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話してみよう(4)

『頑張らなきゃね』


 お腹をさすりながら話す雪、雨に打たれているようにぽとりと落ちた水滴に、思わず声をかけてしまった。


 それは雨でもなんでもない、彼女の瞳から溢れた我慢の結晶。



ーーーーワタシノ声ナンテ届クハズモ無いカラ、私ヲ撫デテ気持チヲ落チ着カセヨウト、スルカラ……


ーーーー何モ出来ナイ自分ガ悔シクテ、モドカシクテ、夫ト名乗ル、アナタガ許セナカッタ。



「雪……」


 そこに映る俺はベッドで大口を開けて眠っていて、いつだって笑顔でいてくれていたと思っていたはずの彼女は泣いている。

 なんて最低な男だと気付いても後の祭り、ただポロポロ涙を流しながらも、笑顔でいようとする彼女を見守ることしか出来ない。



『陽くんも頑張ってるから、私ももっと頑張らなきゃね、次は怒られないようにしなきゃ』


「ユキ、ガンバりすぎたらイヤだよ」


 山盛りだった食器類を洗い終え、三日目のカレーを温め直している手元で、脳内に直接響くハッキリとした声が心配そうに語りかける。


 具の少なくなったそれへ、別の鍋で煮込まれていたジャガイモや人参、玉ねぎと糸こんにゃくをしっかり水気を切って入れていく。


「あぁ……あのカレーは確か……」


 再び早送りされる映像が止まると、卓上カレンダーと壁の時計を交互に見る雪、大きなお腹を撫でながらソワソワ落ち着きがない。


 時折ポケットから取り出すスマホを見つめてはまた戻し、カレンダーと時計を見る。


 何度かそうしていた時、雪のスマホが着信を知らせ、飛び上がるようにして耳にあてた。


『うんうん、やった! やったね! おめでとう陽くん! 頑張ってたもんね、本当に本当におめでとう』


 すっと流れる涙を拭いながら、一度頷くと通話を切った。

 嬉しそうだった笑顔には哀しみも混ざっているような複雑なもの、どうしてそんな表情なのか俺にはわからないけれど、話をしてくれる脳内の声にはまた少し怒りが込められているように感じる。



ーーーー雪、オイワイ作ッテタ。ズットズット待ッテタ。ナノニアナタ気付カナイ。



 時刻は夕方六時、夕食が並べられている横には小さなケーキが置かれていた。

 お店で売られているような立派なものではなくて、見様見真似で作られた手作りケーキ、その上には大好物だと言い続けた大きなイチゴがあって、間には手書きされたチョコプレートが乗っている。



「もしかして……昇進祝い……用意してたのか?」



ーーーーソウ、雪、アナタノ好キナモノ、全部用意シタ。



 初めての昇進。副店長にまで上り詰め、給料も三割増し、これでまた少し雪を安心させてあげられる、そんな達成感を自慢したい気持ちも溢れ、店の人たちと飲みに行ったのだったか。


 昇進試験には筆記もあって、勉強嫌いの俺は雪に助けを求め、毎夜毎夜遅くまで授業をしてもらっていた。

 そのお陰で店長からは歴代最高点だと褒められまくった。


 雪があっての合格だったはずなのに、俺はまた自由の幅が広がると喜びまくった。どこかズレた感覚も気づけないまま、夜通し仕事にも遊びにも精を出してしまっていた。


「そうか……こんなに沢山用意してくれてたのに……俺は……」



ーーーーホントニ最低ナ男。




『ごめん、そんな濃いもの食えないから、俺の分までお腹の子の分と思って食ってくれ』


 朝方帰宅した俺を雪は嫌な顔一つせず、むしろ満面の笑顔で出迎えそして祝いと労いの言葉をかけてくれていたけれど、テーブルに並べられていたメニューに落胆してしまって、食べることもせず眠ってしまった。


 ……あのケーキはどうなったのだろう?

 ……あのカレーは俺の好物、翌日にでも食べたっけ?



ーーーーアナタハ食ベナカッタ。雪、悔シソウニ捨テテタ。デモオ人好シスギル。



「お人好し?」



ーーーーモット簡単ナ、メニューニスレバ良カッタッテ呟イテタ。



 後ろから殴られる感覚が襲う。

 どう考えたって俺のわがままで、勝手な行動の上に感謝のひとつも伝えていないのに、彼女はそんなことを責めることもせず、自分の行為を叱責していたというのか。




「……あのカレーさ、肉じゃがの出汁が染み込んで最高に美味しくなるんだ。できたても美味しいんだけどな、三日目に作ってくれるひと手間かけたカレー、世界最高の味なんだよ」



 もう食べることの出来ない世界最高のカレーの味を何度も口の中へ広げてみせるのに、味気ない空気が広がるだけで決して食べさせてくれない。

 それは “お前なんかに食べさせるか” と神様が記憶や感覚を取り上げているようで、大好きだった味も思い出せない。



ーーーー次ハ、アッサリシタモノ作ルッテ、勉強シ始メルカラ、腹ガ立ッタ。



 まるで百面相をするように強く光ったり弱く光ったり、語気だけは強く俺の脳内をチクチクと刺激する。



「そろそろ時間かも~」


 間延びした声は目の前にいる小さな雪ではなく、隣でじっと見つめていたみーちゃんで、どこか残念そうに頭を左右に振って見せる。


 すると聞き取りやすい声が気持ち小さくなった気がした。

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