと思います。体調は……すみません、よく分かりません……」


 言葉の覇気が無くなっていくのを自分でも感じていた。

 彼女のことを、たった今日一日のことも気づいていないなんて、夫としてどうなんだと思うけれど、今更悔やんだところで変わることは無い。


「そうでしたか。少しお話をーーーー」





※※※※※※




 どんなに大切にしていても、どんなに一生懸命でも、過去を取り戻すなんてことは出来ないわけで、過去を精算して詫び続け謝罪の念を抱き続けたとしても、一日はあっという間に過ぎていく。


 彼女が煙になって空高く昇って行ってからもう数週間になる。

 仕事には復帰したけれど、自分でもわかるほど心ここに在らずという言葉では足りない気持ちが、後悔の渦が心を牛耳っている。


 心配させまいと気持ちを押し殺していても、隠し切れない雰囲気があったようで、上司が接客業で一番忙しくなる時期にも関わらず、一週間もの休暇をくれた。


 迷惑はかけられないと何度も話したのだが、自分では気づかないほどに覇気のない姿は、見ている者も関わるお客にもマイナスを与えてしまっているようで、心の整理をつけるいい機会だと背中を押された。


「見といてあげるから、ちょっと頭冷やしといで」


 彼女が亡くなったと知ったその日から、しばらく疎遠だった母親がいの一番に駆けつけてくれた。


 できた嫁だと終始褒めるその言葉が嫌味にしか聞こえず、まるで俺が何もわかっていない夫だと言われているようで、腹がって仕方なかったのだ。


 もっとも親の言っていることがここに来てその通りだと思うのはもう遅いと、自分でも理解している。



 クリスマスが近づく街中は、想像以上に賑やかだと思い知らされる。


「クリスマスプレゼントも、渡せなかったなぁ」


 下を向いて呟けば勝手に涙が溢れてくるから、上を向いて独り言を漏らす。

 いつの間にか降り始めた雪が顔を冷やし、俺の心を叱責しているよう。


 どこかしこにも楽しそうな親子連れがいて、クリスマスへ向けての買い出しに大騒ぎするように笑い合う姿が胸に刺さる。


「こんな時に外なんか歩かなければよかった」


 うっかり手袋も持ってくるのを忘れてしまって、冷えた手をポケットに突っ込んで引き返そうとした、その時。


「こんな所に店あったかな」


 大通りを歩いた少し先、賑やかな人混みが少なくなってきた場所に、近代的な建物とは対照的にステンドグラスで出窓を覆った、この寒さには負けないと言わんばかりの色とりどりの花が軒先に並んだ喫茶店があった。



“ホットケーキ”



 年季のある建物に似合う古びた文字がうっすら浮かぶ看板は、入口の扉の横で風に揺れている。


 すぐに帰ったところでこんな気持ちの俺を見て、母親はまた説教するかもしれない。

 絶対そんなことしないのに、とことんマイナス思考になっている俺は時間を稼ぐためにもと、吸い込まれるようにそのお店の扉を開いた。



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