話してみよう(6)
肌寒いはずの雨の中を、小さな傘一つと財布だけを握りしめ走る。
確かこの先にスーパーがあったか。
スーパーの前に大きな横断歩道があって、それなりに車が走っている。
忙しなくワイパーを動かす車がひっきりなしに行き交う中で、ゆっくりと信号が赤に変わる。
歩行者用の信号機が、車道の赤を確認するような時を刻んで青になり、雪が飛び出した。
その時だった。
はるか先から蛇行運転をするワゴン車が躊躇い無く歩道に突っ込んできた。
鈍い音と硬いものがぶつかる音がする。ガラスが割れて何かが飛んでいく。
雨の音があっという間に異音をかき消し、雨足が一層ひどくなる。
『陽くんの……ご馳走……買わなきゃ……』
明らかにおかしな方向へ曲がる腕。
どこから流れているかもわからない血を押さえ、起き上がろうとする雪。
「動いちゃダメだ!」
「落ち着いて、触れないよ」
走り寄って手を差し出しても、まるで空気を掴むように掠めてしまう。
嫌に冷静なみーちゃんが顔を振りながら腕を引いてくる。
「雪ッ!」
目の前では足に力が入らないと、起き上がろうとしてまた倒れ込んでしまう、赤く染まり行く雪。
『どう……しよう……陽くん……怒るかな……』
「……そんなことで怒んねーよ!」
何度も崩れ倒れる雪がいるのに、何一つとして手を差し伸べてあげられないもどかしさに、情けなくも涙が溢れてくる。
『陽くん……私が勝手に……お祝いしようとしたから……バチ、当たったかな』
「もう喋るな!」
雨と一緒に流れ続ける雪の赤い命が、雨水を流す溝へと落ちていく。
遠くから赤色灯を光らせ、雨にも負けない大きな音が近付いてくる。
『陽くんの笑顔……作ってあげたかったな……小雪の……ミルク……』
「もう頼むから、自分の心配してくれ……」
俺の言葉が届くことは無い。重々理解しているはずなのに、それでも何度も手を伸ばし、彼女を救い出そうとしてしまう。
最初のうちこそ引き止めていたみーちゃんだったけれど、終いには何もせず、ただ立ちつくし見守ることに徹してくれた。
わかっている。
わかっているんだ。
取り返しのつかないことだと。
今更後悔してる俺に見せしめにされているという事も。
反省する、という言葉がどれだけ軽薄だったかと思えるほど重いことをしたのかと。
ーーーーオカシイノ。
救急車に乗せられ、あっという間に運ばれていく雪。
残された血痕はあっという間に流れていき、何人もの警察が調べ物をしたり交通誘導をしたり、すぐに日常へと戻ろうとする世界にまた、勝手に辛く悲しくなる。
ーーーーオカシインダ。
そうして自分の世界に入り込んでしまって、また外に耳を傾けないでいたから、少し怒った声が脳裏を刺激する。
「おかしい?」
やっと俺が反応したことにわざとらしくため息をつき、もうひとつの雪が少し間を置いて言葉を続けた。
ーーーー雪チャン。ゼンゼン怒ラナイ。ズット心配バカリスル。アナタト小雪ノコトバッカリ。
ザザっと砂嵐が起きて、そこはどこか病院の治療室。たくさんの人間が動き回り言葉が飛ぶ。
汚れてしまった雪へ手を伸ばす。
ドラマで見るような心電図が不規則に音を鳴らしていたのに、突然仕事を放り投げるように何も言わなくなった。
あれこれと手を尽くしていた人間達も次第に手が離れていき、機械的な声が時刻を告げる。
そばにいた看護師たちが後片付けを始めるのにそう時間はかからなかった。
「待てよ! まだ手立てはあるだろ! そんなすぐに諦めんなよ!」
無意識に叫ぶ声は宙を舞う。当たり前に聞こえていない人間たちは、やって来た警察と何やら話をしている人もいれば、雪の体を拭いていく人もいた。
「おいっ! 聞けよ! そんなに早く諦めんなよ!」
「ほらもう落ち着いて、よく見て、時間が無いんだから、伝えたいことしっかり受け取らなきゃ。あと二分だよ?」
俺の腕を引き、ゆっくり顔を振って見せたみーちゃんは、懐中時計を見せ付けながらも目の前の光景に指を指す。
そこにはベッドからだらりと下がる腕、その腕から伸びる白く細い指に光る指輪がきらりと光を反射した。




